朝ドラから始まる1日のルーティーン
目次
仕事もリタイヤできてある程度時間のある身の上。
生活の中で、テレビは切っても切り離すことができない。
子供の頃のテレビは、記憶をたぐってみれば、多分14インチほどの大きさだったかと。
その小さなテレビを家族4人で並んで見ていた記憶が。
今では一人暮らしであることをいいことに、49インチの大型テレビを独り占め。
毎朝見る番組がある。
それはほかならぬNHKの朝ドラである。
決してNHKの回し者ではないが、コマーシャルが番組に入らないのが何よりも気にいっているので、そして、受信料もきちんと納めていると言う自負心があって、どちらかと言えばNHKをより多く見るきらいが。
私が見る朝ドラは、BS放送でやっている朝7時15分から始まりの「おしん」7時半から始まる「なつぞら」
最初はとにかく北海道の十勝を題材にした今の朝ドラがみたくて、いつものルーティーンに入れたのだが、 7時15分からの再放送も必ずあって、それがまた面白いと思うように。
調べてみると、「おしん」は今の若い世代がずいぶん興味深く見ていると言うニュースがあった。
とにかくドラマは役者たちを始め、片手間の作業では作っていない。
みんな本音でぶつかりあって非常に重たい題材を変に脚色することなく作り上げている。
この明治の頃の東北地方の農村の貧しい小作の物語をこぞって見ていると言うのだ。
脚本を書いた橋田寿賀子も丁寧な取材をしたと見えて、物語そのものに非常に重々しい信憑性を感じるのである。
テレビで見れるのは映画だけではない
NHKのBS放送でやる番組の中に宇宙関係の特集番組がある 。
コズミックフロントと呼ばれる。
この番組では宇宙物理学についての詳しい取材がきちんとなされていて、それに基づいて番組をこしらえているのである。
見ていて感心するのは、番組の組み立て方もさることながら、妥協を許さない取材にあるだろうか。
1時間ほどの番組でも数ヶ月はおろか半年以上もの長い取材期間を経て番組が作られている。
よほどのマニアでなければ、これだけの事はなかなかできない。
このような宇宙物理学ではオタクと呼ばれる者たちがたくさんいるのも事実。
この学問においては、アインシュタインの相対性理論の解釈が欠かせない。
しかし私などもオタクの1人として感じるのだが、一般相対性理論などおよそ素人が論じることができるようなシロモノではない。
興味があるとか理解をしてみたいぐらいの欲望では全く歯がたたないのである。
この番組では、そのようなオタクたちの気持ちを微妙にくすぐるような巧みな説明で興味を引き、さらにこれからの展望もうまく取り混ぜながら番組を見ることを全く飽きさせない。
特にホーキング博士に関しては半年以上もの取材期間を経て番組をこしらえていたようだ。
またこの間のブラックホールの撮影に成功したときの放送も何年がかりかで番組をこしらえていたようだ。
普通のテレビドラマやバラエティー番組がごくわずかの短い時間で簡単に作り上げることを考えれば、これらの科学の分野の特集番組は考えられないような労力と時間をかけて丁寧な作りをしている。
そこのところを大いに評価するわけだ。
もちろん番組として視聴者に提供する以上は、鑑賞して面白いと感じる要素がなければそれは値打ちがあるとは言えない。
目で見るアイテムとしては、映画なども面白さと強みを持ったメソッドと言えるが、このような特殊な分野に限った番組も捨てがたいものがある。
映画ももちろん面白いのであるが、それ以上の値打ちを感じるのは多分私だけではないと思う。
テレビの今昔物語
朝ドラの中でも「おしん」はNHKの金字塔と言える作品。
あの時小さかった少女の小林綾子さんも今はご覧の通りの中年女性の出で立ちである。
今の「なつぞら」にも普通に出演していただけるのはテレビっ子冥利に尽きると言うもの。
このような配役の妙はNHKならではだろうと思う。
これも朝ドラそのものがもう何十年も昔から放送してきた経緯があるからだ。
かつて小さな子役だったものが今は大人の役でというのは、長期間番組が継続した実績がなければ到底不可能な配役である。
番組を見ていてとりわけ何か重大なメッセージを感じることでは無いのだが、少なくともその番組の中で語られる物語の世界観には全く違和感なく感情移入できるところが、このドラマ自体の強みであろうと言える。
私は間違いなくテレビっ子だろうと自認する。
しかし映画と違って、このような特集番組だと1日に何本も見ることにはならない。
いかに仕事をリタイアした身であっても、そこまでの自由気ままな時間は持てない。
仕事の合間合間で、時間を見つけながら1日に何時間か見るのである。
テレビから得られるものは、好奇心の満足だけではないだろう。
月並みな言い方だが、今の朝ドラのような番組だと、おそらくたくさんの人を勇気づけるのではないか。
番組を見ていれば、自ずと自分も頑張らねばと言う気持ちになるのではないか。
ありきたりのようだが、番組は視聴者に元気と勇気を与えていると今更ながらに思うのである。
まとめ
テレビの放送が始まったのが昭和27年である。
私は昭和28年生まれなので、ほぼテレビと同じように生まれて生きてきている。
昔の世の中では、テレビを家族揃って見ることが、その家族そのもののルーティーンでもあった気がする。
なにがしかのみたい番組があって 、多少のチャンネル争いはあったものの、家族全員で同じ番組を見ていた気がする。
また今のように番組を自由にたくさんの中から選べる状況にはなかった。
子供向けの漫画のようなものももちろんあったが、番組は時間がきちんと決められていて、今のようにのべつまくなし似たような番組が横行するような事はなかったと思う。
今のテレビの視聴は昔と比べれば比較にならない位の発展を遂げていて、映像を映し出す機械そのものもシステムも別次元の優れたものに変わってきた。
当然のことながら視聴する番組も比較にならない位たくさんのものが用意され、はっきり言ってよりどりみどりである。
ここでテレビっ子として感じるのは日がな一日見るにはやはり体に良くないと感じることが多い。
テレビはエキセントリックで楽しいが故に、長時間ダラダラと見るのは不可だと感じる。
おのずと時間を決めてなるべく集中して見られるようにするのが良いのではないだろうか。
最近、自由な時間が多くなってきたこともあるのだが、思いのほかテレビを見ていない自分に気がつく。
今はテレビを見る時間ももちろんあるが、それ以上にインターネットで様々な検索をしたり、SNSでの情報交換が主流となってきているかもしれない。
私などはテレビとネットは多分半々位だと自覚している。
それが良いことか悪いことなのかは私にはよくわからないのだが、1つの目安として、インターネットで情報を取り入れると同時に発信することができるようになったこと。
このことはテレビでは叶わなかったこと。
しかしながらこれからのテレビは、自ら番組を作るようなそのようなことも取り上げられていくに違いない。
今のネットではYouTuberなる仕事があって、彼らは小さなテレビ番組とも呼べるべきものをネット上にアップしている。
第一人者とか中堅クラスの人であれば、年に数千万円から数億円の収入を得ていると聞く。
テレビとの違いは一目瞭然で、昔ながらのテレビっ子はこれからは多分流行らない。
自慢じゃないが私は昔からのテレビっ子。
ネットの凄さを実感しつつも、昔ながらのテレビの面白さにどっぷりとはまるのである。