暴力を題材にした映画は多い
実はこの間から、日本映画の70年代の暴力映画を見る機会があった。
深作欣二監督の仁義なき戦いを始めとして、その他に同時期に作られたものとされる2本。
この3本が改めて見直してみると、実に面白い。
確かに暴力的なシーンも多いのだが、それ以上に人間の持つ、特に男が抱く欲望や野望などがこと細かく描かれていて、とても興味がわいた。
戦後直後からの話なのだが、作品はどれも皆、その時々の世情を反映していて自分自身の過去とも被るものがあり、見ているものを飽きさせない。
目次
深作欣二仁義なき戦い
深作監督のこれらの1連の作品にはお馴染みの俳優たちが勢ぞろいしている。
俳優たちは今更なんだが、圧倒的な存在感を持ってそこで演技をしている。
特に主役で起用されることが多かった、菅原文太、松方弘樹、梅宮辰夫、この3人は映画の中では絶対に外せないメンバー。
作品ごとに、ヤクザの役柄だったり、警察官の役柄だったり、それぞれに味付けを変えて起用している。
この3人の他にも、この後、有名になった悪役商会のメンバーたちが総動員して出ていたと思う。
深作監督は、これらの俳優たちの持ち味を熟知していたと痛烈に感じる。
監督が描きたかったのは、群像劇だったのだろうと推察する。集団の中でそれぞれがどのように振る舞うのかを個人が持つ欲望のレベルから追求していたようである。
この時代の日本の映画だと、大御所として黒澤明もまだ健在だったし、他にも時代劇の著名な監督たちもいた。
その中で深作監督の1連のこれら暴力を題材にした映画は異彩を放っていたと言える。
フランシスフォードコッポラの代表作 ゴッドファーザー
ゴッドファーザーは全部で三部作が作られたが、そのどれもが傑作であり、イタリア系移民の裏社会での様々な出来事が詳しく描かれていた。
作品はそれぞれ独立してはいたが、ストーリーがすべてつながっていて第一作から第3作に至るまで、ファミリーと呼ばれる裏社会での様々な人間模様が描かれていたのである。
コッポラは大の日本びいきと聞く。彼は黒澤明に心酔し、深作欣二の様々な映画もこよなく愛していた。
アメリカではコッポラと並び称される超有名な映画監督がいる。
1人はスター・ウォーズシリーズのジョージルーカス。
もう1人は様々なヒット作を輩出しているスティーブンスピルバーグ。
コッポラを含めたこの3人は日本では黒澤監督の家にも個人的にお邪魔をして親交が深かったようである。
コッポラはゴッドファーザーシリーズでは、彼の映画に対する意気込みを遺憾なく込めたものと思われる。
物語は裏社会の中で暗躍するファミリーの話。
様々な出演者の中で、コッポラ自身の妹であるタリアシャイアを起用し、第3作では、実の娘であるソフィア・コッポラをマイケルルチアーノの娘役で起用している。
ほとんど自分の身内を出演させているところが、作品に対する愛着がうかがわれると言うもの。
ゴッドファーザーシリーズもテレビで3本続けて久しぶりに観させてもらった。
マーロンブランドやアルパチーノ、ロバートデニーロなどは主役としての存在感は言う事は無いのだが、物語を淡々と進めるストーリーの持って行き方などは、アメリカやヨーロッパの映画より日本的だなという気がした。
特に3作目で、アル・パチーノ扮するマイケルが最後の方で自分の娘を射殺されるシーンがあるのだが、ここでのアル・パチーノが絶叫して泣きわめく部分は、作品全てを統括していた気がする。
画面を通して見ていても、鳥肌が立つような演技だったと感じた。
深作欣二の描く映画とコッポラのゴッドファーザーは不思議な共通項を見いだせると感じたのである。
運命に逆らって自分の人生を生きようともがくのだが、皮肉なことに予期せぬ事態が次々と起こって自分自身の思いとは全く別な方向に進んでしまう、そういった人生の歯がゆさが巧みに描かれていたのである。
北野武
北野武監督も暴力を題材にした映画を一貫して撮り続けている。
アウトレイジなどに代表される様々な作品は、一見、深作欣二監督の1連の作品のようでもあり、また黒澤明の古い映画に味付けが似ていたりも感じるのだが、北野監督が描きたいと思っているのは、心の欲望が他の人と関わることによってどのように進んでいくのか、その辺の機微を表現したいと思ってるのではないか
作品の中で様々な俳優が起用されているが、特にこれといって台本は与えないのだそう。
決してアドリブで演技するのではないが、セリフなどはその時その時の感じた言葉で演じているようだ。
セリフを覚える必要がないような気もするが、実際は台本がある作品よりも演技は難しいのではないか。
今や日本を代表する世界的に著名な監督である。
これからさらに様々な作品を作り続けるに違いない。
クエンティンタランティーノ
キルビルはもうずいぶん前の映画になってしまったが日本人俳優がたくさん出ていたことでも知られている。
タランティーノ監督は深作欣二監督を敬愛していたと聞く。
暴力の描き方は強烈と言っていいかもしれない。とにかく血しぶきが飛ぶのである。
このタイプの映画が好きな人にとっては痛快極まりないだろうが、少し食傷気味に感じる人もひょっとしたらいるかもしれない。
記憶の中で間違いなければ、主役のユマ・サーマンは俳優ゲイリー・オールドマンと夫婦だったことがあった。
様々なハリウッド俳優の中でも、演技派として知られている。
タランティーノ監督は作品を作る上でのモットーが娯楽映画と割り切っているようだ。
観客が見ていて楽しめることが第一の条件として挙げているようだ。
それはとりもなおさず、観客が求めているものを提供しようとするマインドである。
見る側にとっては、大いに期待が持てると思う。
ロマンポランスキー
戦場のピアニストは、すでに20年近くも経った映画だが、第二次世界大戦中のホロコーストを描いた映画で、その当時も今も極めて評価の高い作品だと言える。
ポランスキー監督はこの映画の中で、淡々と暴力を描いていた。
描き方は独特の手法で、見ていて感情移入が極端に控えめだった気がするのである。
人を殺すシーンも、恐怖に怯えたり、殺意にみなぎったまなざしなどほぼ描かれる事はなく、事実だけが淡々と画像として流れていたのである。
このような暴力の描き方もあるのだと、映画を何度か見るうちに感じいったものである。
この作品で主演したエイドリアン・ブロディは史上最年少のアカデミー主演男優賞を受賞している。
作品にかける意気込みも凄まじく、1ヵ月で10kg近く体重を落として撮影に臨んだようだ。
作品の中で一貫して流れるショパンのピアノ曲が、この映画を暴力映画とは思わせない上品な格調高いものに仕立て上げていたと思う。
この映画の大きな特徴は、実在したモデルがいたことだろう。
ポーランド出身のユダヤ系ピアニストシュピルマンがその本人である。
映画はいちど見ただけでは、必ずしも伝わってこなかったのだが、何度も見ているうちに映画の持つ本当の値打ちが理解できたような気がする。
映画は、言って見れば歴史のひとこま。
過去にはこのようなつらく悲しい物語があった、言い伝えであると言える。
まとめ
映画のジャンルは様々あるが、人間の欲望を描くときに暴力は決して避けられない題材だと言える。
昔からこの題材で様々な映画が作られてきたと思う。
特に暴力は映画以外の表現方法は向かないのかもしれない。
映画だからこそ、役者を介して様々な表現が可能なのだろうと考える。
もちろん原作として、小説などが用いられる事は多々あるが、映画の場合は必ずと言っていいほど原作をもとに脚本が作られるのである。
脚本になった段階で、原作とはまた別の作品になったと言えるだろう。
この題材は、様々な芸術分野でこれからも取り上げられるに違いない。
映画として鑑賞するにはこれからも退屈することなぞなさそうである。