イスラムのお祈りの言葉アザーン
目次
BEAUTIFUL AZAAN IN A CHURCH USA (LATEST)
無伴奏のアリアとして聴いても充分鑑賞できますよね。
これはアザーンと言ってイスラムの祈りの歌なのですが、祈りそのものではなく、これから祈りが始まりますよと言う呼びかけのようです。
コーランの一節を唱えているのかなとずっと思ってましたが、コーランの中身を唱えるものは別にあるようですね。
イスラムの国に行くと、スピーカーから結構な音量でこのアザーンが流れてくると聞きます。
旅行する人にとってはこのような体験は、多分、特別なものになるでしょうね。
イスラム教はその教義上、 1日に何度かメッカに向かってお祈りを捧げなければいけません。そしてその時間もきちんと決められていると聞きます。
アザーンはその時間を知らせるための呼びかけのようなものなんですね。
このアザーンが流れない地域では、祈りの時間を知らせるための目覚まし時計のようなものや、スマホのアプリもあります。
自分のスマホでも確認してみたところちゃんとありました。
どのように機能するのか、ちょっと確かめてみたい気分です。
アプリをインストールすると様々なコーランの詠唱が流れるだけではなく、時間その他の設定がきちんとできるようになりますね。しかも同じ信仰を持った者同士が連絡を取り合えるようなシステムになっているようです。
イスラム教徒でない私はこれ以上好奇心で中を覗く事は少し憚られると思うので見聞きする事はしませんでしたが。
カソリックの祈りの歌グレゴリオ聖歌
グレゴリオ聖歌: 賛美歌「誠実な十字架」[ナクソス・クラシック・キュレーション #癒し]
カソリックでは大体グレゴリオ聖歌が賛美歌として歌われておりました。
教会においてミサのときにはなくてはならないアイテムだったようです。
いくつかの約束事があって、聖書の中身を歌いあげるのですが、言葉は本来はラテン語を用いていますね。
そして男性合唱の無伴奏が本来の形です。
音楽として鑑賞することに特化すれば、ヒーリング系の音楽と言えるでしょう。
気持ちが癒される点では、最近のものよりもその効果はあるかもしれません。
この音楽も他のものと同様に、聴く側がどのように感じるかによってその値打ちが決まるといえます。
最近になってからラテン語のみでなく、その土地その土地の言葉に合わせて歌って良いことになったようです。
宗教行事の一環として行われるので、厳格な作法があるのは当然のことと思われます。
我々現代人は忙しさの中に埋もれて生きているので、このような音楽に触れる機会が少しでもあったほうがいいなと思うことしきり。
音楽の原点
音楽が、特に西洋のクラシックのジャンルでは宗教との関わりが切っては切れないものでしょう。
その宗教の儀式の中において音楽は利用され、そのメソッドを向上させて発展してきたといえます。
あのピアノの魔術師フランツリストが、宗教音楽の素晴らしさに触れて、自分自身も宗教をしっかり学ぼうと思い立ち司祭の位まで取得したのは有名な事実ですね。
特にキリスト教系の宗教は感性に訴える宗教なので、音であったり絵とか彫刻などをしっかりと整えて人間の感覚に訴える。
大きな教会の伽藍の中で壮大な音楽を奏でる。
キリスト教イスラム教またユダヤ教 皆、共通した現象と言えるかもしれません。
宗教を学ぶ上で音楽は他の芸術同様必須だったのですね。
アザーンとグレゴリオ聖歌は神をたたえる文言として長く受け継がれてきた歴史があります。
詩を 音に出して述べるときにこれらの音楽的なシステムがどれだけ大きな役割を果たしてきただろうか。
心に心地よいものを求めつつ発展してきたのだと改めて実感しますね。
まとめ
キリスト教系の文明は兄弟ともいえるべきイスラムと何度も敵対関係にありました。
歴史上何回も起こった十字軍の遠征は聖地エルサレムをめぐる戦いだったのですね。
お互いに言い分があって自分たちの祈りを守るために戦いを挑んだのです 。
宗教は本来平和の中にあってこそ存在価値があるのですが、これらの歴史は実はその間逆を行っていたのかもしれません。
どこでどのように歯車が狂ったのか分かりませんが、戦うことによって存在価値を見出してきた悲しい歴史があります。
この何十年かは、イスラム原理主義と呼ばれるテロ組織が欧米に蔓延して非道な事件が限りなく起こりました。
宗教がらみの事件なので、もともとの宗教がどうなのかと大抵の人は思うはずです。
その時にこのアザーンとグレゴリオ聖歌を聞いてその内実に思いを馳せなければいけないと思うのです。
アザーンを初めて聞いたときに、その美しさに感動を覚えたのを思い出しますね。
これだけの美しい芸術を軽々と維持できて日々耳にしている人たちが非人道的な犯罪者になるわけがないじゃないかと、単純に私は考えた。
今でもその感覚が間違いではないとそう思い続けてますね。
キリスト教イスラム教ユダヤ教どの教義でも平和であることが推奨されるはずです。
単純なことではあるのですが、敵味方に分かれてしまえばもう戦うしかないじゃないですか。
相手の保持しているものの素晴らしいところを一つ一つ探すべきなんでしょうね。
私など単純にそう思いますね。
この素晴らしい音楽が平和の礎となるようその本来の役割をしっかりと果たしてもらえるよう祈らずにはいられません。