感動的最終回
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目次
昭和42年から昭和43年にかけてのTBS系のテレビ放送。
夜7時からだったと思うが、毎週日曜日を楽しみにしていた記憶が。
ウルトラセブンは初代のウルトラマンとは違い、同じようなヒーローものでありながら、怪獣相手ではなく侵略目的の宇宙人を相手とした様々なストーリー仕立てになっていた。
いろいろ調べてみてわかったのだが、当時スポンサーは武田薬品だったのだが、最初のウルトラマンのときには全くの子供向きだったので、できれば年齢層を上げて大人もターゲットに出来るような番組作りを求めていたようだ。
制作の円谷製作所では 、どちらかと言えば子供向きのヒーロー物を主体として考えていたので、多少の軋轢はあったらしい。
しかしウルトラマンと比較したときに、その番組作りに決定的な差があったような気がする。
ストーリーの差は当然のことだが、あの当時私が感じていたのはバックに流れる音楽が、とても素敵だったこと。
ウルトラマンがどちらかと言えばジャズテイストというかロックテイストの最新ミュージックだったのに対して、ウルトラセブンは明らかにクラシック音楽を意識していたと思う。
特に番組冒頭のホルンを始めとするオーケストラの演奏はクラシカルであるがゆえにとても好印象に感じたのである。
あの時は少年少女合唱団が主題歌を担当していたのだが、当時男性コーラスのバックも存在していた。実はそのグループにはあの尾崎紀世彦が所属していた。
主題歌の冒頭にセブン🎶セブン🎶セブン🎶とコーラスが入るが、3番目のセブンが尾崎紀世彦の歌唱であるのは結構有名。
またウルトラセブンでは主役を始め脇役にもアイドルは生まれたのである。
ウルトラセブンことモロボシダン。
森次晃嗣はこの作品で人気を不動のものにした。
そしてなんといってもいまだにラブコールが送られるのは、友里アンヌ隊員。
彼女を演じたのはひし美ゆり子。
持って生まれた美貌とともにスタイルの良さでも人気が出ていたが、実は彼女は最初のキャスティングではなくピンチヒッターとして番組に参加したらしい。
その時に逸話があるのだが、彼女が着るはずの衣装は前任者が着るはずのものだったらしく、少し小さいがゆえに体にぴっちりと張り付くようなデザインになってしまったらしい。
子供心にあのパツパツ感にときめいていたのを思い出す。
今にして思えばずいぶんと適当なキャラクター設定である。
彼女の役目は、どうやら医療担当なのだが、そのほとんどが看護師としての役柄だったようだ。
医者としての振る舞いではなかったと思う。
地球防衛軍なる組織の中でほとんどマスコット的な位置づけだが、当時は全く違和感を感じることもなく、防衛軍にぜひとも必要なメンバーなのだろうと信じていた記憶がある。
さて、およそ1年かけた後の最終回が驚くほど印象的だったことを思い出す。
音楽担当が採用したのはクラシック音楽をバックに流すこと。
そしてダンが自分がウルトラセブンであることをアンヌ隊員に告白するシーン 。
多分音楽ともマッチングが良かったんだろう。その伝えるべき心はしっかりと記憶に残っているのである。


はっきりって50年以上も前のシーンなのでと思うのだが、驚くほど鮮明に覚えているのは、映像と音楽とセリフがあまりに一致していたからであろう。
不思議なものでYouTubeで確認したところ、その時の怪獣とか宇宙人とかは全く記憶にはなかった。
なんといってもダンとアンヌのやりとり。
ウルトラセブンはこの最後のオチによって作品の人気を不動のものとし、それ以降のウルトラシリーズにもウルトラセブンとして、時たまモロボシダンは登場してくることになる。
様々なヒーローが生まれた中で 、ウルトラセブンだけは別格の扱いを受けている気がする。
作品の設定の中にあったウルトラ警備隊も、当時としてはこだわりで作っていたようなのだが、イギリスの人形劇で、当時大人気だったサンダーバードを多分に意識していたようだ。
特にウルトラホークが発進するシーンなどにその影響が色濃く出ているとされる。
様々なこだわりの中で作られたウルトラセブンは今日でもその人気は根強く、いまだに様々な話題が提供されることとなる。
バックに流れるクラッシック音楽
ピアニストリパッティはルーマニア出身のピアニストである。
若くして才能を開花させたのだが、わずか33歳で悪性リンパ腫、つまり白血病の1種であるが、病魔に侵されて帰らぬ人となった 。
正式にはホジキンリンパ腫が死因とされている。
今の時代なら、早期発見できれば5年生存率は80%を超える。
しかし20世紀の半ば位では、発症すればほとんど助かる事はなかったようだ。
このリパッティとカラヤン指揮で演奏されたのが、ロベルトシューマン作曲
「ピアノ協奏曲第一番イ短調」この演奏がウルトラセブンの最終回に採用された。
ちなみに演奏の録音年月日は1948年とのこと。
当然のことながらアナログ放送の古い録音ではあるが、選曲としては申し分なかっただろう。
監督や脚本担当等は、最初、この曲でないものを推薦したようだが、番組の音楽担当が考えた末にこの曲を採用したと聞く。
YouTubeからその番組の最も感動的な部分を紹介してみたい。
多分、説明は要らないと思うので。
この部分を聞いてクラシック音楽のファンになった人もたくさんいるので。
ウルトラセブンの作品の評価を一気に最高潮に高めたのがこの部分と言えるのかも。
1968年9月8日の頃


この当時は、まさに高度成長期を迎えようとするその始まりの頃と記憶している。
あの当時で思い出すのは、アポロ計画が始まっており、 60年代までに月旅行を実現するために東西世界がしのぎを削っていた時代。
さて、ウルトラセブンの番組を考えたときに、かなり無謀な設定と思うのだが、ウルトラセブンが故郷のM78星雲まで帰るのに、乗り物を全く必要としなかった。
つまり、いつものように飛んで帰っていったのである。
ウルトラマンシリーズはえてしてそういったところがある。
一体どれぐらいの時間を飛び続ければたどり着けるのであろうか。
子供心に不思議な感覚を持っていたのを思い出す。
まとめ
最近でも時々行われる様々なイベントでこのメンバーは召集されるようだ。
それぞれ還暦をはるかに過ぎているとは言え、十分に魅力的と言えるだろう。
ひし美ゆり子さんは、 SNSでも情報発信しており、かつてのレアな写真を報告したり、今でも活発である。
彼女のインスタを紹介しておきたい。
若い頃活躍していた様々な作品が年月を経ても多くの人に支持されるのは役者冥利に尽きると言えるだろう。
多分これから何かを画策することにはならないだろうが、これだけ人気のシリーズだったので、何らかの形で新しい企画が持ち上がるのかもしれない。
あの当時、少年だった自分が今でも思い出としてしっかり記憶の中に残しているのは、それだけ魅力があったと同時に、いろんな意味で影響力が絶大だった証し。
多分これからも時々は思い出すに違いない。