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今や年末の風物詩
目次
日本では終戦の頃から年末になるとベートーベンの交響曲第9番合唱付きがよく演奏されるように。
この時期になるとなぜか多い気がしますよね。
実はこの第9の日本での初演はちょうど100年前、四国の方でドイツ軍の捕虜が演奏してみせたのが始まりらしいですね。
こちらはレア映像1918年当時のものと思われます
この最初の演奏の後、1943年に 学徒出陣の際、東京芸大の学生が演奏したのが日本での演奏の始まりと言っていいかもしれません。
戦後すぐ1947年ですが、亡くなられた学生兵士のためにさらにこの第九が演奏されました。それ以降、日本では長く年末に演奏され続ける風潮が出来上がったようです。
合唱に込められた思いとは
第九を聞いたことがある人ならば誰もが知っているあの第4楽章の合唱の部分。
あの部分が実はお弔いの意味も含めて演奏されていたようなんです。
あえて第4楽章を全て紹介。合唱の部分だけ聞きたい方は映像の6分過ぎたあたりから合唱が始まりますね。
この曲のは今更言うまでもなく、多分ベートーベンの最高傑作のいくつかの1つであること。
合唱の部分が素晴らしいと言う事はもちろんなのですが、思うに大切なのは合唱に至るまでの導入部分ですね。
オーケストラを巧みに操りながら、伝えるべきメッセージを合唱に載せる。
ベートーベンの意図したことが、初めから聞くことによってわかるのかなと思いますね。
いつも畏敬の念を持ってこの曲に接するのは、ベートーベンはこの曲を心の中だけで組み立て練り上げて形に成し遂げたわけです。
ベートーベン自身の思い
この曲を作曲する時、ベートーベンはすでに全くのろうあ者になってました。
全く耳が聞こえない世界で、どうやってこれだけの世界を構築したのだろうか。
ベートーベンの音楽にかける熱意、思い、感謝そういったもの全てが表現されている気がするんですね。
音楽には詩がついていて、その訳も既に多くの人に知られるところ。
仲間に呼びかけるこの“歓喜の歌”は戦争中から、先の見えない未来に対する人々の願いとも言うべき気持ちを、つぶさに代弁していたのだと思います。
市民で合唱のグループを作って発表するイベントも全国で行われているんです。
記憶の中に残る強烈なイメージ
ベルリンの壁崩壊の時の様子。
あの時も第九が演奏された
このときの映像はリアルタイムでテレビ見ていた気がする。
日本人がよくこの曲を演奏するのは知ってはいたがやはり本場ドイツならなおさらのこと。
この時東西ドイツが1つになったのである。
まとめ
このときの教訓が意味するものは極めて大きいはずである。
かつての西ドイツ東ドイツが1つにまとまることができたのだから。
余計なことかもしれないが今の北朝鮮と韓国。
このときのドイツの統一に学んでみるのも良い機会じゃないのかな。
この曲はベートーベンの思いとは別に政治的に利用されてきたと言ったら言い過ぎだろうか。
音楽が政治的なプロパガンダに利用されるのはよくある話。
ベートーベンの交響曲第9番。この曲はこれからも多くの人を励まし、奮い立たせて、未来にずっと受け継がれていくのだろうと誰しもが思う。