お互いの画像を見てとてもよく似ていることにびっくり


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目次
この2人の風貌が似ている事はネットで見て確認。
実はラフマニノフの音楽にも、とても興味があっていずれブログにアップしようと思っていて調べ始めたところ、そのプロフィール写真で驚いたのである。
ストラヴィンスキーにずいぶん似ているなと。
ストラヴィンスキーは、ロシア出身はラフマニノフと同じなのだが、フランスに渡ったり最終的にはアメリカニューヨークで亡くなっている。
フランスにいた頃、あのファッションデザイナーココシャネルとの浮名はとても有名。
映画でも取り上げられたので、実はそのことを少し古いがブログでアップしている。
この映画はマイナーな映画だが、かなり面白いと思って見た記憶がある。
主役を演じた2人が特に演技がうまいと感じた。
さてラフマニノフを調べてみると彼は作曲家としてももちろんそうなのだが、ピアノの演奏家としての知名度もリストに匹敵するぐらいの有名人だった (ボルトゥオーソと呼ばれるらしい)。
作曲家でありながら演奏家として極めて有名な存在は、あのバッハが挙げられる。
そしてバイオリンのパガニーニ。そしてピアノのリスト、ショパン。
名前を聞いたならば、すぐにその楽器が思い浮かぶくらい凄腕だったようだ。
これらの著名人の中にラフマニノフもしっかりとカウントされるのである。
実は、ラフマニノフは彼もストラヴィンスキーと同様アメリカに渡っている。
アメリカに渡ってからは作曲家としてよりも演奏家としても知名度の方が圧倒的に高かったようだ。
演奏は極めて重厚で、そして力強かったと聞く。
彼は、身長が2メーター近い大男で、また手指が極めて長く手を広げた時にピアノの1オクターブ半に軽々届いたとされている。
彼の手指の長さは特別な病気である(マルファン症候群)との説もあるくらい。
ラフマニノフはストラヴィンスキーの9歳年上で、モスクワ音楽院で音楽を学んでいる。
彼の音楽はチャイコフスキー音楽の踏襲である。
この当時の音楽は、ストラヴィンスキーなどに代表される前衛的なものがもてはやされた時期。
ラフマニノフの音楽は、時代に逆行した古臭いものとレッテルが貼られ、1部の心ない評論家たちからぼろくそにけなされていた経緯がある。
体の割に小心でデリケートなラフマニノフは、痛く傷ついてそれから後はノイローゼが持病になったとされるぐらい。
この時代、ロシアではロシア革命が起こり始めた頃。
ラフマニノフもストラヴィンスキーもロシア国内では活動することが叶わず、北欧に旅行した後にアメリカに渡って一生を終えることに。
ラフマニノフは調べてみるとチャイコフスキーを尊敬している他にも、チェーホフとの親交があって、同じように尊敬していたと聞いている。
また、ピアノの製作者スタンウェイと親交があり、楽器の提供も受けていたようだ。
実は名前だけはとても有名な人でよく覚えていたが、調べてみてわかったことがとても多く、とても興味深い作曲家だなと改めて認識。
姿は似ていても音楽は全く別物
2人が生まれたのはロシアの北西部の端にあたる。
バルト海の麓、風光明媚な場所である。
実はこの辺がロシアのもともとの首都。現在のモスクワはソ連以降の首都である。
サンクトペテルブルグはソ連時代はレニングラードと呼ばれ、共産主義の象徴とされていた時代がある。
しかしながら、本来はキリスト教のロシア正教会の老舗、歴史があってしかもロシアの様々な芸術の源とされたところ。
この地域から様々な芸術家が出てきている事はロシアにとっても誇りとなるはず。


2人とも自分自身の音楽にはしっかりとした自信を持っていた。
ストラヴィンスキーは感じたものをどれだけストレートに表現できるかそのことに全精力を傾けていたようだ。
そしてストラヴィンスキーの評判は必ずしも賛同を得られなかったりもしたが、現代音楽の急先鋒として誰からも評価されるようになっている。
さてラフマニノフは、チャイコフスキーの弟子とされるピアニストからピアノの手ほどきを受けている。
ピアノに関しては他に類を見ないほどの凄腕だったと言われている。
音楽的な才能に恵まれていて、家が破産して貧乏暮らしをしていた時も奨学金を得て学校で学ぶことができたのだ。
彼自身はチャイコフスキーの熱心な信奉者。
実はこのときの世相としては、チャイコフスキーの音楽は旧態然としていて、必ずしも良い評価は得ていなかったのである。
そのチャイコフスキーの後継者とも言うべきラフマニノフも同じ仕打ちを受けることに。
しかしながら、ラフマニノフは音楽を作るときに自分自身のこだわりを捨てる事はなかった。
私は作曲する際に、独創的であろうとか、ロマンティックであろうとか、民族的であろうとか、その他そういったことについて意識的な努力をしたことはありません。私はただ、自分の中で聴こえている音楽をできるだけ自然に紙の上に書きつけるだけです。…私が自らの創作において心がけているのは、作曲している時に自分の心の中にあるものを簡潔に、そして直截に語るということなのです。
作曲家としての彼の本音。
演奏家としても同じような発言をしている。
デリケートでナイーブな人と伝わってはいるが、少なくとも臆病者とか小心者のイメージは無い。
自分自身の信じた道をしっかりと歩んできた証がこの言葉の中に要約される。
ラフマニノフの音楽
ラフマニノフはアメリカにいながらも郷土愛に溢れていたようだ。
彼はガンでなくなっているのだが、亡くなる前の遺言として故郷ロシアに遺体を埋葬してほしいとの言葉を残しているようだ。
しかしながら旧ソ連の状態ではそれは不可能と言うもの。
アメリカの西海岸にこのお墓はある。
検索するとYouTubeでは山ほどの音源がある。
しかし聴き比べてみても、この演奏はラフマニノフを表現するのに値すると判断。
あのカラヤンが演奏しているのも私の好みと言えば好み。
カラヤンはチャイコフスキーやドヴォルザークといったドイツ以外の作曲家に関しても、非凡な解釈をしていたと思う。
この指揮者は、どんな曲でもこなしてはいたが、やはりベートーベンやその直系とされる系列の音楽に関しては非常に優れていたと私は思う。
特にベートーベンなどの彼の指揮した演奏は秀逸そのもの。
私が中学生の時分、この当時はレコードを買う時もほとんどはカラヤンのものが店頭に並んでいた気がする。
知らず知らず手に取ったものがカラヤン指揮だったことがかなり多かったと思う。
このような、ある意味文化遺産とも言うべき、音楽の様々な演奏。
様々な文化遺産や世界遺産の話は新聞テレビでよく見るが、音楽に関しても同じようなことがなされないのか、気になるところではあるのだ。