くわちゃんの独り言

音楽や映画が大好きな爺さん。長年の経験から知りえたことを発信します。

後から知った我が身に起こった大ピンチ

 

今週のお題「人生最大の危機」

普段から、さしたる健康管理もせずに長く生きてきたが、3年前にいちど死にかけたことが。

 3年前の5月14日土曜日の夜10時半ごろ、そろそろ寝ようかとソファーから立ち上がろうとした瞬間、胸の真ん中にドスンという衝撃が。

その時は何が起こったのか、ほとんど理解することもできず、それでいて湧き上がってくる何とも言えない不快感。

自分の体に何か かなり良くないことが起こったことだけは何となく理解。

少し、おとなしくしていれば収まるのかなと流れ出る脂汗もそのままにじっとしていたが一向に収まる気配はなく、やがて右側下半身の血流が失われたらしく、しびれて感覚の薄れていく足先。

ついに辛抱できずに救急車のお世話になることに。

実はその時、意識だけはしっかりしていて救急車を呼ぶことができたのだ。

これはその時の、私にとっての人生最大のピンチだと 今ならば思える出来事の記憶。

お名前.com

目次

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今年6月に撮影した私の術後のCT画像

救急車を呼ぶしかなかった 

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私の街の救急車 実はどんな車だったかは覚えていない

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実は衝撃があってから、30分ほどはおとなしくしていた記憶が。

諦めて救急車を呼んだのだが 、私の様子を見て救急隊員曰く、

「この状況だと、私の町の市立病院に運んでもおそらくはねられる可能性が高いので、隣の街のどこか大きな病院で心あたるところはありませんか?」

その時の私の記憶で、前の年に同じように別な科で受信したの思い出し、隣の町の日赤病院を指定した。

すぐその場で確認を取っていただいたところ、直ちに連れて来て下さいとの連絡が入ったようだ。

過去に救急車には何度かお世話になったことが。

しかし、今回の救急搬送は私の家から日赤病院までは30分弱の行程のはずなのが、ずいぶん長く感じたのを覚えている。

救急隊員の方からあと何分位の報告を2度ほど受けた記憶が。

病院についてから緊急外来へ入ったのだが、後からわかったことだが、その時当直で止まっていた先生が、今の私の心臓血管外科の主治医だったのだ。

ある意味、幸運な巡り合わせだったと言える。

その場で直ちにCT撮影が行われ、病気が大動脈乖離で、心臓からすぐのところで大動脈に亀裂が入り、その亀裂はほぼ腎臓までつながって裂けているとの事。

痛み止めの点滴を受けていた私は、最初は鮮明だった記憶も徐々に曖昧になっていて、たった1人いる身内の弟への電話も、携帯を看護師に渡して説明をして電話してもらったような状況。

病院内をあちこち検査のためにストレッチャーで運ばれたが、ほとんど記憶には残っていない。

ただ、あの時右足に感じていた我慢できない位のしびれがどうしても辛くて何度か訴えた記憶がある。

既に自動で行う点滴装置が取り付けられていて、訴えるたびに若い看護師さんが点滴のメモリを触っていた記憶が。

この時は痛み止めのモルヒネと同じような薬を使われていたらしい。

点滴量を増やせば私の記憶はなくなった。

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隣町の日赤病院へ

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到着したのは 夜11時過ぎだったと思う

 5月14日のほとんど真夜中。

病院に到着をして診察を受けてうっすらとした記憶の中で聞いた言葉は、大動脈が大きく裂けているので、 今は薬の投与で様子を見ているがおそらく手術が必要になるとの事。

安静を保って、少し様子を見ますとの事だった。

 5月15日は私的にはほとんど記憶が残っていない。

 5月の16日月曜日の午後1時から手術をしたらしい。

実はこの事実は退院の時に弟から聞いてわかったのだ。

どのくらいの時間かかったのか と、その時聞いたら夜8時に手術が終わって7時間かかったんだぞ とのこと。

“へーなるほど”と思うばかりだったのだが。

弟は医者から3時間ほどの手術になりますと説明を受けたようだ。

医者が立ち去った後看護師がやってきて、手術は最低でも6時間かかるとのこと。

 3時間は実際の心臓付近での操作をする時間で前後を入れれば6時間以上かかると思ってくださいとの補足があったと聞いた。

私には全く記憶がなかったので、後から聞いて知ったのだ。

手術が終わってからも記憶はかなりぼんやりしていて、金曜日の午後まで集中治療室にいたと思う。

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急性大動脈解離 7時間に及ぶ手術

 

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私のはスタンフォードAというタイプだったようだ

記憶にないのでこれらの情報は全てネットからのもの。

後から受けた説明で判明したのだが、私の上行大動脈から 出ている腕頭動脈は生まれながらの奇形があって 1本出ていて二股に分かれる形状が、最初から2本に分かれて出ているのだそう。

ステント置換術を受けたのだが、私のような形状は具合が悪いらしく、2本出ている動脈を心臓からちょっと出たところで、バイパスでつないだようだ。

そのままステントをおくと、腕頭動脈へうまく血液が流れなくなるのだそう。

したがって、私の左半身は普通の人とは逆方向の血流で保たれているようだ。

そしてさらに説明では、左の血圧を測れば右よりもかなり低く検出されると思いますと。

ステントグラフトの性質上、奇形のことを考慮に入れると左の血流をある程度犠牲にせざるをえませんでしたとの話。

今、暮らしている私からしてみると、全く自覚症状もないので、全く気にすることもしていない。

私が受けたこの手術は内視鏡カメラによるもの。

右側の頸動脈から1つ。

右側の鼠蹊部から1つ。

そこからアプローチをしてカメラを覗いての手術だったようだ。

これは退院後に聞いた話だが、私が手術でしっかりガードしてもらったのは心臓から出発した大動脈のすぐの所。

私の大動脈は腎臓に至るまで大きく裂けているのだが、心臓から下の部分は医者は特に何もしていないとの事。

通院して診察を受けるたびに言われるが、もしこの辺の形状にちょっとでも違和感が発生したなら直ちに再手術になるはずですと。

幸い、退院して3年経つが、その都度造影剤を入れてCT撮影するのだが、形状は全く変わっていないらしい。

今年の春までは半年に1度の検査だったものが今回も大丈夫だったようで、これからは年1回の検査になるとの事。

診察を受けるたびに先生に言われるのは、“まだ生きてましたね”。

これは先生とのやりとりの決まり文句のようなもので、ジョークを交えながらの診察になる。

ある程度真面目な話もさせてもらうが、なくなる人も結構多いとのこと。 

実はここで退院してからネットでいろいろ調べてみた結果を報告してみたい。

私のような大動脈解離の場合、治療をせずに1週間放っておいた場合の致死率はおよそ7割とのこと。

普通、病気が発生して病院に運び込まれても、4割ちょっとぐらいはなくなるんだそうだ。

その意味で考えると、私はかなり幸運だったようだ。

死亡率7割からの生還である。

おぼろげな記憶

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内視鏡の手術を受けたが全く記憶にはない

集中治療室で絶対安静とされていた期間、私は夢うつつの中でいたので断片的な記憶しか持ち合わせていないが、何度か目を覚ましていたと思う。

目を覚ました時に感じた我慢できないと思われた違和感。

それは気管挿管されていたので、これが信じられないくらい嫌でしょうがなかったのだ。

何とか自分の手で外してやろうと、両方の手で挿管されている管を引っこ抜いてやろうと手を持っていこうとするのだがなかなかできない。

ある時ふと目線を自分の手にやったところ、私の両手はベッドの脇の柵に縛り付けられていた。

それでも何とかがんばって引っこ抜いてやろうと、そしてそれができた!と思ったが、実は夢だったようだ。

この時、私は寝返りを打つことも許されてはいなかった。

寝返りをしたくなったならば必ず私たちを呼んでくださいと看護師から厳しく言い渡されていたようだ。

確か集中治療室を出て行くその日に気管挿管を外されたと思う。

これがまた拷問のように苦しくて、時間はわずかだったのだが、その後およそ1ヵ月ほど咳が止まらなかったと覚えている。

また、私の点滴は中心静脈カテーテルで行っていたが、それも無事外してもらうことができた。

しかしベッドから起きても良いとの許可は退院の1週間前位でなかったかな? 

退院したのは6月の7日だったので、集中治療室を出た後も1週間はベッドの上にいた記憶がある。

この頃は痛み止めの点滴ももうなく、あれほど苦痛に感じていた右足のしびれも全く感じなくなっていた。

何度か担当医に聞いてみたところが、実は大動脈が裂けたときに、下半身全体への血流が一旦止まったと聞いた。

しかし、私の体の防衛反応で左半身の血流だけは全く通常とは別のルートで確保されたらしいのだ。

そして医者は、右足のしびれに対しては特に何も治療はしなかったとのこと。

後から聞くと自然に血流がうまい具合に回復したようだと言っていた。

医者が1番まずいなと感じていたのは、心臓からすぐのところで発生した裂け目。

ここは私の場合、普通の人よりも3倍位の大きさにまで膨れ上がっていたとのこと。

ここだけはしっかり固めておかないと後々トラブルの元になると考えたようだ。

退院後の検査も、この手術をした部分、バイパスを作った部分、ここを細かくゲージを当てて広がっていないか、景色が変わっていないかを確認しているようだ。

どうやらその点で医者は納得できる結果が得られていると判断したようだ。

無事退院へ 現在に至る

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病院の前にある老舗醤油屋さん この受付も年1回の受信で良くなった

退院前の1週間。

実はこの頃から初めてベッドから起き上がって病院内を歩けるように。

それまでは一般病棟にいる時も、移動は全て車椅子を用意してくれたような気がする。

あまりお願いするのも気の毒だったので、用事がない限り私はほぼベッドの上で。

この頃 看護師さんに言われたことがある。

「桑原さん、よくそこまで元気になったよね。」

「実は酸素マスクをしているときに、あなたは酸素飽和度がなかなか上がらなくて酸素マスクのほかに補助のタンクも横につけていたんですよね。」

「私たちの記憶ではそういった状態の人で助かった人はあまりいないので」と

そういえば一般病棟に移ってからも夜中に何度か看護師さんが飛んできたことがある。

要するに、私のモニターの端子が外れていてナースセンターでは私は心臓が止まったことになっていたらしい。

何回か訪問されたが、最後のときには冗談で

「桑原さん、あなた死んだ人になってるよ!」

今となっては笑い話だが。

そうそう、こんなエピソードもあった。

最初にトイレに行って大きい方をしようとしたときに、どうしても硬くて出ないもんだから仕方なく看護師をトイレの中からコールで呼んだもの。

私は、自分でするからディスポーザブルの手袋を1つ2つ欲しいと要求。

しかし、これは摘便と言って看護師がしなければならない作業。

その後、恥を偲んで看護師に摘便をしてもらった記憶が。

退院の時にすっかり元気よくなって明るい気持ちだった私は、2週間ほど休んだら仕事に出ますと医者に告げた。

そうしたならば普段温厚だなと思っていた先生が、いつになく険しい顔で私に怒ったのである。

「あなたは自分の病気に対する認識があまりに甘い。」

「命がなくなるかどうかの大病をしたのだから、私の希望としては仕事もやめて欲しいぐらい。」

「どうしても仕事をするならば、7月いっぱいまでは自宅でゆっくり養生してください」と

さすがに私もその質問を無視することにはならず、およそ2カ月間自宅でぼちぼち療養したのだ。

その時は今よりもはるかに体重が少なくて、ー10kgだったと記憶。

あの時様々な注意を受けたが、ここで白状しておくとやってはいけませんよと言われたことをことごとく破ってきた。

仕事を辞めることもしなかったし、冬の除雪は絶対禁止だったが、全く守ることなく普通に作業をしている。ただし、体への負担を考えて除雪機を必ず使うようになったが。

体重の管理がなかなかできなくて、結局、せっかく痩せた体も3年たった今元通りに。

しかし、わかったことが1つあって、私は仕事場を始め多くの友達に救っていただいた。

仕事場では私のために特別にローテーションを組み直してくれて、開けた穴をカバーしてくれていたのだ。

また他にも同じボランティア仲間たちが神社とかにお参りに行ってくれたと聞く。

私はボランティアで掃除などをさせていただいた神社の神様に守られていたかもしれない。

これが、命拾いをした私のしょうもない体験談である。

普段からある程度気をつけていればとも思うのだが、言血圧関係は20年以上病院に通っていてもこの有様である。

私の家系は遺伝的にこのようなトラブルが多く発生しているようだ。

実は本当に私が怖いと思っているのはガンになること。

両親ともに膵臓癌で亡くなっている。

遺伝的なリスクを考えればこちらの方がはるかにわたし的には恐ろしい。

しかし、いちど死にかけた身の上。

今の命を拾った命、そのような不思議な覚悟が私にはある。

ビクビクおどおどすることなく、私は私なりの人生をありがたく過ごすばかりである。