くわちゃんの独り言

音楽や映画が大好きな爺さん。長年の経験から知りえたことを発信します。

1964年東京オリンピック 国民の意外だった反応

 

実は、昨日見たテレビの番組で東京オリンピック当時の日本人の様々な日常を報告したものがあった。

実はそれを見ていて感じたのは1964年当時、日本人のオリンピックへの関心はほとんど皆無だったのだ。

まだ終戦後、20年弱だった日本。

日本国民は生活に追われ、日々の暮らしの豊かさや便利さを夢見て、オリンピックどころではなかったのだ。

目次

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水泳の代々木体育館工事中

昭和39年当時の日本の世情

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選手村の食事会知っている顔もちらほら

昭和39年、終戦当時、東京の人口はおよそ300万人だったものがおよそ20年で1,000万人に増加。

この時すでに一極集中で人口が増え続ける今の状況は始まっていた。

もともと東京の人口は最初に言った300万人。

残りの人間は地方からの流入なのだ。

 オリンピックを控えた東京は、公共工事を始めとしてあらゆる作業現場で人手が求められた。

とにかく働き手が不足していたのだ。

当時、中学校を卒業してすぐに就職をする集団就職。

中卒の彼ら彼女らは、“金の卵”と言ってもてはやされたのだ。

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東北からの集団就職は特に多かったと聞く

今のように労働条件等がきちんと決められていなかった時代。

当時の中学卒業したての彼らは、個人差もあるだろうが、劣悪な労働条件のもとで目一杯働かされたと言える。

建築現場を始めとして、とにかく人が不足していた。

このような少年少女たちばかりでなく、出稼ぎ労働者たちも大量に投入されていた。

そしてどこもご多分にもれず、労働条件は決して良いものではなかったのだ。

 この当時、東京と地方での労働者の賃金格差はざっと倍くらいと聞いている。

農村部からは皆こぞって東京に働きに行きたがった。

オリンピック景気は汚職の温床にもなって闇経済も生まれたのだ

この当時の公共事業は、役人と業者が結託して賄賂などやりたい放題だったと聞く。

 摘発されただけで毎年約2000件の汚職があったとされる。

また暴力団関係の“闇の経済”も随分と暗躍したのだ。

 特に各工事現場への人員配置は、暴力団関係の派遣会社が取り仕切ることが多かった。

この当時の暴力団関係者が全国でおよそ18万人いたとされる。

あまりに多いので警察から暴力団幹部に、“オリンピックの間だけ田舎に引っ込むように依頼した”と聞く。

オリンピックが終わったらすぐに元には戻ったが。

今でもこれらの関係者はまだ3万人ほどいるとされる。

当時の東京は表通りはすこぶる立派だったが、1度、裏へ入ると、道路は舗装されておらず、ぬかるみや水たまりでかなりひどい有様だったようだ。

また表の商売ではない様々な水商売関係の店も相当多く、それはオリンピックを主導する政府にしてみても外国には見せたくない景色だった。

オリンピックの数ヶ月前からこういった社会的な恥部を国主導で隠そうとする、そういった運動も多くなったようだ。

つまり風俗店の摘発や、夜に街をたむろしている若者たちをことごとく補導して回った。

そこまで頑張って街の美化に勤めようとした。

オリンピックを開催するにあたって、とにかく美しい自慢できる東京にしたかったらしいのだ。

ただし、経済優先でやってきた政治的なツケは公害と呼ばれる様々な弊害を生み出したことも事実。

大体トイレは、この時ほとんどが汲み取りだったので、バキュームカーで汲み取ったものを東京湾の沖合に船で運んでそのまま捨てていたのだ。

今にしてみればとんでもない環境汚染。

また一般市民のモラルも極めて低く、そこら辺に自宅のゴミを捨てるなど当たり前すぎるぐらい普通に行われていた。

こういった街を、外国人から見ても恥ずかしくないところまで高めようとする動きがあったようだ。

 しかしながら、当時の働く人たちにとっては、オリンピックどころではなかったのだ。

とにかく劣悪な労働条件で、多少給料が良かったとしても、仕事が終わって家に帰ったら着替えて、ご飯を食べて、お風呂に入れば後はもう寝るしかないぐらい、くたくたに疲れていたのだ。

当時のインタビューの様子もテレビの番組の中で語られていたが、ウェイトレスたちでさえ、そういった意見を言っていた。

男子達も同じ。

特にオリンピックの工事現場を抱えていた労働者たちは1日16時間働くのだそう。

今ならば間違いなくブラック企業で摘発される。

もっとも他の職場であっても、今の基準で考えれば限りなくブラック企業だったろう。

これが東京オリンピック当時の実態。

 このときの労働条件の劣悪さを物語る1つの指標がある。

出稼ぎには来たもののそのまま行方不明になってしまう人が年間で3万人ほどいたそうな。

今、年間の行方不明者は1万人ぐらいだろうか。

当時は3倍の人が行方不明。

また工事現場では毎日のように事故が起こって、けが人の山が発生していた。

労災病院はほとんど休みなく仕事をするしかなかったのだ。

1964年の東京オリンピックはこういった労働者たちの犠牲の上に成り立っていた。

国を挙げて頑張っていたとされるが、地方からの働き手が皆、血と汗を流してオリンピックの舞台を作り上げたと言える。

【BROOK'S かんたん ぬか美人】

国が主導してオリンピックを盛り上げる

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東京は実は残念なぐらい汚い街だった

東京の裏町は、開発が全く手が付けられておらず、終戦当時の木造の住宅が山ほどあった関係で、街自体がかなりうす汚れた印象だったに違いない。

そういった街並みを0からきれいにすることなど、それはさすがに無謀なことだが、少しでも衛生関係の良い状態にする努力はしなければと考えたようだ。

国が主導して、東京の人たちを何百万人も駆り出して、街の清掃が行われたのだ。

この時がオリンピックのおよそ4ヶ月前とされる。

この当時の日本は、大量の出稼ぎ労働者たち、そしてその中で落ちこぼれた人たちも、多数存在していて、その人たちは自分自身の血を打って生活していたようだ。

働くときには、気をつけていなければ詐欺まがいのような連中が暗躍していて、働いたお金を根こそぎ持っていかれたりする人もずいぶん多かったと聞く。

そういった中で、やる気を失った人たちは世の中から脱落していくように、自分の血を売って、なにがしかのお金を得て生活していたと聞く。

牛乳瓶2本位の血液でおよそ1000円ほどで売れたらしいのだ。

そしてこういった売血は血液自体にかなり問題があって、およそ2割程度の血液は肝炎ウィルスに感染していたと聞く。

当時、日本のアメリカ大使だったライシャワーさんは、ある時、暴漢に刺されて日本人の血液を輸血された。

実はこの血液がウィルスに汚染されていて、彼は長くB型肝炎で苦しんだと聞く。

この時、オーストラリアのオリンピック選手団は、“日本に行っても日本での輸血は受けない”と宣言していた。

ほとんど知らされてはいないことだが、日本のことを調べればそのような闇の部分も多く発見されたのだ。

日本で行うオリンピックをこれほどまでに盛り上げようとしたのには、政治家たちの思惑があった。

とにかく頑張って日本を先進国の仲間入りさせたい。

そのためには多少の軋轢には目をつぶろうと言うのが、時の総理大臣を始め政治家たちの考え方だった。

あの時の公害はとんでもないものがあったのだ。

工場の排気ガスや廃液など垂れ流しだった。

東京湾はみるみるドブのような匂いを発するようになり、空気は常に淀んでその近くに住んでいる子供たちはそのほとんどが呼吸器疾患にかかったとされている。
 また東京に住む1000万人分のゴミも海へ持っていって捨てられた。

今フジテレビの社屋が立っている“お台場”と呼ばれる場所があるが、あの地下は基本ゴミである。

当時“夢の島”と呼ばれた。

夢の島はだんだんいっぱいになって陸続きになったのだ。

東京の1部は地面がゴミでできている。

驚くほど低かったオリンピックへの関心

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新聞記事とは裏腹 世の中の関心は極めて低かった

オリンピックに関心があるかとの問いに関心ありと答えた人がわずか2%ほどだったと聞く。
 ほとんどの人は全く興味がなかったのだ。

そのような状態からオリンピックでの成功を導き出すためには、政治主導で様々な運動が必要だった。

街の清掃ももちろんそうだったし、またテレビなどでオリンピックを盛り上げるような特集も多く放送されたのだ。

とにかくオリンピックに間に合わせるために首都高速や新幹線など先進国にも自慢できるような様々な交通手段を急ピッチで整備しつつあった。

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これらは全てオリンピック用

 「先進国の仲間入り」

大義名分はまさにこれで、これこそがオリンピックを行う合言葉だったのだ。

そしてオリンピックに出場する選手たちにも様々なプレッシャーがかけられた。

“東洋の魔女”と呼ばれた“女子バレーボールの選手達と監督”

彼らは2年前の世界選手権で優勝したならば、そこで引退をして皆、結婚しようという約束だった。

実はオリンピックでメダルの欲しい組織委員会は、オリンピックの委員会にバレーボールを競技として認めるように働きかけたのだ。

そしてそれは首尾よく成功した。

そして様々な圧力が女子バレーボールの選手たちにかかって、引退するつもりだった彼女たちを監督も含めてもう一度、表舞台に引きずり出すことに。

その当時の引退を決めていた選手たちには毎日のように手紙が届いたと聞く。

 引退しようとする彼女たちを捕まえて“非国民”呼ばわりしたらしいのだ。

彼女たちはいたたまれなくなってオリンピックまで選手生活を続行しようということに。

裏の話を聞いてみると随分と気の毒な話だ。

そうして、いくつかの目玉を作ってオリンピックを迎えることになったのだ。

来年のオリンピックはどんな感じだろう?

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建築中新国立競技場

現在、急ピッチで工事が進められているが、今の工事関係者は1964年当時のような 出稼ぎの働き手は日本国内にはあまりいないようだ。

今日本の工事現場で働いてる人の多くは外国人。

時代は大きく変わったと言える。

55年経ってみて、世界はずいぶん様変わりしたわけだし、日本国内も随分と変化してきている。

東京の人口は相変わら1000万人ほどだが、今も地方からの人口一極集中はあまり変わってはいない。

そして、働き手は明らかに不足していて、そこを補っているのは外国人というのも最近ではよく聞く話。

さて、もう来年の7月開催なのであと10ヵ月ほどに迫ったオリンピック。

55年前の私の親たちの世代と今の私たちの世代で一体どれほどマインドに差があるのだろうか。

街をきれいに保とうとする公衆道徳のようなものは、現代の方が進んでいるかもしれない。

しかし、今でも生活に追われてやっとの思いで食べている人たちがほとんどのような気がするのはそれは言い過ぎだろうか。

確かに年月は過ぎたが、人々の生活そのものは多少進んで近代化されたくらいで、心の中はあまり変わっていないと思う。

最初のオリンピックの時、私は11歳だった。

来年67歳で2回目のオリンピックを迎えることに。

今更だが、感慨深いものがある。

「骨盤ウォーカーベルト」