無類の映画好き音楽好きなのだが、外せないものとして時代劇が挙げられる。
どちらかと言えば映画の方が好みだが、テレビのドラマでもそれなりのものが作られていて、見るものをして退屈させない。
今までいろんな時代劇を見てきたが、心に残ったいくつかの作品を思い出してみたい。
目次
水戸黄門を知らない人はいない。
様々なシリーズが作られたが1番人気は“東野英治郎”が“黄門様”にふんしたバージョン。
私が知っているのもこちら。
様々な役者さんが“黄門様”を演じているので、そのどれにも思い入れはあるが、やはりこちらが1番人気じゃなかろうか。
こちらもあまりに有名。
“徳川吉宗”の一代記を描いているが、痛快時代劇として根強い人気が。
歴史の好きなものにとってはコタエられない番組だったと言える。
他にもテレビでやっていたのは、“遠山の金さん”、“必殺シリーズ”、古いものなら“眠狂四郎”など様々なものが放送されていたと言える。
テレビの事はともかく、映画でも優れた作品が作られていた。
心に残った作品としては、
武士の1分
この映画は映画館ではなく、テレビのwowowで見た記憶が。
何度か見てみて、時代劇にしては地味な設定だが、しかしその背景とか、物語の中に一貫して流れる貧しい武士の心意気のようなものが感じられて、初めて見た時から好印象で見ることができたのだ。
この物語の第一の魅力は“セリフ回し”。
東北地方の田舎の設定なんだろうが、方言がとても耳に心地よかったのを覚えている。
主役の身分は驚くほど貧しい武士の設定(毒見役)。
毒見役の家だと、緑高も最低レベル。
武士とは言え、食うや食わず。
その役柄をキムタクが演じた。
脇役も実力者たちが配置されていて、見応え充分。
特に中元を演じた“笹野高志”、敵役を演じた“坂東三五郎”。
そして“緒方拳”などこれらの役者たちがきっちり周りを固めていた。
奥方の“檀れい”の魅力も申し分なく、目の見えなくなった主人をかいがいしく世話する演技がとても好印象。
この映画の題名になった「武士の1分」
命がけで守らなければならない自らのアイデンティティー。
主人公は自分自身の妻の受けた辱めを、なんとしても相手に償わせたかったのだ。
そして無謀にも目が見えない状態で、敵に果たし合いを申し込む。
そのいきさつも物語の中で丁寧に描かれていて、そして屈辱を果たすことができたのだ。
お殿様や英雄が主人公ではない時代劇。
しかし古い時代を描くとなればこのような題材があっても何ら不思議ではないし、何よりも生活感がしっかりと感じられるのは、よりリアリティーを生む。
この映画で、時代劇が本来とても面白いものだと改めて実感したようなもの。
剣豪が出てくるわけでもないし、お毒味役の貧しいお武家さんの家庭が存続できるかどうかの瀬戸際の話だったので。
キムタクの演技がやはり輝いていたと言える。
自分の命をかけて、「妻を辱めた男を許すわけにはいかない。」
その鬼気迫る演技はむしろ怒りがきちんと内側に向かっており、画面を引き締めることこの上もなかった。
“お毒味中の事故”で目が見えなくなった武士がどうやって剣の達人とされる敵に一矢報いることができるのか。
映画の中でも物語は淡々と描かれていた。
独特の雰囲気を持ったハッピーエンドと言える。
私の中でもイチオシの時代劇と言えるだろう。
関ヶ原
この映画は封切られてまだ日が浅いが 、時代劇としての風格のある作品に仕上がっていた。
個人的な意見を言わせてもらえれば、有村架純の存在する意味がいまひとつ、ぴんとこなかった事はあるが、物語のバックは重厚に描かれていて戦国武将たちの胸の内が巧みに描かれていたと言える。
この映画は歴史的に見ても多く取り上げられるきらいはあるが、描き方は特別難しいはずだ。
東軍と西軍に分かれて戦うだけの物語ではない。
両軍の頭とも言うべき石田三成と徳川家康は情報合戦を繰り返し、見かけの戦力兵力はあくまでも見かけであって実際どうなるか、予断を許さない状況にあった。
当時、戦国武将たちは三成に付くのか家康に付くのか決めかねていた部分がある。
当初の予定では西軍石田三成の方が優勢に思えたのだ。
兵の数、陣地の貼り方など東軍家康を上回っていたように思う。
実はこの作戦展開には家康の驚くべき根回しがあって、西軍の全体像は必ずしも一枚岩ではなかったし、常に崩される危険をはらんでいた。
歴史的に見ても有名な事実なので、この時、西軍の中でも重要な位置を占めていた小早川秀秋。
彼は家康の凋落に屈して東軍に寝返るのだ。
彼の兵力はおよそ1万を超えるので、その分が全て東軍に加わってしまえば西軍は総崩れ。
かくして、世紀の1戦はあっけなく幕を閉じた。
この映画の中でも、合戦のシーンよりは、こういった根回しのシーンの方がとても重要なように描かれていたと思う。
秀吉の恩義に報いるためになんとしても家康の横暴を食い止めたかった三成。
この映画も脇役は重鎮たちが固めていた。
秀吉の晩年は推定アルツハイマー病でまともな判断などできる状況にはなかった。
当時の言葉で言えば、ぼける状態だったのだ。
そのような秀吉を影でしっかり支えていたのは石田三成。
秀吉に引き立てられた三成は、なんとしてもその恩に報いたかったが 、老獪な家康の前には残念な結果にならざるを得なかったのだ。
小早川秀秋を演じたのは東出昌大。
小早川秀明はもともとは秀吉の甥だったのだが、家系の上でちょっとした手違いがあって小早川家に養子に出されてしまった。
幼いころから様々な接待を受けることに慣れてしまっていたため、20歳になる前に重度のアル中だったと聞いている。
彼は関ヶ原の戦いの後、わずか2年後になくなってしまうのだ。
最後の病状は精神にも重篤な異常をきたして錯乱状態だったと聞く。
そういったことも歴史書にはきちんと記述があるので、映画の題材として取り上げる時も、あ描き方としては参考になるだろう。
映画を見ていて史実に忠実に描いているなと感じたのは、徳川家康自身がかなり気の短いせっかちな人間として描かれていた。
家康が、すぐにカッとなる性格なのは昔からで、武田信玄に大敗を記した三方原の戦いなど屈辱と思える経験を持っている。
彼が歴史の中で重要な役割を果たすことができたのは、とりわけ部下たちの献身的な奉仕があったから。
家康自身もそのことを強く意識していて、部下たちに広く意見を求め、その意見に基づいて様々な作戦計画を立てていたらしいのだ。
様々な武将たちの胸の内を交錯させながら物語は巧みに作られていた。
関ヶ原は映画としての完成度も高く、相も変わらずwowowで見たのだが、何度かリピートしてみた記憶がある。
藤沢周平シリーズは見ごたえがあった
最近の時代劇は大河スペクタクルのような作られ方はしない傾向にある。
オリジナルの脚本は小説としてきちんと存在していて そこから書き下ろしとして作られている。
このほかにも、たそがれ清兵衛を始め、何作か映画として見たことが。
藤沢周平は時代劇関係では第一人者と言えるだろう。
こういった人の時代劇が原作として取り上げられたならば、映画であってもドラマであってもそれは面白いものができるに違いない。
最近の傾向としては時代劇は新しくは作られにくい傾向にあるので、週に何本かは時代劇を見たいが、再放送も多いようだ。
見ていて、安心して最後まで見られるのは時代劇の場合が多い。
この手の作品は、いい加減な作りでは決して成立しないので。
それなりのルールに従ってきちんと構成される必要がある。
数は少なくても、これからも良い作品はたくさん作られるに違いない。
浮ついたトレンディードラマのようなものを見るぐらいなら、私は時代劇を見たほうがはるかに面白いので。