スーパーボランティアとして全国的に知名度の小畠春雄さん。
防災の日に特別賞か何かの受賞の案内があったらしいんだけど、九州の大雨の佐賀県でのボランティアの方が大切だと、出席はお断りとのメッセージ。
よく言われるんだけど、自分にとって何が1番大切なのか、何を優先すべきなのかをいつも考えて、1番しなければならないことをする。
そのことを身をもって証明してくれた小畠春雄さん。
実は、あの渋沢栄一が生涯かけて取り組んでいたのも、困っている人を何とかして救わなければの精神。
日本人として最も貴ばなければならない心がここにある気がする。
目次
防災功労者の受賞を辞退
このニュースを見たときに、ある意味 小畠さんらしいと感じた。
彼のボランティアは普通の人とは発想がちょっと異なっている。
困っている人の役に立ちたいとの思いは誰もが抱くだろうし、行動する人もとても多いのだが。
彼には純然たるポリシーがあって、被災地の人に絶対に迷惑をかけずにすべて手弁当で行うこと。
自分自身のライフワークとして、生活の全てを注ぎ込むこと。
はっきり言って付け焼き刃で真似できるものではない。
尾畠さん功労者受賞も被災地へ「こっちの方が大事」(19/09/09)
これは、政府関係者にしてみればある意味皮肉でしょ。
良い行いをした人に「ご褒美をあげるからこっちへおいで」の精神が表彰。
「結構です。いりません 」と小畠さん。
小畠さんの様々な行動が全国的に注目される中、たまたまネットで上がっていたニュースを見かけることに。
ボランティアのあり方を考えるときに、そのベースとなるのは何なんだろうと問いかけられている。
ボランティアは純粋に掛け値なしの善意の行為。
世情としては、今やボランティアなしでは災害復興など緊急の課題には対応できないだろう。
しかし善意の行為なので強制することはもちろんできないし、そして思うように算盤を弾くことにもならない。
税金で動くお役所を考えたときに、とてもありがたいけれど、とても扱いにくいシロモノがボランティア精神。
カウントしにくいよね。
長年こういった活動に関わってきた私の目から見ると、放っておくのが1番良いのかも。
世の中はこういった美談に飢えているので。
その都度 反応してしまうとかえって弊害が出てしまうのだ。
しかし、活動それ自体はとても大切なわけだし、結論から言ってあてにするしかないので。
お役所にとっては大切なのは距離感でしょう。
決して近すぎることなく、それでいて絶対に無視してはいけない。
小畠さんは被災地復興の専門家として 今やなくてはならない存在。
そして、ボランティア活動家としてみたときには、彼の活動の邪魔にならないことを周りみんなが考える必要が。
いまや、全国で知らない人がいないくらいの有名人。
これからも気兼ねなく活動していただけるためには、
“見守ること”
それが1番なのかもね。
困っている人を助けることが自分にとっての1番
小畠さんの人生観がよく現れる生活。
彼はわずかばかりの年金で暮らしているいわゆる低所得老人。
しかし彼の志は困っている人の力になりたい一心。
そのためにできるのは現地へ駆けつけて、体を動かして奉仕をすること。
災害復興の“小畠さんのノウハウ”は、参加した場所場所で生かされているようだ。
復興活動は、個人レベルの住宅の場合は、やはり段取りがあるわけだし、大勢の人数がお手伝いに入ったときには、きちんと指示伝達をして無駄な作業を極力排する必要が。
当たり前のことだが、お手伝いとは言ってはみても、行き当たりばったりに思いつきで作業をしてみたところでそれは迷惑極まりないこと。
その場所に求められる仕事はおのずと決まってくるもの。
被災した人の気持ちにどれだけ寄り添えるか。
何が求められているのか、何をして欲しいのか。
そこから1歩進むと、何をしてあげれば1番喜ばれるのか。
そのようなポリシーが小畠さんから雰囲気全体として匂ってくるのだ。
渋沢栄一の最後の仕事
この1週間位の間に渋沢栄一特集の番組を何本か見させていただいた。
彼は90歳を超えるまで長生きしていたのだが、社会福祉事業の創始者と言っていいぐらいの活動をされている。
彼の最後の仕事は、現在の生活保護法をきちんと機能させることだったようだ。
彼は昭和6年に亡くなっているので、昭和7年施行のこの法律の状況は見ることができなかったが。
福祉を考えたときに経済発展以上の功績が渋沢栄一によってもたらされたと言える。
彼自身の肉声でこうあった。
科学や社会の発展は我々にとって大変な恩恵をもたらすが、その発展と同時に求められるのは高い道徳基盤。
つまり便利で豊かな社会にはそれをきちんと管理運営できる道徳精神が必要不可欠。
しかし世の中の仕組みとして、発展することと道徳は思いのほか一致しない。
努力をして道徳規範をしっかりと築き上げることが肝要
彼のこのような精神に基づいて作り上げられたのが現在の社協。
そして画期的なのは、これらのシステムを税金で運営しなかったこと。
人々から寄付を募ったのだ。
この渋沢の集金力は実は彼自身のしたたかな策略があった。
彼は経済人など裕福な人に寄付を募ったのだが、その時に“泥棒カバン”なる 大きなカバンを持参したらしい。
つまり、相手に対してあなたのような著名な方が、わずかばかりの金額を差し出したところで格好がつきませんよ。
ある程度まとまったお金を拠出することこそあなたの実績にハクをつけると言うもの。
渋沢に行言われた経済人たちは、すぐに自分自身のメンツを考えたそうだ。
ここに渋沢の巧みな計算が生きている。
日本人の特徴として、メンツや建前などに大きくこだわる性質が。
その部分を巧みに利用していたと言える。
そして全体のポリシーとしては発展に伴って、その恩恵を受けられることができない弱者を救済することが社会の本当の発展の形。
そう位置づけて社会福祉事業を展開していたのだ。
彼は税制の上でも大きな貢献をして、大蔵省等でも大変な功績があった。
その彼が最後に手掛けたのが生活保護法。
しっかりと集めた税金を救済のためにきちんと投資しろと。
当時の大蔵大臣はこの90歳を超えた渋沢の直談判についに折れて、資金を捻出してこの法律を施行したのだ。
驚くべき精神力と言える。
じつは、渋沢栄一に注目して何度かブログで紹介することに。
実は知らなかったことが山ほどあって、私の気持ちとしては恥ずかしさが先に立ってしまう。
たくさんの人にこういった人がいることを知ってもらうことこそ大切なことだと思うに至ったのだ。
様々なボランティア活動
一口にボランティア活動と言っても様々なものがある。
ゴミ拾いとか災害復興のための支援とか、他にも病院の付き添いであったり、また勉強会の講師を引き受けたりなどと内容は多岐にわたる。
私も個人的にいくつかさせていただくので、多少なりとも知りえたことがある。
- ボランティアは思いつきではできない。
- 大抵の場合登録する場所がある。
- 体1つでボランティアに行く事はあまり歓迎されない。
実は小畠さんのポリシーの中心となる部分がここにあるのだ。
思いつきでやろうとしても、現地に行った時にてきぱき活動することができない。
気まぐれで行ったとしても、邪魔者扱いされるだけだろう。
そして登録する場所だが、被災地の場合は必ずボランティアセンターがあってそこにいったん顔を出して自分自身が活動をする旨を報告する必要が。
そこで、大抵の場合はどこへ行くべきかを支持してくれるのでそれに従わなければいけない。
被災地などで活動する場合、ライフラインが止まっている場合が多くて、水分補給も食料も被災者用のものはあっても、ボランティア用まで手が回っていない場合が多いのだ。
そうなったときに手ぶらで出かける事は、被災者をさらに増やすことになってしまう。
ボランティアを助けるためにさらにボランティアが必要になることに。
小畠さんの行動をよく見ればすぐにわかること。
彼はミニバンで出かけていって、そこに生活用具一式をあらかじめ準備してあるのだ。
現地の被災者の人には決して迷惑をかけない心意気がそこにはある。
さて、様々なボランティアがあるので、私なども登録しているのだが、社会福祉協議会。
これはと思う人たちはそこに一報を入れてみてはどうだろうか。
結論から言って、日本の社会のシステムはボランティアなしでは回っていかないのが実情。
渋沢栄一もボランティア活動があることまでは想定はしていなかったようなので。
これからの社会は、このような関わり方がとても大切になると言える。