明日からは師走 12月で何かと気ぜわしくなる。
2019年もいよいよもう終わり。
年末になると、いつもこの時期ベートーベンの第九が演奏されること、また耳にすることが多くなる。
既に多くの人が知っている通り、日本では年末にベートーベンの第九を演奏するのは恒例行事となっている。
これは戦争前からのエピソードで、このように言い伝えがあるのが、最初は20世紀初頭の鳴門市の捕虜収容所でドイツ軍の兵士たちが演奏したことが元になっているとの説もある。
しかし、クラシック音楽ファンとしてみればこの曲はとにかく特別な曲で、あらゆる記念の行事で演奏されることが多いのだ。
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楽聖ベートーベンは特別
ベートーベンの値打ちは何なのかをずいぶん若い頃から考えてきた。
彼は音楽家としては致命的な弱点を抱えていた。
30歳になる前位から難聴に悩まされ、だんだんひどくなった病気はついに全く耳が聞こえない状態にまで陥った。
ベートーベンは耳の聞こえない作曲家であり音楽家。
音楽は鑑賞するときには耳で聞く事が出発点。
その最初のスタートラインに彼は立てていなかった 。
しかし音楽にかける情熱は並々ならぬものがあり、ベートーベンの著名な作品のほとんどは全く耳が聞こえない状態で作られていた。
哲学者ショーペンハウアーの言葉に、
『すべての芸術は音楽の状態に憧れるとある。』
芸術全般を考えたときに音楽は、その出発点であり到達点でもあると言えるようだ。
いっとき、日本で現代のベートーベンになる作曲家が現れたことがあった。
結論から言えばそれはインチキだったのだが。
耳が聞こえないハンディは普通ありえない。
そのような厳しいリスクを背負いながらベートーベンにつけられた別名は
『楽聖』
他にも“音楽の父”とか“音楽の母”とか、“神童”とか“魔術師”とか様々な呼び名の作曲家がいるが、ベートーベンだけはどうやら別格。
聴く者をして“生きよう”と言う気持ちにさせるから。
日本の古い歴史を調べると
こちらは1918年の捕虜収容所の様子。
この時、捕虜たちが演奏したのがベートーベンの第九とされている。
ネットで調べれば必ずこの歴史がヒットするので、知っている人は多いと思う。
しかし正確な理由はどちらかと言えば、第二次世界大戦直前の暗く苦しい世相を反映したときにこの演奏で気持ちを奮い立たせたと聞いている。
ちなみに太平洋戦争の開戦は昭和16年の12月8日。
この何年も前から日本は中国戦線で多大な犠牲を強いる戦いをしていた経緯がある。
中国戦線は70万人の将兵を投入して20万人の戦死者が出ていた。
引くに引けない泥沼の戦いだったと言える。
その頃の暗い世相を跳ね飛ばす意味でこの曲は演奏されたと聞いている。
そこから始まって今日に至っているようだ。
主な地方自治体では年末になると第九を演奏するのだが、合唱部分を一般市民から募る場合も多いようだ。
ドイツ語で歌わなければならないが、きちんと“虎の巻”が用意されていて老若男女問わずに歌うことができる。
さて、参加人数がうんと多ければ演奏規模も莫大なものとなるのだ。
オリジナルの初演の時は、オーケストラも30人から50人レベルで編成されたと思う。
合唱団も全体で50名レベルとみていいだろうか。
今、普通の演奏会で第九を演奏するならば、ざっと最初の頃の倍。
オーケストラ100人、合唱100人の編成で演奏されるのではないだろうか。
様々なオーケストラの演奏の中でも最も大規模なものと記憶。
世界的にはベルリンの壁崩壊から30年
1989年の11月の末にあのベルリンの壁は崩壊したのだ。
これで東西ドイツが亡くなったと同時に、旧ソ連も崩壊した。
彼は今のロシアとアメリカやヨーロッパの関係を見て、かつてのような壁を作るべきではないと提言。
彼は確かノーベル平和賞を受賞していると思った。
かつての東西冷戦の時ほどの危機は今は無いとは言っているようだが。
共産主義はこれで中国、北朝鮮、キューバだけとなったと思う。
政治的な事はともかく、このベルリンの壁が崩壊したときに、そのおよそ1ヵ月後演奏会が開かれた。
その時に演奏された曲がベートーベンの第九。
あの名指揮者“バーンスタイン”が死の前年 指揮している。
この時、バーンスタインは既に末期の肺がんを患っていてこのような演奏会を指揮することなどほぼ命がけだったと聞いている。
しかし、ドイツが統一されたことにこの曲はまさにうってつけの選曲だっただろう。
そのくらい値打ちのある曲だと理解する。
音源を探してみるとYouTubeにあったのでどうやら紹介できそう。
The Berlin Celebration Concert - Beethoven, Symphony No 9 Bernstein 1989
個人的な思いだが、これは人類の文化遺産とも言うべき曲目。
演奏するのにふさわしいシチュエーションが準備され、この感動は後世にずっと語り継がなければならないと。
この時バーンスタインは歌詞を変えて歌わせている。
その理由がこちら。
歌詞の変更について、バーンスタインはこう書き記している。
未来にも残したい文化遺産
不思議なもので若い頃、特に高校生ぐらいまではベートーベンの音楽は重たくていまひとつ難解な印象を抱いていた。
それがいつの頃からだろうか、ベートーベンこそが自分にとってナンバーワンの作曲なのかもと少しずつ認識するように。
それは音楽の迫力もさることながら、彼が抱えていた“絶望的なハンディキャップ”
あらゆる困難を乗り越えるその超人的なエネルギーを彼自身から感じ取ることができたから。
ベートーベンは本なども買ってさんざん読んで勉強してみたが、知れば知るほどその値打ちを思い知らされる。
せっかくの年の暮れ、慌ただしさに流されることなくゆっくり音楽鑑賞をする暇ぐらい持ちたいもの。