くわちゃんの独り言

音楽や映画が大好きな爺さん。長年の経験から知りえたことを発信します。

ビバルディの春がやってくる

 

作曲家アントニオビバルディ

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私たちがよく知る肖像画はこちら

目次

 

イタリア出身のバロック音楽の代表とされる作曲家。

ビバルディの名前を知らないクラシックファンはいないだろう。

あまりに有名なこの作曲家は、音楽一家の出身では無いようだ。

彼の父親はイタリアはベネチアの理髪師である。

しかしながらバイオリンの腕前がプロレベルでベネツィアの観光案内の表紙にもなるほど有名だったそうだ。

アントニオはこの音楽好きな父親の才能を遺憾なく受け継ぎ幼い頃からバイオリンの手ほどきを受けていたようだ。

イタリアのベネチアで生まれて少しずつ活躍するようにはなるのだが、この時代では音楽の仕事に就く場合、教会の司祭になることが選択肢として挙げられたようだ。

アントニオは神学校に入り、23歳のときに司祭の位を得ている。

 バイオリンの名手

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確認は取れていないがこちらもビバルディとされている

父親譲りの才能でバイオリンの名手とされている。

ビバルディの作曲は協奏曲を多く作曲したことでよく知られている。

有名な「四季」もバイオリン協奏曲の形をとっている、と同時に弦楽組曲でもある。

一度聞いたならば決して忘れることのないメロディーラインはあまりに有名。

教会の司祭の位を持っていた

ビバルディのように音楽の仕事で生計を立てようとすれば、音楽一家の出身ではないだけに簡単に仕事が見つかるわけではなかったようだ。

バイオリンの才能を生かして音楽家の道を目指すのならば、まず教会の 司祭の位をとって、演奏家、あるいは作曲家、または教師の道を目指すのが1番手っ取り早かったようだ。

彼の身分は「協奏曲長」と呼ばれる。

今でもクラシック音楽の様々な演奏スタイルの中で、このビバルディの四季などはソロを受け持つバイオリンの担当者が楽団全体を指揮している場合が多い。

おそらくは当時もこのような演奏スタイルを用いていた可能性がある。

ヨハンセバスチャンバッハと同時代

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バッハ 「音楽の父」と呼ばれる

ドイツに生まれたバッハはビバルディと同時代の作曲家であり、お互い親交を持つ間柄ではなかったが、バッハはどうやらビバルディの作曲した写譜の楽譜を所有していたようだ。

当時、バイオリニストでもあり作曲家としても著名だったビバルディはヨーロッパ全土にその名前が知れ渡っていたようだ。

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あまりにも有名な「四季」

クラシックファンなら誰しもが知っていて、おそらく世の中の人誰しもが聞いたことがあるだろう曲。

わかりやすくきらびやかなメロディーライン。まるで絵画を見るような臨場感。

この曲からはそんな印象が伝わってくる。


Vivaldi: Four Seasons/Quattro Stagioni - Janine Jansen - Internationaal Kamermuziek Festival

演奏は冒頭からきらびやかなバイオリンの掛け合いで始まっている。

感想を一言で述べるならば、とてもわかりやすいことだろうか。

誰が聞いても耳に残るし、好みは別として穏やかで癒されるような気持ちになるのではないか。

この演奏で採用されている楽器は、 1部は古楽器を使用していると思う。

この曲ほど様々な編曲がなされて、様々なバージョンが存在するのも大きな特徴。

ここはなるべく、オリジナルに忠実なものを選んでみた。

もちろん器楽曲であるので、歌詞がつく事は無いのだが、日本の平原綾香などは歌詞をつけて歌っているようである。

 まとめ

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やはりバイオリンの名手だけあって楽器と共に描かれることが多い。

調べてみるとビバルディは生涯独身だったようだ。

芸術家で生涯独身を通した人たちは多い。音楽家ではベートーベン、ブラームス、シューベルト。ざっと数えただけでもすぐに思い浮かぶ人たち。

アントニオビバルディの場合は、司祭と言うこともあって独身を貫いたに違いない。

ビバルディの魅力

彼の魅力はなんといってもわかりやすさだろうと感じる。同時代のバッハやヘンデルと比較してみてもクラッシック音楽ぜんとしたところが少ないと言えるのではないか。

バッハ、ヘンデルといった人たちはその時代の音楽の様式を厳格に守り、また非常に複雑で難解な複旋律音楽を構築していた。

これらの作曲家に比べると、ビバルディは歌謡曲のような親しみやすさを感じるのである。

彼は作曲家としていかに観客を楽しませるかを多分に模索していたきらいがある。

つまり聞いていて心地良いこと、それがわかりやすく伝わる事が彼のアイデンティティーだったように感じるのである。

評論家の中には、ビバルディの音楽に批判的な人たちもいるのは事実。

音楽の変化に乏しく、果ては下品であると蔑む意見すらあるのである。

おそらくは他の作曲家たち、とりわけバッハ、ベートーベンといった古典派の作曲家の作品と比較しているのではないか。

あえて私の乱暴な意見を言わせていただければ、モーツアルトのきらびやかさに通じるものを感じる。

モーツアルトもクラシックの作曲家でいながら、どちらかと言えば大衆向けのわかりやすい作曲を心がけていたように思う。

ビバルディとモーツアルトは私の中では同じようなジャンルに分類されるのである。

季節はもうすぐ春。

ビバルディの春がやってくる。