“アルキメデスの大戦”は26日から上映が始まったようだ。
YouTubeをしょっちゅう点検する私にとって予告編を見る限り面白そうだなと。
そして調べてみると監督の山崎貴さん、あの“永遠の0”を撮影している。
実は私の中ではまさになるほど。
“永遠の0”は原作も読ませてもらったし、映画も何度か見た。
私なりに感動してこんな作品もあるんだと、その前後のいきさつを私なりに調べてみた経緯がある。
今回の映画は原作は漫画なんだよね。
この漫画で(映画で)あの不沈艦と呼ばれた戦艦大和についてもう一度調べてみようと言うきっかけになった。
目次
アルキメデスの大戦


このような映画があるとどうしても見たくなってしまうのが、私の常。
“永遠の0”の時は映画館ではなくwowowで初めて見たはず。
あの当時はこんな思想もあったのだと、やり切れないような思いに駆り立てられたのを記憶している。
“アルキメデスの大戦”は、戦艦大和の建造をめぐって、その建造に“待った”をかけようとした山本五十六。
彼の依頼を受けた天才数学者“櫂直(かい ただし)”の物語である。
あらゆるものを数字に置き換えてそこから真実を割り出そうとする。
アルキメデスの再来と呼ばれた人だったらしい。
実は、大和のような戦艦を作るとすれば莫大な費用がかかるのは必須。
山本五十六は、これからの戦争の主力は航空機であると断定し、巨大戦艦の建造はナンセンスであり、費用の無駄遣いであることを証明したかったようだ。
山本はアメリカへ視察旅行に行った経緯があって、アメリカの軍事力が日本が太刀打ちできるような代物ではないことを初めから痛烈に知っていたのだ。
戦争が始まれば、1年程度は何とか頑張って戦ってみせるが、長期戦になれば勝てっこないと公言していた。
しかし、当時の軍の内部は様々な思惑と軋轢の中で自分たちの主張ばかりを繰り広げようとする、ある意味伏魔殿のような存在だったのかも。
大和建造もそういった人たちの中で機密情報として厳しく情報管制が敷かれ、その流れを覆す事は容易ではない状態だったようだ。
果たして櫂は様々な数字から、大和の設計図を生み出しその驚異的な計算の力によって見積もりで金額を弾き出したのだ。
結果としては誰もが知る通り、大和はギリギリで戦争に間に合い、日本の主力艦として就航する。
はっきり言って鳴り物入りで設計された船である。
大きさもさることながら、その性能では世界第1級を目指したようだ。
大和の場合、主砲が 3門備えられており、 46センチ砲と言って世界最大。
これが前に2つ後1つ配置された。
最初に報告しておくが実践で活躍したのはたった1回だけ。
実は山本が見通した通り巨大戦艦の戦いは、大和が就航した頃にはすでに時代遅れの考え方になっていた。
上からハエのように群がってくる戦闘機たちをかわすには、どれだけの対空火器を装備してみたところで、払いきれるものではない。
しかも私が調べたところでは、あの不沈艦と呼ばれた大和が実は未熟な設計者たちの手によって強度に著しい不安の残る設計方法をとっていたらしいのだ。
それは艦体を構成する装甲板の取り付け方法。
リベットを使用して留めていたらしい。
実は、魚雷などの攻撃が加わったときにリベットではリベットそのものに衝撃が大きく加わって破損がより大きく広がるのだそう。
理想を言えば、溶接で全面継ぎ合わせるのがいいらしい。
そしてなおかつ装甲板もできれば柔らかめの金属にした方が衝撃を吸収しやすいとのこと。
大和はその点において格段に劣っていたし、このブログを書いた作者は設計ミスと断定していた。
私が子供の頃から教え込まれていたのは大和は不沈艦。
要するに決して沈まない日本海軍の切り札。
これは、宣伝文句だったようだ。
実際に攻撃を受けて沈んだ大和は、他のどの戦艦よりも短い時間しか持ち堪えられなかったのだ。
不沈艦大和と呼ばれた戦艦
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大和には様々な噂がついてまわった。
日本海軍は機密事項としてひた隠しにその存在を隠していたのだが、あれだけの図体である。
簡単にあちこちに知られることに。
最新鋭の戦艦なので、実は船内も快適で生活しやすく設計されていたのだ。
この船の中では食糧事情もある程度優遇されており、大和を外から見ていた者たちは大和ホテルとある意味馬鹿にして呼び捨てに。
日本の海軍の主力艦隊の旗艦ではあったが、戦闘での作戦行動に関わる事はたまにしかなかったのだ。
あの自慢の46センチ砲も発射したのは一回こっきり。
最後の最後に使い道がなくなって沖縄特攻に駆り出されたのだ。
沖縄に向かって沖縄の海岸線に陣取って、上陸しているアメリカの部隊を叩けとの命令。
しかしながらそのような命令を受けて九州方面から沖縄に向かってはみたものの、
鹿児島から200kmも進まない地点で沈没させられた。
ほとんど活躍することなく沈没



戦艦大和は今は沈没地点もしっかりと解明されており、水深350メーターほどの地点でかなり破損した状態で見つかっている。
また、水中での調査も幾度と無く行われており、沈没に至る経緯も生存者の証言等を突き合わせてかなり正確に把握されているようだ。
私も色々と調べてみたのだが、アメリカ軍の報告こそなかったが航空機を用いた攻撃は実に理にかなっていたようだ。
まず戦闘機の攻撃を大和の左舷に集中させたのだ。
そこで大和の対空火器を徹底的に叩く。
それは目的があって、魚雷や爆弾の攻撃を1カ所に集中させたいから。
とりわけ魚雷は攻撃の目玉となるのだが、重たい魚雷を腹に抱えた雷撃機は動きが悪く 、攻撃のために大和に近づこうとすれば対空火器の餌食になってしまう。
最初に先手を打って大和からの反撃をギリギリまで封じておけば魚雷攻撃はすこぶるやりやすい。
実際のところ大和への魚雷は左舷に集中していた。
そして上空からは急降下爆撃で爆弾を落とし続ける。
そのような波状攻撃をされたおかげで、大和は左舷の側に大きく傾き、航行不能の状態に。
しかも、大きく左舷に傾いたせいで 右舷も海中から大きく艦体を見せてしまうことになり、沈没間際ではそこにもトドメとなる魚雷を数発打ち込まれている。
大和は戦闘を開始したのが 12時41分。
そして沈没したのは 14時23分。
攻撃を受けて沈没するまで2時間かかっていないのだ。
他の戦艦の武蔵や長門などは半日から丸一日近く持ちこたえていたのに。
時代に逆行するような巨大な戦艦は、航空機の波状攻撃には全くはがたたなかったと言うことだ。
仮に大和の装甲板が頑丈に設計されて作ってあったとしても、戦闘機の攻撃は防ぎきれなかった。
山本五十六の当初の見立ては全く正しかったと言える。
大和はおよそ3000人の乗組員がいた。
助かったのは250〜260名である。 1割に満たない。
また沈没するときに裏返しになったのだが、その時に大爆発を起こしている。
これは理由が2つ位言われていて、火薬庫に引火したことと、エンジンの水蒸気爆発の両方が起こったようだ。
これらも生存者の証言から明らかになったことだと言われている。
沈没船を引き上げる計画も予算が集まったところまでいったのだが、立消えとなったようだ。
私が調べたところによると、遺族会が強硬に反対したとの事。
その理由はあまりに切ない
「そっとしておいてやってくれ」
今の日本の技術ならば大和を引き上げる事はさほど難しいことではない。
映画と史実から見えてくる日本人の気質


日本人に限らず人間には不思議な癖があって、一旦思い込んだならばそれが途中で良くないこととわかっていても、最後までやらずには気が済まない部分がある。
大和も指摘があった通り、あまりに予算がかかって、しかも軍内部に不正があったことがわかっていたにもかかわらず、結局は造船されることに。
途中でやめたほうがいいと思いつつも、なんやかんやと理由をつけてやってしまう。
特攻隊で散った海軍大尉の加納さんと 言う方がいる。
彼はこういった。
「世界の三馬鹿 ピラミッド 万里の長城 戦艦大和」
当時から時代に逆行することに対しこれだけの批判があったのだ。
歯に衣着せぬ物言いである。
さて、この映画を実は私はまだ見ていない。
これだけの記事を書いて紹介しておきながら、映画を見ないのは私的にも欲求不満が残る。
スケジュールを調整して何とか見てみることにはならないだろうか。