結論から言うと、びっくりするほどためになる番組だった。
認知症にかかってしまった認知症の専門医長谷川和夫さんを特集した番組。
自らが認知症になったことで、その立場をもとに認知症を語る。
一見ありそうでそれほど多くはない話と言えるだろう。
長谷川先生は日本の認知症医療の草分けでもある。
認知症の正確な診断は脳の血流検査など専門的で複雑なプロセスが本来必要だが、いくつかの質問などを組み合わせることで、判定できるシステムがある。
これ長谷川システムと言ってこの先生の考案によるもの。
また認知症患者の家族の負担を軽減する意味でデイケアを初めて提唱した人でもあるのだ。
私が驚いたのは長谷川先生はセントマリアンナ医科大学の名誉教授とのこと。
私は20歳の頃、半年ほどこの大学の動物管理室で仕事をしていたことが。
不思議な偶然が重なって1時間ばかりの特集番組を拝見することに。
目次
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長谷川和夫さんとはこんな人
認知症の専門医として現役で活躍し続けた。
自ら認知症であるという重い事実を公表した医師がいる。認知症医療の第一人者、長谷川和夫さん(90)。「長谷川式」と呼ばれる早期診断の検査指標を開発、「痴呆」という呼称を「認知症」に変えることを提唱するなど、人生を認知症医療に捧げてきた。認知症専門医が認知症になったという現実をどう受け入れ、何に気づくのか。誰もが認知症になりうる時代。長谷川さんの姿を通して認知症を生き抜くための手がかりや希望をつむぐ。
実は、私も認知症サポーター養成講座を何度か請け負ったことがあるが、その時にこのスケールの話をし、実際に来ておられる方々を前に実践してみせたことが。
こちらの記事では、私自身の認知症体験も稚拙ながら紹介している。
実は日本の認知症治療を考えたときに 、長谷川先生がその草分けとも言うべき方で、様々な治療法を考案し、日常生活を送る上で、現在行われている介護の方法などを提案してきたのだ。
テレビを見ていて感じたのは、長谷川先生は音楽全般がどうやらお好き。
特にベートーベンのピアノ曲悲愴がお気に入りで、講演会などで自ら歌を歌う場合もあるようだ。
このピアノ曲は実はご自宅にピアノが用意されていて、奥様の瑞子さんが演奏されていた。
奥さんご自身も90歳近い年齢ながら、これだけのピアノ曲をこなせるあたりがさすがに一般的な家庭の主婦とは違うなと感じることしきり。
長谷川先生は現在、ご自身が介護を必要とする状態で、奥様と娘さんのまりさんが日常のお世話をしているようだ。
認知症は徐々に進行しているらしく、状況はテレビで見ていてもなかなか厳しいものを感じた。
嗜銀顆粒性認知症
長谷川先生の認知症はこちらの病気で診断が既に降りている
嗜銀顆粒性認知症
実は認知症の勉強していながらも、私はこの病名を今回のテレビ番組で初めて知ったのだ。
脳内のMRI検査などで診断しなければ分からない病気のようで、脳内に異常な蛋白が蓄積する点では他のアルツハイマーやレヴィー小体とよく似た感じが。
アルツハイマー病で特徴的なアミロイドβはこの認知症ではそれほど多くは発見されないようだ。
嗜銀顆粒(しぎんかりゅう)と呼ばれる脳内物質が蓄積される。
ちょうど文字入力をするときの ,(カンマ)に似ているかも 。
調べてみると症状が出ない人もいるらしい。
長谷川先生は他の認知症同様、物忘れがかなりひどいらしく、本人の言葉によると、
“日々、“確か”だと思うことが減っていく”と表現されていた。
自分がひょっとしたら忘れたかもしれない!と思ったことを確かめに家に戻るんだそうだ。
そして家に帰ってみると大丈夫なことを確認できる。
そうして出かけてみると、大丈夫と確認したことが確かなことなのかどうかを疑ってしまう。
そういったことの繰り返しで日常生活に大きな支障が出るとのコメントだった。
日々の生活
認知症を発症してからは見る限りではやはり表情から輝きが失われていたように映った。
当然91歳と言う年齢を考えると、やむを得ない部分も多々あるのだが、若い頃から現役の医師として、1線で活躍してきた 先生からすれば現状が不本意であると思わざるを得なかったのではないか。
認知症になってからは、確認の意味も込めて毎日日記をつけているのだそうだ。
その日記の中に書かれているのは
『自分自身が一体誰なのか、
これからどうなるのか、
そして、ほかならぬ奥さんがどこにいるのか。』
そのようなことが切なく綴られていたと思う。
家に閉じこもりきりではどうしても刺激が不足するとのことで娘さんの勧めもあって付き添われて毎日散歩などを生活に取り入れている。
喫茶店に行ってコーヒーを飲んでいるあたり、世間一般の人とは違ってかなりおしゃれな感じが漂う。
番組の最後の方で、番組スタッフから先生の問いかけがあった。
認知症になってから見ている景色はどのように変わりましたか?
『何も変わらない』
『普通だ』
『確かなことが少なくなった』
特に見えているものについては、感じ方は全く変わらないと本人が述べていた。
そして家族の話を総合しても、
“昔から自分たちのお父さんは家族を楽しませること、笑わせることが大好きで、その性格は今も昔も変わらないのだ”と。
認知症になっても、性格が変わる人がそれなりに報告されたりもするが、長谷川先生の基本的な性格は変わらないようだ。
しかし、番組の中で娘さんのまりさんに向かって、
“瑞子”と呼びかけたころはさすがに病気の闇の深さを思い知らされた感がある。
そして娘さんまりさんの年齢も全く曖昧で35歳と答えていたような。
実際はもっともっと年上のはず。
やはり一般的な認知症の症状で、誰が誰だかなかなか判断できなくなっていた。
そして、起こっていた事は財布をなくしたと言う日々の訴え。
毎日出かける人なので、その都度財布を持っていくのだが、その財布がどこにあるかを思い出せない。
さすがに、誰かにとられたと言う発想はなかったようだが、一般的なアルツハイマー病等では物盗られ症候群と言って、誰かにとられたとそのような発想をすることが時として起こってくるのだ。
長谷川先生は、認知症の症状が進む中で、毎日その症状は変わるのだが、体調の良し悪しも影響して表情からは笑顔が消えていたように映った。
時と場合によっては死にたくなってしまうのだそうだ。
その時は奥様に相談したらしい。
『自殺したくなっちゃうんだよ』
『格好悪いからお辞めになって』
そのような会話のやりとりがあって思いとどまったとされていた。
医者であること患者であること
毎日家族のケアが欠かせない状態になったので、長谷川先生もデイケアを利用されていた。
それは、ご自身がマリアンナ医科大学の専門医として働いていた時に考案し提唱したもの。
実際にデイケアでの活動の様子を映していたが、驚くほど表情に笑顔がなかったのだ。
結局はやめてしまったとのこと。
理由がとてもわかりやすくて、
つまらないので嫌になった
なるほど、実際にデイケアの様子を見ていても幼稚園児がやっているようなお遊戯のような内容が多かったと思う。
長谷川先生の感性で行けば、あまりにも不本意だと思う部分が多いのではないか。
呼びかけにもあまり答える事はなく、結局のところはもう行きたくないとのことになってしまったようだ。
そして、こうも言っていた。
僕が死ぬときにはどんなふうに逝ってしまうんだろう?
周りの人たちがどきっとするような発言。
番組の終わりの方で盛んに語られていたが、
家族への感謝
周りの人たちへの感謝
ほかならぬ奥さんの瑞子さんへの感謝
そういったことがとりわけ強調されていたと思う。
認知症をめぐる様々な事は毎日リアルタイムで起こっているが、認知症治療の第一線で活躍していた長谷川先生のこのエピソードはとても印象的だったと言える。
今は誰が認知症になってもおかしくない時代。
特に85歳以上の高齢者だと3人ないしは4人に1人が認知症を発症するとされているのだ。
全体の患者数も正直 正確なところはつかめていないと思う。
求められるのは社会全体でどのように受け止めどのように対応するか。
番組を見て気持ちも新たにするが、やはり啓蒙運動はとても大切だと考えている。
私も素人ながら、多少なりともボランティアで活動をするのでこれからもできる範囲での応援はいとわないつもりでいるのだ。