昨日、スペインの画家ピカソについて記事を書いてみた。
実は、スペインではお馴染みの名前のパブロは、ピカソ以外にももう1人同じ時代を生きた有名な音楽家が1人いたのだ。
名前を「パブロカザルス」。
チェリストとして勇名を馳せていたが、指揮者としても活躍していたことがある。
しかしなんといってもチェロ。
今日のチェロの演奏家でカザルスを知らない人はいないし、彼から影響を受けていない人もいない。
バッハの無伴奏チェロソナタを世の中に知らしめた人でもある。
目次
ピカソと同時代を生きたスペインのチェリスト
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カザルスについて調べていくと、 10代の時にバッハの無伴奏チェロソナタの楽譜と出会っている。
カザルスの音楽界に残した功績はとても大きいが、私が個人的に素晴らしいと思うのは、バッハの無伴奏曲を世の中に紹介したこと。
ポリフォニック音楽の頂点にいたバッハが、単独の楽器のための曲をたくさん作っていることがとても意外な気がして、何度も考えてみたことが。
特にバイオリンやチェロなどについての無伴奏曲は、今でもこれらの楽器を演奏する際の代名詞ともなっている。
カザルス本人の演奏。
今では誰もが聞き覚えのあるメロディーだが、この曲をコンサートで演奏して世の中に紹介したのは彼だとされている。
もともとチェロは弦楽器の中でも低音域が担当の楽器なので、どちらかと言えば音色は深く重たい。
この楽器を演奏するときの特徴としては、華やかさを求めないことだろう。
もともとが低音の楽器なのだから、輝くような音を求めること自体が無理と言うもの。
チェロは内省的な、どちらかと言えば哲学的な意味合いのものを表現するのに適している。
その中でもバッハの無伴奏曲は、大いに説得力があって、聴く人をして感動せしめるのだ。
この楽器の本当の値打ちを、ここまで高めた点でカザルスの功績はとても大きい。
彼は専門家でない私が言うのもなんだが、演奏技術についても革新的な提案をしたことで知られる。
彼の時代のチェリストは、皆、両脇をしめて窮屈そうに演奏するのが常だった。
彼はそのスタイルを根本的に変えた。
カザルスの演奏スタイルだと左手は当然脇から離れて弦の上を自在に動くようになったし、右手は(こちらの手は弓を持つ)脇を締め付ける窮屈さから解放されると、弦の上を自在に動けるようになって、ピチカートその他の奏法が巧みにやりやすくなったのだ。
今では当たり前のように見える方法も、およそ100年前カザルスの時代では随分と大きな制約の中で演奏していたようなのだ。
演奏家として指揮者として


カザルスは指揮者としても活躍している。
しかし指揮者としてのカザルスは実は賛否両論がある。
もともと指揮をすることがあまり得意ではなかったのかも。
プロの名のある楽団だと、楽団員から、指揮がわかりにくいとけなされることも多かったのだ。
カザルス本人の音楽感は、どちらかと言えば古典的なスタイル。
その当時の様々な指揮者の中だと先進的な指揮棒を振る人が多かったので、そういった中では古くさく感じられたのかもしれない。
しかし、若い学生などオーケストラの初心者のような人には、随分と好感を持って受け入れられた。
カザルスの教え方は実際に歌って見せたり演奏して見せたりで、学ぶ側にとってみれば一目瞭然だったのだ。
この方法で教えてもらえれば、わかりにくい言葉の説明を山ほど聞かされるより、なににもましてわかりやすかったに違いない。
カザルスのことを調べていると、平和活動をすることで名前も知られている。
あのアルベルトシュバイツアーなどと連盟で核兵器禁止の運動もしているのだ。
シュバイツアー自身は、ノーベル平和賞を受賞するほどの大変な人格者だが、彼はもともとカトリックの宣教師でパイプオルガンの名手。
バッハのオルガン曲を世の中に紹介した知る人ぞ知る音楽家なのだ。
宣教師として音楽にも極めて造詣が深かった。
シュバイツアーは自分自身の平和活動をするための資金を演奏会などのアルバイトで自らこしらえていたと聞いている。
カザルスはスペインが軍事政権となった頃、亡命をしているのだが、平和を愛する気持ちは、演奏会にもたくさん反映されているのだ。
特に自分自身の故郷とされるカタルーニャ地方の古い民謡を演奏した曲。
Pau Casals - El cant dels ocells (at the White House)
どうやらこの演奏はホワイトハウスに招かれた時のもののようだ。
1960年代だと思われる。
カザルスの晩年の時の様子だ。
すでに功なり名を遂げて音楽界の第一人者だったカザルス。
演奏はその時のものと思われる。
チェロが、深く重たい感じの音色で、人間の心の奥底を描く独特な楽器であることがよくわかると言える。
女性との関わり
カザルスは生涯に3回結婚をしている。
実はこの3回目の結婚こそが、彼を一躍有名にしたといっても過言ではないだろう。
カザルスの80歳の時である。2年前78歳の時に自分のチェロの教え子である18歳の少女マルタと知り合う。
妻マルタはカザルスの母親と故郷が同じプエルトリコのようだ。
このプエルトリコがカタルーニャ地方によく似ていてまるでスペインにいるようだとカザルスに言わせたようだ。
80歳で結婚をすることがどんな意味を持つのか、世の中から散々噂をされた。
しかし、カザルス本人は60歳年下のうら若い妻の中に自分自身の母親の若い頃の姿をだぶらせていたようなのだ。
常人にはなかなか理解できないが、相思相愛の間でなければ結婚をしてと決断するには至らないはず。
音楽家の情熱とか芸術家うんぬんは関係なく、人としての愛情表現の形と理解するしかないだろう。
カザルスは96歳まで生きたので15年以上一緒に過ごすことができた。
60歳年下の若い奥様はカザルスの死後2年後に再婚している。
年寄り目線の物の言い方をさせてもらえれば、ある意味、安心できる行動だと言える。
もともと大きく歳が離れていたわけだから、夫に先立たれた妻がそのまま喪に服して一生を過ごすなんて私に言わせればナンセンス。
後に残った膨大な時間を自分と自分の周りの世界のために有意義に使うのが最も望ましい。
ピカソと同じ時代を生きたカザルス。
やはりピカソと同じように、彼らに備わった感性こそが彼らの最大の武器だったのかも。