最近は、長い映画を見ることも少なくなったが、テレビでかつての作品を時々はコマーシャルなしで見られるので。
今回は録画しておいたものを再度見ることに。
フランシスフォードコッポラの地獄の黙示録
この映画は映画館で見た記憶が。
とにかくテレビのコマーシャルがすごくて、ぜひとも見たいなとつられて見てしまったようなもの。
またこの作品の前後には、この当時のハリウッドの最も著名な映画監督3人が日本の黒澤明を慕って来日していたこともよく知られる
3人とは
- ジョージルーカス
- スティーブンスピルバーグ
- フランシスフォードコッポラ
当時かなり有名だったね。
目次
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完成が危ぶまれるほど作品制作は難航した
この時ハリウッドを代表する映画監督3人に共通の特徴があった。
3人とも黒澤明の影響を色濃く受けていたので、揃いも揃って完璧主義者。
特に3人の中でもコッポラの完全主義は群を抜いていたと聞いている。
納得のいく撮影ができなければ、そのまま撮影は延期となり、しばらく待てとなった。
当初の予定よりも随分と遅れて映画は完成したのだ。
実は、あの当時の映画評論家淀川長治さんが
コッポラの地獄の黙示録は果たして完成するのかどうか、それすらも危ぶまれていたんだよねと。
しかし、下馬評はともかくコッポラ渾身の作品は見事に出来上がったのだが。
完全主義を追求するあまり、本物の遺体を準備したりなんてこともまことしやかに語られていたが。
映画の最後の方で牛を屠殺するシーン など、おそらく実写と思われる。
生身の牛の体に大きな刀が振り落とされてぱっくりと傷口の開くところなどはCGでは作れなかっただろう。
何よりもこの映画は1979年封切りで、スター・ウォーズや未知との遭遇の2年後の作品。
撮影のほとんどのシーンは実際にロケで生のまま撮影されたと聞いている。
あの爆破のシーンやそれ以外の戦闘シーンなど、全て実際にロケをして撮影。
それだけ考えてもかなりの資金が必要だったことが容易に想像できる。
ヘリコプターなど武器その他の調達も大変だったろうし、映画の撮影は天候とかスタッフの配置とか条件が揃うまでにかなりの待ち時間が必要とされる。
その部分で随分と辛抱して撮影したのではないか。
物語はベトナムとカンボジアにおける兵士たちの狂気
映画のテーマは何かと見るたびに考えさせられる。
もちろんこの映画にストーリーはきちんとあって物語として進んでいくのだが、主役マーチンシーンの1人語りの手法を使って映画は作られている。
そしてこの映画は理解する映画ではない。
監督自身が理解してもらおうと作ってはいないはず。
これは言ってみれば感じるべき映画。
映像を見て何を感じるかで映画の値打ちを決めるべきもので、あえてそのテーマを考えてみるとこういうことではなかろうか。
人間には、狂気と呼ばれる部分とその反対に位置する真心とか存在するが、どのような人間でも、その両方が心の中に存在していて、その境目ははっきりした区別はつかない。
コッポラの考えたテーマはそこら辺だろうと感じる。
ストーリーとしてはウィラード大尉がカーツ大佐を暗殺しに行く筋書きだが。
そこに至る説明も途中経過も、その時々のエピソードを関わり合う人間が、好き勝手に行動していることをほとんど脚色らしい脚色もなく描いていくだけ。
何かメッセージのようなものを期待して見ているとあてが外れるかもしれない。
この映画はとにかく難解な部分がとても多いので、いちど見たくらいではなかなか感じることもままならない。
今はベテランだった俳優たちも当時は若かった
この時、主演をしていたマーチンシーンは39歳。
映画が79年封切り。
ちなみに同じベトナム戦争を題材にした映画プラトーンがあるが、あの時主役を演じていたチャーリーシーンはマーティン・シーンの息子。
2人とも同じベトナム戦争を描いた作品に出演していたことになる。
チャーリーシーンを初めて見かけたのはウォール街でマイケルダグラスと共演していた。
俳優として順調なキャリアを積み上げつつあったのだが、私生活で少しつまずいた感はあるが。
フランシスフォードコッポラの監督としての評判
コッポラとルーカス、スピルバーグの映画を比べたときに1番黒澤明に雰囲気が近いのがコッポラだと思っている。
この2人は、自分の思い描いたイメージ通りのものを常に目指していて、俳優たちに試行錯誤するような隙を絶対に与えない。
とにかく自分自身のイメージが最優先するのだ。
それに比べるとスピルバーグなどはあのよく使っていたハリソン・フォードと現場でディスカッションしながら撮影していたのをメイキングで見たことが。
俳優としてどちらがやりやすいのかは判断できかねる部分があるが。
そして、コッポラは家族全員が映画人であるとも言える。
彼の妹はタリア・シャイアと言って、あのロッキーのエイドリアンを演じていた。
ちなみにコッポラの他の有名な作品と言えばゴッドファーザーシリーズがあるが、タリア・シャイアはその中にも出演している。
ゴッドファーザーの最後の作品ではコッポラ自身の娘ソフィアコッポラが、主人公マイケルの娘の役どころで出演していた。
コッポラの映画に漂うストーリー性は俳優のセリフなどからはあまり伝わってこないと言えるだろう。
セリフを含めた演技の全てが、映画のストーリーの表現の一役をになっているのだ。
見ている側は、映画を感じ取るのだ。
今回の地獄の黙示録でもう一つの特徴といえば、コッポラ自身がカメオ出演していたのをご存知だったろうか。
これはコッポラ自身のユーモアなのかもしれない。
自分の作品に自分自身が出演するカメオ出演はあのヒッチコックが最も得意としていたが、地獄の黙示録ではコッポラもこのように出演。
映画の中で盛んに怒鳴り声をあげているのがコッポラ自身の演技。
殺戮を交えた戦闘シーンなのに、このような冗談めいたやらせのようなシーンを加えることで、映画の描こうとした不条理な世界をより際立たせていた気がする。
もとよりこの映画が最大のテーマにしていたのは
人間の心の奥底に潜む不条理
既にもうレトロな映画の領域に入ってしまったが、黒澤明の映画を愛でる人ならばこの映画の値打ちをおそらくは納得できるのではないか。
私自身もそう思ってチャンスがあれば拝見することにしている。