くわちゃんの独り言

音楽や映画が大好きな爺さん。長年の経験から知りえたことを発信します。

悪魔に魂を売った? パガニーニの凄さ

 

すべての超絶技巧はここから始まった

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二コロパガニーニ 凄まじい超絶技巧ゆえに悪魔に魂を売ったと噂された

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目次

 

  18世紀から19世紀にかけて活躍したイタリア出身のバイオリニスト。

その当時、ほとんど誰もができなかったような超絶テクニックでバイオリンを演奏。

大変な人気と実力で一世を風靡した。

彼の超絶技巧を目の当たりにした様々な作曲家たちがこぞって真似をしたことでも知られる。

有名なところではリスト。彼は20歳の時にパガニーニのコンサートに出向いて超絶テクニックを目の当たりにするのである。

この時に、青年リストは心に決めたとされる。

「私はピアノのパガニーニになる!」

この時の衝撃がその後のリストを決定づけたと言える。リストはピアノに関しては魔術師と呼ばれ、他に比類なきものとされた。

またシューベルトも同じように魅了された1人。

当時まことしやかにささやかれた、悪魔に魂を売ったうんうん。

パガニーニ自身は、実はかなり不健康な人だったらしく、顔色は浅黒くくすんでいてしかも落ちくぼんだ目がぎょろりと光る痩せ型の人。

ぱっと見た目は、何かいわくがありそうと思わせるのに十分な風貌だったらしい。

本当は幽霊かもしれないと、コンサートのときにはパガニーニの足元ばっかり見る人もいっぱいいたそうな。

しかし様々な記録を調べてみると、パガニーニの超絶技巧はまさに訓練の賜物。

彼は全身全霊をかけてバイオリンに向き合い、徹底したスパルタトレーニングであの技術をものにしたようだ。

この他に類を見ない特訓が、わかる人にはわかると見えて、同じ特訓をピアノに置いてリストは課していたようだ。

思いのほか悲惨な人生

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映画にもなった1シーン

パガニーニは1782年の生まれである。当初超絶技巧を駆使したバイオリンもさほど名声を得る事はなく、30歳を過ぎたあたりで、著名なプロモーターと出会ってそこから一躍名前が売れていくのである 。

 5歳の時に始めたバイオリンは13歳でほとんど完成の域に足しており、努力を裏付けするきちんとした才能が見て取れる。

しかし青年になってからは、バイオリン演奏のみではなく女癖の悪さや博打にうつつを抜かすなど素行の悪さが目立つようになって、また、30歳を過ぎてからは健康に対する様々なトラブルに見舞われるように。

特にこの当時医療技術といっても大したものがあるわけではなく、誤った診断やいい加減な治療でさらに健康被害が助長されたようなのだ。

特に喘息ににた咳が出ることで、結核と誤診されたこともある。

後にこれは間違いだったことが発覚。

誤った認識から下剤を多量に服用し、また水銀を治療薬として用いていたことなどそれらが中毒を引き起こして致命的なまでに健康を損なうことになった。

 42 3歳位でバイオリンも弾けない位不健康な状態となり、その時点で引退をしたとされている。

その後、さしたる活躍をできることもなく57歳で逝去している。

実際に名声を得て活躍できたのは10年から20年ほどと思われる。

パガニーニは無類の博打好きなだけあって、ケチだったことでも知られている。

自分の楽譜は、決して人に渡す事はしなかったようだ。演奏の時だけ楽団員に何日間か貸し与えて、演奏が終わった後は回収したとされている。

自分の演奏も練習中はほとんど他の者には見せなかったようだ。

楽団員たちは演奏会の当日、ステージ上で初めてパガニーニのソロを聞くことも多々あったとされている。

実はこのような厳しい管理をしていたが故に、現存するパガニーニの楽譜はとても少ないのである。

たいていは作曲家や演奏家が耳で聞いたものを、他の誰かが楽譜に書き起こしたもののようだ。

あれだけの才能に恵まれていたので、作曲も多数行っており、全て残っていたならば、音楽史も多少は変わっていた可能性がある。

バイオリンの名手として

映画にもなった有名なシーン。この主役を演じたバイオリニストもパガニーニの再来と歌われた超絶技巧の持ち主。

演奏するバイオリニスト本人が役者として演技するところは、この映画が本当に肝いりで作られたことを如実に物語っているだろう。


Niccolò Paganini - Caprice 24

魔術師リストに多大な影響を与えていた

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リストとパガニーニの出会いがよくわかるエピソード

 20歳の頃のリストはちょうど失恋したての頃で、人生に大きな失望をいだいてていた頃 。

学研が編纂した漫画である。うまく表現されてますよね。

最初に出会った楽器がバイオリンと言うところが運命なのだろう。

 およそバイオリンに関しては史上最高の称号を得ている。

バイオリニストと言えば他にも著名な人はいるのだが、有名なところではチゴイネルワイゼンのサラサーテだろうか。

彼もバイオリンの超絶テクニックで一世を風靡した。

 サラサーテはこれも特集番組で知ったことなのだが、パガニーニほど手指が大きくなかったようなのだ。

それゆえに普通の手の大きさのものがバイオリンでテクニックを駆使するときにはバイオリンの性質上、高音域で運指をするのが合理的であることを知っていたようなのだ。

名曲チゴイネルワイゼンは、そのようなサラサーテ自身の身体的特徴を反映した曲作りになっている。

なるほど言われてみなければ簡単には気がつかない。

パガニーニのバイオリンはその超絶テクニックを遺憾なく駆使するので、演奏を目の当たりにした観客は度肝を抜かれたとされている。

まとめ

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 ガルネリウスを愛用のバイオリンとして使用。かなりの作曲を手がけているのだが、楽譜の管理など驚くほど厳格で、そのほとんどを自分の懐にしまっていたため、現存するものは極めて少ない。

バイオリンでパガニーニに縁があったのはどうやらガルネリウス。

ストラディバリウスでなかったのがご愛嬌と言うところか。

しかしこれだけの天才である。

「弘法 筆を選ばず 」って所か。

ガルネリウスはストラディバリウスに匹敵する名バイオリンとされる。

世界に名だたるバイオリニストならばこのどちらかで演奏するのが常である。

パガニーニは最初所有していたガルネリウスを博打のカタで失ってしまい、その後、とある資産家から提示されたガルネリウスを譲り受けて演奏するようになった。

響きがとても素晴らしかったことにちなんで「カノン」と名付けていたようだ。

なくなるときには、本人の希望で決して誰にも譲り渡さないこと、また演奏もさせないことを条件にイタリアジェノバ市に寄贈されている。

現在はその約束は守られることなく、点検と称して毎年演奏されているようだ。

テレビで何度か有名なバイオリンの博物館に飾ってあるものを見たことがあるが、必ずと言っていいほど有名なバイオリニストが出向いていて試し弾きをしていた。

その時のバイオリニストの感想は、皆大体似たり寄ったり。

「バイオリンの弾きやすさを感じるが、普段、弾いていないので毎日繰り返し弾いてあげればもっと良い音がするに違いない」

バイオリンはどうやら演奏家の手に取って演奏して音を出してあげなければ、その性能は発揮されないのだとその時強く感じたもの。

音楽に関わる楽器はジャンルを問わず同じ傾向があるに違いない。

鍵盤楽器も、弦楽器はもちろん管楽器も同じ傾向があると言える。

吹奏楽をやっていた私の経験から見ても、音を出すことを頻繁にやっていない楽器は鳴りが悪いと経験上わかっていた。

科学的な事はよくわからないが、楽器自体が音を出すことによって振動する1連のシステムが出来上がって動き出すのだろうと思う。

パガニーニのバイオリンは、現在は耳に聞き覚えがあるものもあるのだが、演奏家泣かせと言うこともあって、生の演奏を聞く機会はそれほど多くはないだろう。

しかしYouTubeを始めとする様々な素材では思いのままで聴くことができるのである。

改めて良い時代になったと実感することしきり。

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