くわちゃんの独り言

音楽や映画が大好きな爺さん。長年の経験から知りえたことを発信します。

今だから語る渋沢栄一ってこんな人

 

幕末維新の時から活躍

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一橋家お抱えのお武家さん

目次

 

今の埼玉県深谷市の出身と聞いている。ちょうど幕末の頃、江戸へ出て活躍し始めるのだが、いろいろ調べてみると周りで様々な人の援助を受けて路頭に迷うことなく活躍する場を与えられているようだ。

小さい頃から本を読むことをしつけられており、家は事業を行っている裕福な家庭だったが、渋沢自身も事業の手助けとして様々な商いの基本を学んでいたようだ。

また地元の剣道道場で神道無念流を学び、後に神田お玉が池で北辰一刀流を学ぶことに。

この時に当時の勤王の志士たちと交流を深め、尊王攘夷の思想に目覚めていったようだ。

かなり過激な思想の持ち主だったと見えて、いっとき不祥事を起こそうになるのだが、親戚から慰留され、その後京都に出て時の将軍となる一橋慶喜の門下で働くことに。

つまり最初は幕府の要職として支えていたのだ。

新選組との深い関わり

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新選組隊長近藤勇と沖田総司の可能性

当時の京都の見廻り組新選組の面々とも親交が深かったと記録に残っている。 

近藤勇、土方歳三、沖田総司や永倉新八など知り合いであったようだ。

また、幕府の名代としてフランスで行われたパリ万国博覧会の随行員として選ばれた。

その時に外国語に目覚め、またパリにて資本主義に関わる株式制度など様々な最新の知識を学ぶこととなり、当時は幕府側の人間ではありながら、最新の思想や制度などを取り入れる立場にあったようだ。

日本の資本主義の礎を築いた

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晩年の渋沢栄一

明治維新となって、政府から日本への帰還命令が下り、日本へ戻った後、静岡県に隠居していた元将軍の 徳川慶喜に謁見し、これからは自分自身の道を歩むようにとさとされたようだ。

渋沢栄一の優れたところは、決して私利私欲に走ることなく、大勢の利益を優先するところにあった。しかも行動にあたっては最新鋭の考え方やシステムなどを遺憾なく取り入れていたようである。

この渋沢の持ち味は大勢の人たちの賞賛するところであり、幕府側の人間でいながら大隈重信の推薦で明治政府の大蔵省に入省しているのである。

彼の業績は、限りなく大きいと言える。

特に日本の銀行の出発点は渋沢栄一の発案によるもの。

第一銀行、つまり今のみずほ銀行であるが渋沢の創業である。また渋沢の凄いところは、自分自身の利益を求めていない故に、他行の発展にも大いに貢献しているのである。

また銀行だけにかかわらず主な産業の最初の計画には必ずと言っていいほど彼の名前が出てくるのである。例えば製紙業、倉庫業、運送会社、製粉業、これはと思う産業は全て渋沢が関わっているようだ。

またその影響力は、産業だけに関わらない。

大学の設立、病院の設立といった国民生活になくてはならない重要な分野においても彼の先進的な考え方は遺憾なく生かされていたのである。

調べてみてわかったことだが過去には2度ほどノーベル平和賞の候補にもなっている。

それは外国との関わりにおいて、特に対アジアへの彼の姿勢が大きく評価されたもの。

これだけの業績がありながらも、今まで紙幣には採用されてこなかった。

当初はヒゲが生えていないからとか様々な理由付けで外されていたらしいのだが。

少なくとも業績のみに焦点を当てるならば、伊藤博文や福沢諭吉などをはるかに超える存在である。

今回の採用も満を持しての感がある。

 10,000円札の肖像画

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全体の見本

新しい札の見本が発表になったようだ。今まで採用されなかったのが不思議な位の有名人である。

渋沢栄一の本当の値打ちは何かを考えてみると、明治の頃の経済人の中には今の日本の経済のけん引役である人たちがたくさん輩出しているのだが、彼らは皆1様に自分たちの財閥をこしらえている。

例えば三井、住友、などであろう。

しかし渋沢財閥は存在しない。株式制度など多くの近代的な手法を広めていながら、渋沢自身は自分で財閥を所有することをよしとしなかったのである。

渋沢が目指していたのは多くの人たちの利益、つまり公益であろう。

渋沢家が保有する株式はどのような事業に対してもごくわずかしかなかったようだ。

渋沢の影響力、説得力によってたくさんのお金は集まっただろうが、それによって彼自身が事業自体をうんぬんするようなことにはしなかったようなのである。

あくまでも関わった人たちが、それぞれが納得できる形で参画できるようなことを画策していた。

日本の福祉事業の草分け

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全社協役員室に置かれた胸像

意外と知られていないことだが日本の福祉を考えたときにどこの市町村にもある社会福祉協議会。

ここは役所とは別に設立された機関であるが、渋沢栄一の発案のようだ。

渋沢は最近もテレビでいくつか紹介されていたが、社会福祉事業にもとても熱心な活動家で知られている。

人々が貧しい人で溢れ帰ったら国は滅びてしまう。

生活困窮者をきちんと救済していくことこそが国の発展の礎になると確信していたのだ。

彼は経済活動ばかりが注目されがちだが、実際は平等博愛といった慈善活動を熱心に行った。

赤十字社や東京養育院など様々な部署の設立にも関わっている。

特にこれらの組織の運営にあたって、決して税金からお金を投入しようとせず、人々の寄付を募ることを真っ先に行ったことでも知られている。

(この当時、慈善事業に公金支出を訴えたところ議会などから激しく反対された経緯がある) 

役所があてにならなければ、自ら訴えて出て世の中全体で支えるのだと、渋沢は考えた。

日本の社会福祉事業のまさに草分け。

明治維新の功労者はたくさんいるが、その実績や精神から見ても渋沢はダントツでナンバーワンなのかもしれない。

社会的弱者と呼ばれる人がきちんと守られなければならないと世の中に知らしめた人でもある。

まとめ

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この本はいちど読んだことがある

渋沢栄一は文化人としても一流であると言える。

こちらの本はかつて私が読んだもの。孔子の論語を引用している内容である。 

この本は、渋沢栄一が、幕末から明治にかけての様々な人との関わりにおいて本人の見解を述べたものである。

今ちらっと読み返してみても、ある意味暴露本と言える。

幕末から明治にかけて活躍した様々な著名人が出てくるがその人となりが実に新鮮に浮かび上がってくるのである。

本の内容は渋沢の1人称で書かれてはいるのだが、手前味噌な部分が驚くほど少ないとも言える。

今読み返してみてもかなりの値打ちのある本と言える。

考え方に共感できる部分が多いのだ。

 1つは、その当時の最新鋭の知識やシステムを取り上げていること。

もう一つは、自分自身の利益を決して追求していないことだろう。

この点が特に大切だと言える。

財閥の創業者であれば立身出世物語で終わってしまうのだが、この本の内容は全く違う。

自分自身の思いを綴っておきながら、世の中の発展のための啓蒙書の形をとっていると言える。

少なくとも渋沢栄一は近代日本の礎を築いた大恩人であろう。

ひょっとしたら、今でも彼の思想や先進性が通用するのかもしれない。

そう思いたくなる偉人である。