くわちゃんの独り言

音楽や映画が大好きな爺さん。長年の経験から知りえたことを発信します。

夏休み 素潜りに明け暮れるカッパ族

 

今週のお題「夏休み」

わずかな期間、10歳ぐらいから18歳まで、素潜りが大好きだった私。

近くの海で夏のわずかな期間、チャンスを見つけては素潜り漁に。

もちろん子供のことで商売ではないが、今考えてみても、本格的に潜っていたと思う。

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目次

小平町花岡の海岸線

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小平町花岡の海岸線 地図にはほぼ何も載らない

この海岸線は国道が1本走っていて別名オロロンライン。

鳥の名前から取ったとされている。

この道路を走ってみるとよくわかるが北へ向かうと左手に海を見ることに 。

この海は留萌から羽幌に至る位まで所々に街があるぐらいで基本何もない。

地図にもならないような海岸線だがかつてはニシン漁でにぎわった。

実は、この辺の出身の私にとってはここの景色が自分自身の故郷と言えるのかもしれない。

以前、このブログの中で“思い出の海”の題名で1記事計上したことが。

 

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 偉そうなことだが、私にとっての心象風景はここになるのかも。

実はこの海岸線を眺めて暮らしたのはわずかな時間。

私はこの海岸線にある小平町字大椴の生まれ。

 8歳のときにそこから少し南へ下がった小平町の街中で10年ほど暮らしている。

その18歳までの経験が自分の今の気持ちを作ったと言えるのかも。

海には不思議なマインドがあって、見る者をして深遠な気持ちにさせる。

ただし、私の場合は夏休みになるとここの花岡海水浴場まで出向いてそこで潜って中から様々な海産物をとってきて食べる。

そのことを楽しみに夏休みを過ごしてきた。

今ならば漁業権などの様々な制約があって、潜って何かをとることなど不可能と思われるが。

毎年1回、墓参りにこの海岸線を通りかかるのだが、泳いでる人を見るのもちらほらで、潜っている人など全く見たことがない。

私が子供の頃だと、私の仲間内でも何十人かは素潜りの得意なものがいたと思う。

私も大好きでよく潜ったが、私より腕の立つものはたくさんいた。

それでも、好きであることは集中力を呼び込んでしょっちゅう海に出かけることとなった。

しかし北海道の夏休みは1ヵ月弱程度しかない。

実際に海に行っても、もぐれる日にちはひと夏でトータルでも10日あれば良い方。

良い条件が整う時はそれだけ少ないし、たまたま良い条件に巡り会えたらそれはこの上もなく嬉しいことだった。

  • 海がなぎていること
  • 海が濁っていないこと
  • 雨が降っていないこと
  • お盆が過ぎてクラゲがいっぱいいないこと

この条件がうまい具合に揃うことが何より嬉しいのである。

頑張れば9月位でも泳げただろうが、お盆過ぎ位からクラゲが大量発生するので、とてもじゃないが泳げたもんじゃない。

私は潜ることが専門だったのだが、潜り始めて、クラゲだらけの景色を見てすっかり意気消沈した記憶がある。

毒のあるクラゲとは思わないのだが、水をかいて進むと触ることがあって、かなり気色の悪いものである。

子供たちの素潜り

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イメージとしてはこんな感じ なんといってもエゾバフンウニは取り放題

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 今は素潜りといってもシュノーケルや足ヒレを普通に所有している人が多い。

私の時代だと装備は水中メガネのみ。

ただし、性能の良いものを買わないと、安物はダメである。

安物は2〜3メーター潜ると横から水が入り込んでくる。

あの当時で、水メガネを新調するときには1000円以上の予算がかかると小遣いを貯めた記憶がある。

あと必要なものは、耳栓が必要なのだが、市販のどこにでも売っているようなものは密閉する力が弱くて使い物にならなかった。

私がいつも使っていたのは木工用のゴム粘土。

普段はとても硬くてもみほぐすのに苦労するのだが、体温とかで温まって柔らかくほぐすと耳の中にぴったりとフィットして水が漏れる心配は皆無になる。

ただし、ゴム粘土はケチらずに耳全体を覆うつもりでたっぷり使わなければ、少ない量だと耳の中に入り込んでしまって後から取り出すときに苦労する。

実際に友達の中に取れなくなって苦労した者もいたので。

この耳栓の威力は極めて強力で音もほとんど聞こえなくなる。

全く世界が遮断される感じ。

私たちは、足ヒレなしで軽く5メートル以上はもぐれたと思う。

私の記憶では、大体電柱1本分潜れた気がする。

足ヒレなしでこれだけ潜ると潜り始めてから海面に浮上するまでおよそ1分近くかかると思う。

また、深く潜ったときの水温の低さは格別でそのひんやり感は子供ながらにも心臓にこたえるなと感じたもの。

ここまで深く潜る必要はないが大体は3メーターから5メーター程度の深さに潜ると、中で様々な海産物を取ることができる。

よく採れたのはエゾバフンウニである。

岩と岩の間によく挟まっているので密集しているところだと1回息を止めて潜ると大体5〜6位は取れたろうか。

ごくたまに紫色の棘の長いムラサキウニも取れた。味はバフンウニの方が濃くておいしいと感じていた。

他にもつぶ貝、なまこ、ムール貝などさまざまに採れたと思う。

ムール貝は地元の子供たちはヒルカイと呼んだ。

これは10キロ入りの玉ねぎの袋に1袋2袋平気で採れるので、始末に困った親たちはこれでカレーライスを作って子供たちに食べさせるのだが、これがまた絶品にうまい。

西洋料理ではムール貝は高級品とのこと。

はっきり言って私に高級品のイメージはまるでない。

イメージとして残っているのはムール貝を取るときには素足ではなくわらじか何かを履いて岩場に行く必要があったのでガードが必要なこと。

手も軍手をはいた。ムール貝はひも状の繊維で岩にへばりついていて群生している。

素手でむしり取ろうとしても、手がズタズタになって怪我をするだけなので、軍手か何かで保護する必要が。

ただし、記憶によると、ムール貝を取るときにはウニを取る時ほど深く潜る必要はなかった。

ただし、波に洗われる岩場の近くで作業するので、海が荒れているときにはやってはいけない。

岩場の近くの大きなうねりの波は気をつけなければ、体が岩場に叩き付けられるのである。

転んだ場合、ただでは済まない。

このような条件が加わるので、ムール貝を取りに行く事はあまりなかったと思う。

取りやすいのはウニ。

これはある意味拾ってくる感覚なので。

それでも海の中と陸上では、力の入れ加減や痛みの感じ具合がまるで違うことを経験的に学んでいた。

海の中では痛みを感じにくいのだ。

陸上でとげとげのウニを5個も持ったなら痛くてたまらないが、水中では何の苦痛もなく持てる。

その結果、家に帰ってから指先に無数のウニの折れたとげが突き刺さっているのを発見して痛いのを我慢しつつ、自分で縫い針でほじり出すのだ。

放って置くと化膿してよりひどいことに。

このようなことも夏の思い出かな。

わずかな期間の素潜りだが、いつも潜るポイントは大体決まっているので、私を始めしょっちゅう行く子供たちは、海の中の景色を大体頭の中に入れていた。

基本、海の中の岩場を探して歩くので、中の景色をきちんと覚えておかなければ無駄な労力を使うことに。

不思議なもので何度も潜っていると、きちんと頭の中に入っちゃうのである。

この先何十メートルか進むと岩棚のようなところがあってその隙間にはウニがいっぱい。

そんな具合である。

素潜りが専門なので、私の場合は沖へ向かって漁場まで行くときには普通の浮き袋に玉ねぎの10キロ用の袋を結びつけてそれを引っ張りながら向かった。

潜って海面に上がってくればその浮き袋に向かって泳ぎ出せば採ったウニを貯めておくことが。

調子の良い時だと、玉ねぎの袋に1つ(袋いっぱい)とってきたと思う。

数えた事はないが何個ぐらいだったろうか。

泳ぎに達者なものが多かったと記憶

 

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こんなに立派な装備は持ってはいなかったけどね

確か小学校6年生の時だったと思うが、仲間内5〜6人で 、前浜を沖へ向かって泳いでいったらどうなるのかなと試してみたことが。

今なら絶対に許可されないだろうが、この頃の子供たちはある意味相当無謀だった。

ひたすら沖へ向かってまっすぐ泳ぎ進むのだ。

やがて陸が遠くなり、そのうち陸が見えなくなったところまで。

いったいどれくらい泳いだのかあまり見当もつかないが、今思えば2km程度だと思う。

そこで水中で素潜りを試してみたのだが、 1度っきりでやめた。

死に物狂いで深く潜っても海底は見えるはずもなく。周りは緑色の一色で埋め尽くされた世界。

ちょっと恐怖を感じたので必死で海面まで浮かび上がって、呼吸を整えて今度は陸へ泳いで帰ることに。

まっすぐに進んで、Uターンしてまっすぐ帰ったつもりなのだが、私の中の記憶では帰った場所が500メートルぐらい出発地点から離れていた記憶がある。

当たり前のことだが海流の影響を受けていた。

さらに、体に起こった驚くべき変化。

 背の立つ波打ち際まで来ていざ陸上に上がってみたところが、自分の体なのに支えられないぐらい、鉛のように重いのだ。

それは沖へ向かったメンバー全員が同じ状態だった。

この時味わった体の重さは、今でもうっすらと記憶に残る。

小学校最後の夏休みの、確か7月中だったと思うが、無謀な挑戦をした思い出である。

まとめ 夏休みと呼べるものはなくなった今

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小平町にある望洋台キャンプ場からの景色

私の故郷は、観光産業も盛んで海水浴場、キャンプ場とずいぶん設備が揃うようになった。

この写真はネットで調べればすぐに出てくる。

また、聞くところによるとなかなか予約が取れないと聞く。そんなに人気なんだろうか。

ここは海岸線を下に見る丘の上にある。

車でもちろん登ってこれるのだが、海沿いにはほぼ崖が連なっているのだが、海岸に降りる遊歩道もあったはずである。

今もあるかどうかは定かではないが、ここは私が子供の頃の50年以上も前でもキャンプ場として存在していた。

もちろん今のように舗装はされていなかったし、水道の設備なども全くなかったので、当然電気もなかったので、すべてはランプの明かりの中、自前で何でも準備してキャンプをしたのだ。

一夏で3回から5回程度のキャンプをした記憶が。

この当時の使用料も格安で、食材その他全て持ち込みだったのでやすかったのだが1人一泊100円だったと記憶。

今は場所を知っているだけでここに泊まることもないので値段その他は全くわからず。

長くサラリーマンをして、年がら年中 会社勤めを経験すると、夏休みと呼べるものはない。

お盆休みが何日かあった記憶があるが、お盆の行事に忙殺されて何かをのんびりと自分でするようなことにはならなかった。

今の私は仕事をリタイアしてほとんど年がら年中休みのような状態が続いているのだが、夏休みのあのときめく感じが全く思い出せない。

子供の頃味わったドキドキ感は一体どこへ行ったのかなと。

昔と違って体力的にはもちろん衰えているのだが、気持ちの感じ方も随分変わってきている。

何かを見ても懐かしいと感じる事はあるのだが、初めて知るドキドキ感を味わうことが極めて少ないのだ。

子供の頃の夏休みにはそのドキドキ感で満ちあふれていた。

今もあのような気持ちを味わおうとするならば、生活そのものの時間割を変えなければならないと思う。

夏休みになると学校から宿題が渡されて、決まり文句の1つに規則正しい生活をすること。

守れるのは、実は1週間ほどだったのだが。

今でも、その気になれば夏休み仕様の時間割を作って1週間とか10日とか過ごしてみたら昔の感覚が蘇るのかも。

しかし、残念ながら今の私は改めて夏休みが欲しいとは思っていない。

今ある日常の生活で十分に時間が潰れていくので、それでよしとしたい自分がいる。

考えれば考えるほど、“夏休み”の言葉の中には様々な思いいれが詰まっているようだ。

子供の頃の懐かしい思い出を反芻する意味でこのブログを書いている。