何年かぶりかで大阪で武志君と一緒の休日。
動物園で象を見て、買い物などもして、楽しい時間を過ごしていく。
夕方になってから、宿泊先へ移動。
なんとそれはほかならぬ昔荒木荘で一緒だった庵堂ちや子さんのところ。
なんとなく公団のような作りのところだったけれど、今は地元の婦人の住民運動の活動場所ともなっているようだ。
久しぶりの再会と、大阪時代の懐かしい思い出と。
目次
大阪では楽しい思い出が
大阪行きはほかならぬ百合子ちゃんからのオススメ 。
あらかじめ、ちや子さんに連絡をしておいてくれたのだ。
とりあえず、武志君と動物園で過ごした後大阪の街を散歩。
食べたり飲んだり、風船をもらったりと、楽しいことこの上もなく。
喜美ちゃんにとっては何年ぶりになるのだろうか。
確か18まで働いていて、今はすでに30過ぎなので、15〜6年は経っているかな。
聞けば、あの荒木荘。
今は更地になっていて、新しく立て直しているとの事。
荒木サダさんは服飾学校の校長先生をされているらしい。
そして喜美ちゃんの師匠大久保さんも相変わらずだと。
しかし、喜美ちゃんにはおおっぴらに話すことのできない夫婦の問題を抱えていた。
ハさんは家を出て行ったままだし、自分自身も穴窯の挑戦に3度続けて失敗したので、この先どうしたものかと思案している最中。
簡単には、にこやかな表情にはなれない苦しい事情が。
庵堂ちや子さんとその仲間
ちや子さんの所には住民運動をする働くお母さんたちの集まりがあった。
皆さん共働きで子供を抱えているのだが、子供を預かってくれる託児所が見つからなくて、子供の首に家の鍵をぶら下げる鍵っ子を余儀なくされている。
できれば安心して子供預けられる託児所が欲しいものだと、さらに、公共の施設で何とかならないものかと、あちこちに署名運動を始め働きかけをしていた。
そんな中で、どうやら市会議員が動き出すこととなって、運動も少し前進。
この時代、鍵っ子と呼ばれた子供たちは結構ニュースにも出ていた記憶が。
大抵の場合、首から家の鍵をぶら下げて外で遊んだり、また家の中にいたり、今のようにゲームとかネットとかは全くなかったので、テレビがあればテレビを見るか、そうでなければ外で友達と遊ぶしかない。
健康的と言えばまさにそうだが、親の立場からしてみれば好き勝手にそこら辺で遊ぶのではなく、ちゃんとした施設で預かってもらって安心して仕事をしたいのが本音。
そういった働く親たちの集まりの拠点となっていた。
喜美ちゃんとハさんの距離感
喜美ちゃんと武志君が大阪に行っている間、ハさんは荷物を取りに川原家に戻る。
わずかばかりの荷物だが、小脇に抱えてお母ちゃんとも一言二言挨拶を交わす。
決して言葉を荒立てることもなくにこやかで穏やかな雰囲気。
武志とはきちんと会えてるん?
このお茶碗はどうするん?
ここに置いとこうか
もう、穴窯はせえへんやろ
今度時間を見て喜美子ともじっくり話します
このような会話をして、ハさんは一人暮らしの部屋へ戻る。
ハさんはお母さんの質問にいくつかはきちんと答え、喜美ちゃんの穴釜挑戦をあきらめる話には答えなかった。
喜美ちゃんが簡単に諦めるような人間でないことをよく知っている。
しかし、結果の出ないものをズルズル進めるわけにもいかず。
どこかで採算の合うようなことをきちんと決める必要が。
この先、必ず2人で話し合う時がやってくるはず。
モデルの神山清子さんのエピソードとはどうやら少し違う内容になりそうかな?
ラジオから聞こえるのは懐かしい声
さて、ちや子さんは晩御飯が終わってから、取材があるとかで出かけることに。
そして夜10時になったら、ラジオの放送を聞いてみると良い。
そう言い残して部屋を出る。
1人で部屋に残った喜美ちゃん、
昔のことを思い出しつつ何気なく絵を描いていく 。
そして時間になったと思ってラジオをつけてみたところが。
なんとなく聞き覚えのある声。
ひょっとしたらと思ってみたが、パーソナリティーのゲストとおぼしき人物の名前を聞いてびっくり
信楽太郎
どこかで聞いたようなことが。
ちなみに、このサンタの帽子をかぶった人が信楽太郎
何の事は無い荒木荘時代の雄太郎さん。
どうやら苦労を重ねた結果、今は歌手として何とか成功しているような雰囲気。
荒木荘の頃を思い出してみると、彼は家賃の滞納でも結構有名。
役所に勤めていたのをやめて、役者を目指した挙句、なかなかものにならずに様々な職業を転々としたようだが、今は歌手で1曲売れたような雰囲気。
なんとなく演歌っぽい伴奏で聞こえてきたけれど、続きは明日のお楽しみかな?
スカーレットは、大阪時代の人が改めて登場してくるようだ。
この懐かしい人たちとの再会を経て、川原工房の物語はどのように描かれるのだろうか。