耳の聞こえない作曲家との触れ込み
目次
佐村河内守氏
この方 身障者手帳をいただくほどの障害があって、との触れ込みだったんです。
インタビュー記事がありますよね。
「17歳から真似事のように作り始めて、12曲交響曲がありましたけど、それをなぜ捨てることになったかというと、耳が全く聞こえなくなって、内側からしか音を見出せなくなって、そのとき初めて自分流の、必然的に内側でしか生まれてこない作曲法を見つけたときに、これは自分にとって真実の音だろうと思ったんです。いままで作ってきたものは作為くさくてしょうがなくなって、それで破棄して、また1番から出直して、これ(『交響曲第1番』)を書き上げたんです」
「埴谷雄高の『死霊』とかは結構音楽にしています。ピアノ曲ですけど。美術よりは哲学ですね。バタイユとかヘーゲルあたりはかなり自分の中で消化されて音楽になっています」
「人が持っている苦しみというのは、その人にとっては代えるものがないほど苦しいもので、本当はみんな〈闇〉は持っている。闇に落ちて初めて小さな尊い光に気づくことってあると思います」— タワーレコード「intoxicate」のインタビュー記事より
発言を聞いてみてわかるとおり、様々な芸術に触れてきたことには違いないようですね。
いろいろ調べてみると、様々な人との人脈があるようで、音楽関係のことに関しても、作曲をすると言うよりは、プロデュースをすると言ったほうが的を得ているような気が。
様々な音楽家を束ねて自分自身でいろいろなものを指図して楽曲を提供する。
そのようなことを最初から歌っていれば、これほど社会的に非難を浴びるような事はなかった気がする。
彼は売り込むための文言を多分に盛っていた。
あたかも自分自身が当事者であるかのように、触れ込んで回ったようだ。
じつは、私の正直な感想では、彼自身がそれほどの悪人とは思い難い。
決して支持するつもりはないが、音楽を愛する心とか、芸術に触れる心とか、そういったものはむしろ、普通に鋭いものを感じてしまう。
そのような感じる心がなければ、これだけの騒ぎにもならなかったはず。
そして彼の手にかかれば様々な音楽に関わる芸術家が日の目を見ることもあっただろうに。
このような詐称疑惑が起こった後では、誰も彼を支持する事は無いわけだし、何を言っても誰も耳をかさないだろう。
音楽を始めとする芸術にこれだけの造詣があるにもかかわらず、ことが大きくなりすぎたゆえにそれらの諸々の感性が社会的に葬られてしまったことがとても残念に思う。
ゴーストライターがいて
この方の作曲の腕前はかなりのものとお見受けした。
様々なテレビ番組で本音として語っているので、彼の語る事はあながち嘘でもなかろう。実際に作曲したのはどうやら彼なので、その事は疑う余地もないようだ。
彼自身が本来の音楽家としての高い評価を得ていたにもかかわらず、この時ゴーストライターを請け負ったのには、多分にそうとは知らずに軽い気持ちで引き受けたような気がする。
彼は音楽大学の作曲担当の非常勤講師をしていたようだ。
事件が発覚後、辞表を提出して退職している。
彼の意見をまとめると依頼のあった様々な曲は(交響曲第一番広島を含む)、彼にとってはさほど精魂込めて作った曲ではなく、高い評価はしていないとの事。
彼の作曲への情熱は、依頼されて作ったような様々な曲のように調整のとれた音楽ではない。現代音楽が彼の得意分野。
テレビでピアノを演奏するシーンもあったのだが、演奏したのは現代音楽そのもの。
長調とか短調の名前のつかない音楽といえばいいだろうか。
作曲家としての腕前もさることながら、キーボードとりわけピアノの腕前はかなりのものらしく、そのことでの評価がとても高い。
彼は東京都の生まれであるが、小さい頃からお母さんからピアノの手ほどきを受けており、音楽的な才能が開花したようだ。
また彼の人物評をいろいろ調べてみると、およそ世俗の欲得からはかけ離れたような印象を受ける。
的を得ているかどうかはわからないが、いわゆる音楽バカで、純粋培養といってもいいのかもしれない。
しかし思うに、佐村河内守氏に見出されて、そして事件があって飛躍的に知名度を高めたのには間違いない。
聞けば彼は著作権の申請とか損害賠償とかは全く考えていないという。
彼らしい振る舞いだと言える。
しかしどこかで真実を語りたかったのだろう。
事件の発端は新垣隆氏から。
世間的にはもう終わった事件なのかもしれない。
曲は素晴らしかったんですよ
私はこの曲のことをNHKの特集番組で知ったのである。
番組では現代のベートーベンという触れ込みだった。
番組を頭から信じた私は、次の日、隣町のタワーレコードまで出向いてこのCDを購入したのである。
聞いてみてびっくり。
本当に耳が聞こえなくてこれだけのものを作れるのかと、かつてないぐらいの感動を覚えて、何度も何度も聞きなおしをしたのである。
また、この曲に添えられた様々な音楽関係の評論も素晴らしいものがあった。
ほどなくして、例のゴーストライター疑惑の発覚である。
正直言って、それほど驚きはしなかったのである。曲自体は健気でひたむきな感じがして私自身とても評価していたので、自分の抱いた評価を変えるつもりはまるでなかった。
後で調べてみてわかったことだが、最初、絶賛した評価をしていた人たちが、詐称疑惑が起こってからは手のひらを返したようにつまらないと評価を変えたようなのだ。
また、作曲した新垣隆氏自身が自分の曲ながら、さしたる評価をしていないことも、少し驚いたと思う。
曲を聴いてみるとわかるのだが、ひたむきで真面目な作りの曲である。
西洋のクラシック音楽とは違って、多分に日本的な歌謡曲のような味付けも感じられるが、全体としては情熱を始め、思いの丈を感じられて名曲と言っていいはず。
Symphony No. 1 Hiroshima: 1st Movement
曲の第一楽章の部分。この重々しい始まりにはこれから先に起こるべき様々なことが想像されて、重厚感漂う作りになっている。
しかしこれだけの曲なのに、新垣隆氏は評価しないんだね。
まとめ
記者会見での様子は何度か拝見したが、哀れで気の毒な感じさえした。
出発はわずかな言い間違いだったろうに。
しかも彼は3歳年上の奥さんと普通に暮らしていたはずなのに。
今更外野の私がどうこう言う、なにものもないのだが、彼が持ち合わせている様々な感性をもう一度生かす手立ては無いのだろうか。
新垣隆氏を発掘したその選球眼を私は評価したいと思っているのである。
彼のことを、よく知る人たちがもう一度仕事をさせるようなことにはならないのだろうか。
日本のクラシック音楽の世界に一石を投じた事件だっただけに、音楽好きの私としては決して忘れる事はできないし、曲の素晴らしさを感じ取るのは聴く側の判断。
今回は、作曲者の意向も作品を評価していないので、まさに聞く人の判断に委ねられるのだろう。
詐称事件が起こったときに、CDの払い戻しに応じるという報道もあった。
曲を気に入っていた私は、全く意に介さなかったが。
あのショスタコーヴィッチの交響曲第5番もショスタコーヴィッチ本人は極めて不本意な作曲として認識していたのである。
初演の時に大絶賛された、その控え室でショスタコービッチは悔し涙にくれたと聞いている。
今回のHIROSIMA も似たようなものと感じてしまうのは少々乱暴なことなのか?
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