くわちゃんの独り言

音楽や映画が大好きな爺さん。長年の経験から知りえたことを発信します。

なつぞら 手塚治虫との関係あるのかな?

 

手塚治虫ってこんな人

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制作中の手塚治虫

 

 

目次

 

ConoHa WING(コノハウィング)

以前、NHKで放送された手塚治虫の特集番組。多分30年以上は経ってると思う。 

この時様々なインタビューに答えるシーンもあったと記憶。

彼はほとんど24時間仕事しているのではないかと言うぐらい、鉛筆を持ち続けていた。

他の漫画家たちのインタビューもあったのだが、皆おしなべて口にするのはアレだけ の膨大な仕事を受けて、決して穴を開けることなくこなしていくそのタフさ加減に大いに尊敬の念を抱くと言うもの。

若い頃から(漫画家デビュー)、売れっ子の漫画家として活躍してきたので、およそ休まる暇なんかなかったに違いない。

インタビューの中で語っていたことがたくさん記憶に残っている。

晩年に近かったので、若いときにはもっともっと描けたのだけれど、今は衰えを感じる。

若い時と同じかそれ以上に今発達しているのは、想像力。

とにかくやってみたいこと、挑戦したいこと、それらのアイディアが休むことなく湧き出てくるのだそう。

時間がない中で大変な思いをしていたようだ。

どうしても想像力と、そして何よりも忍耐力を求められる世界で、決して自分に負けることなく戦い続ける精神力。

手塚治虫の真骨頂は、アイデアと忍耐力とそのように解釈できた。

基本的な絵のデザインさえ出来上がれば、後は1連の流れ作業でスタッフが作品として完成させる手筈である。

実は、手塚治虫について調べてみると様々なことがわかる。

彼自身、漫画家であると同時にアニメーターでもあった。

そしてアニメーションの事務所を自ら立ち上げている。

最初の事務所が「虫プロ」。

ここで鉄腕アトムを始めとする様々な作品が作られ、そしてアニメーションの新しいテクニックも開発された。

虫プロでは他のアニメーション制作と違ってそれほどたくさん絵は描かないのだそう。

特殊な加工技術を用いて、あたかも画像が動いているように感じさせたようだ。

とにかく彼らが行っていた事は、30分の鉄腕アトムを毎週作って放送していたのである。

当時の漫画制作、アニメーション制作としては限界を超えるだけのものを要求されていたようだ。

その中でスタッフたちが生み出した、いかにして絵を描かずにアニメーションを制作できるか、そのノウハウである。

しかしながら、そこまでの苦労してヒット作を生み出しながらも、虫プロはあえなく倒産する。

調べてわかったことだが、このときの負債の金額の穴埋めは手塚治虫本人が個人の資金を投入して賄ったようだ。

手塚治虫は莫大な収入を全てアニメーション制作会社に投入し、周りから見ても気の毒なぐらい疲弊して先へ進むのである。

漫画とアニメーションにかける情熱は生涯衰えることがなかったが、残念ながら彼は胃がんで60歳の短い生涯を閉じるのである。

調べてみると彼の胃がんはスキルス性とのこと。これは逸見正孝さんを始め多くの芸能人がかかった病気だが悪性度の高いがんで、今でも5年生存率は極めて低い。

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漫画家とアニメーターの関係は

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やっぱり漫画が先?

手塚治虫が早くからアニメーションに目をつけていた事は有名である。

この当時、今の朝ドラでやっているような東洋動画のような会社組織が主流だった。

しかし、会社組織として運営するには様々な軋轢があったり、希望のものが作れないなど多くの人材の手入りがあったと聞く。

この東洋動画からは、会社に残ったグループと、宮崎駿率いるスタジオジブリに映ったもの、そして手塚治虫の虫プロに参加したもの。

この3つに分けられる。

ネットで調べるとこの詳しい状況が事細かに述べられている。

この当時の東映動画は、やはり労働条件をめぐっての様々な問題があったようだ。

昭和30年代のはじめの頃である。今のような恵まれた労働条件などどんな会社であっても望めるものではない。

時代は戦後の復興から高度成長期へ向かう過渡期にあったと言えるだろう。

その中で、制作に関わる者たちの情熱でアニメーション産業は育まれていったはずだ。

特に、時代背景としてテレビ放送の存在はとても大きかっただろう。

テレビの番組を作る中で、漫画映画のアニメーションの番組はとても人気があったと記憶する。

日本の漫画の中では第一位は「鉄腕アトム」だろう 。実は他にもいっぱいあったと思う。

横山光輝原作の「鉄人28号」などもこの時期だったと記憶する。

はっきり言って私はまだ小学生。家にテレビがついたかつかない頃の時代である。

それでも放送の中に漫画はしっかり組み込まれていた。

ちなみにあの当時私がよく見ていたのはアメリカからやってきた「ポパイ」

日曜日の夜7時半から8時までの30分の放送。

この中で10分程度のストーリーが3話ぐらい盛り込まれていたと記憶する。

日本のアニメーションももちろん放送はされていたが、この当時は外国から来たこのような放送も盛んに放映されていてよく見たものである。

「トムとジェリー」や「お化けのキャスパー」などこの時期のアニメと記憶する

まだまだ発展する文化

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日本の文化史でもあるよね

調べてみると手塚治虫の虫プロは東映動画の下請けみたいなこともやっていたような記述があった。

この当時アニメーションの世界で働く人たちは希少な存在だったと言われている 。

しかし様々な制作現場に関わる人たちは、皆、情熱を失うことなくアニメーションを作ることに精進していた。

このような流れの中から、様々な新しいタイプのアニメーションも出てきたと言える。

私が特に大人になってからも見続けたものがたくさんあるのだが、その中の代表的なものは次の作品。

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ドラゴンボール ガンダム 宇宙戦艦ヤマト

もちろんこれ以外にも魅力的なものはたくさんある。

アニメーションは今や日本を代表する文化と言えるだろう。

特に私が諸手を挙げて賞賛するのは、その発想の素晴らしさ、映像の緻密さ、ストーリーの持つ複雑さ。

これらの特徴のどれをとっても世界中、見回しても他の追随を許さない。

この年になっても、いまだにアニメはよく見ている。

最近YouTubeでちょくちょく見るのはドラゴンボールかな? 

すでにこのアニメーションの世界は子供の世界だけとは言えない。

私のような高齢者ですらちょくちょく見るのだから、立派な文化遺産と言える。

決してオタクではない私だが、これらの様々な作品や、この作品が出来上がるに至った歴史的な背景さえも、愛すべき存在と心得ている。

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