くわちゃんの独り言

音楽や映画が大好きな爺さん。長年の経験から知りえたことを発信します。

黒澤明と三船敏郎の親密な関係

 

お互いを認め合う切っても切れない関係

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椿三十郎撮影中のお二人

目次

 

この監督と俳優はまるでセットと言える位コンビを組んで作品を作り続けてきた。

三船敏郎には評判があって、黒澤明がいたからあれだけ有名な俳優になれたのだと。

しかし黒澤明本人に言わせると、三船敏郎ほどの俳優は他にはいなかったのだ。

彼がいたから作品に対する限りない意欲がわき、私は納得のいく作品を作り続けることができたのだと。

 2人の関係は三船敏郎デビューの頃から始まっている。

三船敏郎は演技指導に対し、1つ教えれば10 理解するほどの まれに見る才能の持ち主だったんだそう。黒澤明をして彼以上の俳優を見たことがないと言わしめた。

三船敏郎の俳優としてのそこ知れぬ実力と可能性、そして黒澤明の映画への尽きることのない情熱。

これが2人の関係の全てと言える。

俳優三船敏郎の評判

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酔いどれ天使のひとこま 三船敏郎と志村喬

三船敏郎が一躍ブレイクした作品はこちらの「酔いどれ天使」

この作品の圧倒的な存在感は、三船敏郎が並々ならぬ俳優であることを物語っている。

私はテレビでしか見たことがないが、自らの愚かな性格ゆえに自分を滅ぼしていくそのような役柄をまさに役柄になりきって演じていた。

同じような役をやらせると、フランスのアランドロンが非常に上手くて魅力的だが、三船敏郎の存在感はアランドロンの比ではない。

この作品に出演した頃から、三船敏郎は志村喬を自分の父親のように慕い、自分の住まいも志村喬の自宅に下宿するほど親しい間柄だったようだ。

最も大酒のみの三船は酒を飲まない志村と一緒に飲み歩く事はなかったようだ。

お互い俳優同士、大いに認め合って尊敬しあった仲だったと言える。

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椿三十郎の決闘シーン 圧倒的な説得力を持つ

この決闘シーンを覚えている人は多いと思う。

お互いみあってから決着がつくまでわずか1、2秒のあっという間のシーン。

かつてこのような描かれ方をするようなアクションシーンはなかったと言える。
これは居合抜きの果たし合いのシーン。

素人が見ても一瞬何が起こったのかわからない位の素早いシーンだったのだが、実はこのシーンを始め様々な殺陣のシーンが外国の映画監督に多大な影響を与えたとされている。

黒澤明の言葉を借りれば、三船敏郎は殺陣が当代随一とのこと。

撮影した後のフィルムをよく見ていると三船の抜き放った刀の姿が一陣の光の筋となって、画像として写っていないのだそう。それぐらい素早い刀裁きの持ち主だったようだ。

これだけの技術は他の俳優では到底無理だったと彼をして言わしめている。

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七人の侍でのひとこま

七人の侍は世界的に有名な娯楽作品。映画は楽しいものだと改めて実感させる、そういった作品である。

この作品を始め黒澤映画のいくつかの作品はハリウッド作品としてリメイクされ世界中にその存在が知られることに。

七人の侍は、「荒野の7人」として。

用心棒は同じく「用心棒」としてリメイクされた。

どちらも西部劇である。荒野の7人はユルブリンナー、用心棒はクリントイーストウッド。それぞれが主演をして、大ヒット作品として有名。

監督黒澤明

黒澤明は不思議な監督で私の印象では日本の評価よりも外国での評価の方が圧倒的に大きいと言える。

最近のハリウッド映画の第一人者と呼ばれる監督たち、あるいは俳優たちは皆黒澤明に心酔しているのである。

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1990年名誉賞受賞の時スピルバーグルーカスとともに

 この撮影当時、ルーカスもスピルバーグもハリウッドを代表する第一人者の映画監督だった。

特にルーカスはあの有名なスター・ウォーズシリーズに黒澤明の秘蔵っ子である三船敏郎にオファーをかけているのである。

調べてみてわかったことだが、スター・ウォーズのエピソード4あのオビワンケノビの役に三船敏郎にオファーをかけている。これは断られている。

そしてその後のジェダイの復讐の時にも、ダースベイダーが仮面を取ったときの配役でオファーをかけているのである。つまりアナキンスカイウォーカーの役柄である。

三船敏郎は他の作品の出演があったので、このオファーを断っていたのだ。

ジョージルーカスはダースベイダーが仮面を脱いだときの顔は極力三船に似せてくれとスタッフに指示していたらしい。

まとめ

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加山雄三とともに撮影現場にて

三船敏郎が気さくで誰からも愛される人柄だった事はどこから調べてもその結論にたどり着く。

もともと役者志望ではなかったので、役者としての面接を最初に受けたときなどは、ハナから受かる気など毛頭なく 、ズボンのポケットに手を突っ込んでぞんざいな受け答えをして面接官の顰蹙を買うようにあえて演技していたと聞く。

しかしながら、この時の受け答えの圧倒的な存在感が俳優として大きな可能性を見出したものがいて、それ以後俳優としての活動が続くことになる。

三船はスタジオには決して遅れることなく、またセリフや演技などはあらかじめしっかり自分の中に叩き込んで撮影に臨んでいたようだ。

その徹底ぶりはほとんど完璧主義者の領域で、場合によっては台本を持たずに手ぶらで撮影所に行くこともあったようだ。それぐらい役にきちんとなりきって演技する側の準備が整えてあったようだ。

また、自分の手が空いたりしていると、大道具その他のスタッフたちの手伝いを率先してやっていた話もよく聞く。

決して偉ぶることなく、誰かが大変そうにしていたならばすぐに駆け寄って手を差し伸べる、優しい性格だったようだ。

また撮影所の仲間内には自分の先輩だけではなく、スタッフや後輩の隅々に至るまで挨拶を欠かさなかったようである。ここら辺の話で三船敏郎の悪い噂は一切出てこない。

意外に知られていないことだが、三船敏郎はなかなかの料理の腕前だったようだ。

自分で食材を買い揃えて料理をして、皆に振る舞うこともちょくちょくあったと聞いている。

もし三船敏郎に欠点があるとすればたった1つ。

それは大酒のみであること。

酒を飲んで酔いが回ると、性格が一転するのである。

奇声を発して暴れまわるなど、奇行、蛮行の話が出てくる。

残念ながら酒乱だったようだ。

思い出とともに

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昨日の記事でも紹介したツーショット写真

残念ながらお二人とももう存命ではない。

しかし様々な事柄を調べてみると、日本人として誇りに思う2人である。

お互いは監督と俳優の間柄ながら切っても切れない関係でそれぞれが影響しあい、また高めあって優れた作品を世の中に輩出し続けた。

三船敏郎には国民栄誉賞の話もあったようだ。実現はしていないようだが。

黒澤明も三船敏郎抜きの映画を何本もとっている。

作品に対する評価は様々あるが、黒澤映画の匂いは十分に感じられるものと思っている。

この2人のコンビの作品は、今でもテレビなどで放送される場合があるだろう。

チャンスがあれば何度でも見て楽しみたいものである。