レオナルドダビンチのイタリアで特集された番組をテレビで見る機会が。
とにかく内容は、マニアック中のマニアック。
驚くほど専門的でその考察する内容も、素人では歯がたたないほど高度なもの。
しかし、見れば見るほど引き込まれるのがレオナルドダビンチの芸術。
私なりにもう一度振り返ってダヴィンチの値打ちを再考してみたい。
目次
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天才は左利きだった
ダヴィンチで大きな特徴とされるのは、彼が左利きだったこと。
そしてその当時の習慣にならって彼は、“鏡文字”と呼ばれる書き方をしていた。
つまり鏡に映った状態の筆跡が彼の特徴で、当時の左利きの人は、皆 こういった文字の書き方をしたと言われている 。
ダヴィンチは画家として今日にその名を残しているが、本質的には科学者でありトータルな芸術家と言えるだろう。
画家としてはあまりにも有名だが、それでいながら彼自身の作品とされる絵画は世界中探しても“20点ぐらい”しかないとされている。
驚くほど少ないのだ。
それもやむを得ないことと思われる。
ダヴィンチは1452年の生まれ。つまり15世紀、中世真っ只中に生まれた人で、今まで残る証拠はごく少ない。
ダヴィンチの主な有名な作品は、50歳くらいになってから書かれたものが多いようだ。
この当時、ダヴィンチのような芸術家にとって、その活動をサポートしてくれるのはほとんどの場合 著名な王室か、あるいは教会など。
つまり、パトロンが必要だったのだ。
ダヴィンチクラスの画家といえども、自分勝手に活動して作品を作ってみたところで生計を立てることにはならない。
必ずと言っていいほど、依頼主がいてその依頼を受けて制作に取り掛かるのが普通。
筆跡は鏡文字で残していた


サウスポーで何かをしようとすると読み書きは、どうしてもこういった感じになる場合が多い。
今はサウスポーの人も、右利きの人も 全て同じ方向の文字を書くことにはなっているが。
文字列が、左から右へ向かうので(横書きの場合は)、左利きの人には少しやりにくさがあると言える。
左利きの人は文字を書いた後、書いた文章が自分の書き手である左手で隠してしまう格好になるので、何を書いたかを確認しにくいのだ。
それで、左利きの人特有の書き方は、書いた文字が見えやすいように手首を大きく手前に折り曲げて、上の方から下の方へ向かってペンを走らせる描き方をする場合が多いだろう。
鏡文字はそういったことに気を使う必要がない。
鏡に映した状態なので右から左へ文字列が進むから。
ただし、読むときにはそれなりの苦労はあると思うが。
芸術家としてゆずれない領域
実は、この時代の画家の宿命として誰かに庇護されていなければ活動できない苦しい事情があった。
ダヴィンチといえどもその宿命からは逃れられず、必ず依頼主から依頼を受けて制作することとなっていたのだ。
しかし、ダヴィンチの大きな特徴として、“絵画を描く職人”としてではなく、“芸術家”としての自己主張が極めて強かったのだ。
それゆえに依頼されたものとは全く異なる画風の絵画を残したこともあったらしい。
芸術家としての自己主張を鮮明に打ち出した最初の画家がダヴィンチとされている。
また依頼されたわけではないが、生涯にわたって自分自身の手元に置いて加筆していた絵画が何点かあったようだ。
その中でも最も有名なものが『モナリザ』
1503年頃から描き始めたとされるこの絵画だが、10年経ってからも手を入れ直している。
ダヴィンチ本人にとってもそれだけ思い入れのある作品だった。
実はダヴィンチの画風として、最近の科学的な検証から明らかになった驚愕の事実がある。
それはダヴィンチの絵はレントゲンで見てみると絵自体が消失してしまうのだ。
理由があって、くっきりと輪郭を描いてからぬりえのように絵の具を乗せていく手法をとっていなかった。
ダヴィンチの手法は、薄く伸ばした絵の具を何層にも重ねてトータルで全体が表現できるような効果を狙っていた。
ダヴィンチ自体の技法に“スフマート”と呼ばれる独特の方法がある。
一言で言えば“遠近法”の1つに数えられるが、奥に行けば行くほど煙や、モヤの中に絵が溶け込んでいって、色合いが薄くなっていくと言うもの。
そうすることによって見るものをして近くの鮮明な主題から奥行きの淡い色合いの世界にまで引き込んでいく。
また、解剖学に驚くほどの造形を示していたダヴィンチは、絵画を描く前に厳格に体のパーツの採寸をしていたと言われている。
ダヴィンチが目指したのは究極のリアリズム。
目で見えるものは輪郭などあるはずはなく、それは絵画においても言えるのではないかとそう考えたようだ。
全体は、各パーツごとに克明に描かれてはいるが、輪郭を持ったものではなく、ピカソが用いたようなキュービズムにも似ていて、複数の視点からの素材を1枚の絵の中に表現していたフシもある。
最近の研究では顔料その他も厳格に特定しており、絵が描かれた年代もほとんど誤差なく判明している。
その他にも、ダヴィンチ特有の様々な技法などが検証されており、それらが総合的に判断されて本人のものかどうかが決められているようだ。
最近の研究では、科学的検証がなされないままダヴィンチの作品と認定される事は無いように思う。
今もまだ発見され続ける作品の数々
いまだにこれほどの有名な画家でありながらほとんどが謎に包まれているダヴィンチ。
肖像画ですら、これが確かなものと呼べるものは、実は存在していないのだ。
ただ聞くところによるとダヴィンチはかなりのハンサムで、魅力的な人物だったと記録が残っている。
当時の同じ時代の芸術家、ミケランジェロ、ラファエロなどとは違って容姿淡麗だったようだ 。
すでに、ダヴィンチが活躍していた時代からおよそ500年が経っている。
最近の研究で分かった事は、いくつかの作品は、ダヴィンチから数百年経ってから、別の人間による加筆もなされていたと言う事。
それらは皆、科学的検証によって明らかになっている。
絵の具の種類や、当時の画材と考えられていた木材などすべてを年代判定した上で結果として得られている。
海外の特集番組とNHKの関係
最近NHKをめぐるさまざまな社会的な風潮が取り沙汰されている。
主に受信料をめぐる内容だが、私個人で言うならば、受信料を払っているので特にこれはと論評する事は無い。
ただNHKで放送される様々な番組の中で、科学的な論評とか芸術的な様々な分野に突っ込んだ内容の優れた番組は、NHKの独壇場だと言うこと。
他局でこれだけの番組を放送できた例は過去にないと言える。
この専門的な、それでいて興味を引く番組作りは、私の中では大いに評価が高い。
この評価の高さに私の支払う受信料の値打ちがあるとさえ考えている。
様々な意見はあるだろうし、NHKといえども周りに揶揄されるような良くない部分があるのかもしれない。
私自身は、良いところだけを判断して評価をしていきたいと考える。
私が感心するような優れた放送がなされているので、その部分を正当に評価したいと思うので。
これからも優れた番組作りに大いに貢献してほしいものだ。