2020年2月の9日。今日、京都では毎年恒例の阿含の星祭りが執り行われていた。
ここで言う星とは生まれながらに持っている運命の星のことで、空の星とはちょっと意味が違う。
伝統的な宗教行事と思えば間違いない。
私も40年近く前からここを中心とした様々なボランティア活動に参加させてもらってきた。
さすがに最近は歳をとって、体力的にも全く自信がなくなってしまったので、ほぼ家の中でおとなしくはしているが。
この星祭りで修行をする事は正直なところ体力の極限まで酷使する。
とてつもない規模で焚かれる大護摩壇二基
映像でもそれなりに伝わるが、実際のものは半端でなくすごい。
目次
2月9日 阿含の星祭開催
花火が上がるのは実際の修法開始のどのぐらい前だっただろうか 。
ちなみに私は昭和59年から何度か続けて参加して、その後何十年か間が空いて、さらにここ何年か参加をしている。
私は基本的には手伝い要員として参加するので、普通の参拝する人とは時間割がまるで違う。
昔はホテルには止まらず、修法地のお山であったり、平安神宮前の本部で泊まったりしていた記憶が。
最近になってからはもっぱら京都の駅前にあるホテルに泊まる。
たいていはツアーで参加するのでホテルからの移動その他も全てタクシー代までが料金に込みになっている。
今日、本番だったので、昨日は午前中10時ぐらいからリハーサルが行われたはず。
会場の設営自体は1月の末ぐらいから始まる。
あの巨大な護摩壇の準備は2月の最初には出来上がるはずだ。
昭和59年当時だと、リハーサルの前日でもまだ途中の状態だった。
とにかく全てを人力で行うのだが、そう簡単に人は集まらないもの。
今のように人材が豊富な時代ではなかった。
地元の人もまた私のように北海道から馳せ参じる人たちも全て手弁当。
1番遠いところでは台湾からもかなり多くの修行者が集う。
当日の朝は、最近の例で言えば、朝2時ないしは3時起床になる。
と言うのは、朝6時には送迎のタクシーがやってくるので、その1番のタクシーにどうしても乗りたいがため。
何時間も前に起きるには理由がある。
あの山伏の装束。
1人で着付けをしなければならないのだが、着物並みに難しいと言える。
着方を全てマスターしていても私のような普段やっていないものだと1時間以上かかると思っている。
装束が家に来た段階で自宅で何回かリハーサルをしておくべき。
いろいろと着て行くので着る順番がとても大切になる。
間違えると最初からやり直しになるので何度も頭の中で反芻しながら着付けをする。
そうして終わってから、当日必要な荷物を抱えてタクシー乗り場へ出かけることになるのだ。
これは京都の駅前の新•都ホテルで撮影したもの。
おそらく朝5時前後と思われる。
ここから全てが始まるのだ。
実際に結界の中で修行をするときには、点火する前までは寒さとの戦い 。
京都の冬は気温は北海道ほどではないが、どう言ったらいいんだろうか、あの体にまとわりつくような寒さは体の芯まで冷えきってしまう。
そのための装備をこの衣装の中に隠すわけだが、カイロなどを貼ってもそれほどの効果は…。
とにかく寒さを感じるのは下半身。
特に足先とかふくらはぎなど。
この辺がどうしても無防備になるので、それに比べれば上半身はカイロをペタペタ貼っておけばそれなりに防ぐことができる。
私は、テレビで宣伝している上下合わせて20,000円弱位のちょっとお高い下着を使用していた。
それでも寒いものは寒い。
しかし、一度点火を迎えたならば、後は熱さとの戦い。
映像ではわかりにくいが、火の粉が上から山ほど降ってくるのだ。
結界の中だと、おおっぴらに振り払うわけにもいかないので、自分自身のタンパク質が焦げる香ばしい匂いをかぐことになる。
たいていは髪の毛が燃えているんだよね。
人にもよるけれどやけどもする。
気が張っているので火の粉が装束の中まで通って火傷するまで気がつかないのだ。
【冬の京都の風物詩】2020年(令和2年)2月9日火の祭典 第47回阿含の星まつり
【京に春を呼ぶ炎の祭典】第47回阿含の星まつり 京都市山科区北花山大峰
点火直後から実際に炎が立ち上って燃え盛っている様子まで。
点火自体は10時だが 終わるのは4時過ぎぐらいになるだろう。
氷の勢いを維持しつつ、護摩木を投入する係や、閼伽(アカ)と言って水をかける係。
それと同時に、お供物や酥油を注いだりする係など、息つく暇もない。
護摩壇のそばにいる時は、必死なので疲れも何もあまり気にはしないが、1連の作業が終わってホテルに帰ると正体不明なくらい疲れている。
しかしやり遂げたと言う達成感は格別なもの。
私が参加したのは2017年まで
YouTubeに各年度ごとの動画が上がっているので私が参加していた頃のものも何とか発見できた。
この時が私が参加できた最後の時。
ちなみにあのホテルの映像のときの実際の参加の様子。
私の係は大扇といって、赤い色をした巨大なうちわである。
これで導師を火の粉や煙から守るわけだ。
護衛のようなものといってもいいだろう。
それほど体力は使わないが、とにかく人の目があること。
身を挺して導師をお守りすること。
粗相のないように努め上げるためにはやはり覚悟が必要だろう。
私がいたのは画面に向かって左側の方。
自分の立っていた位置も想像がつくので、目を凝らしてみたが私自身を発見することにはならなかった。
しかしこの映像の中に間違いなく参加していたので。
伝統行事などで作法はかなり古めかしいよ
神仏混交で行われる行事なので、神道の作法も随所に取り入れられている。
また、ゆかりの神社の宮司さんや、雅楽担当も参加する。
その他にも、山伏問答から始まって宝弓作法 、斧作法、宝剣作法。
これらは伝統的な行事でどこでも見られるものではない。
この前作法だけでざっと1時間程度はかかることに。
その間、結界の中にいる山伏たちは男性も女性も含めてじっと動かずに立ち尽くすことになる。
今日は映像で確認したところ粉雪が舞っていた。
大体想像はつくが、歯の根も会わないくらい寒い。
味わってみなければわからないことだが、およそ400名位は待機しているのだが、よく卒倒者が出ないものだと感心する。
全員、筋金入りの修行者なので歳をとっても根性だけは一人前と言えるだろう。
修行者も莫大な数だが、参拝者も数十万人
星祭りは、山伏の1団が総本殿を出発するところから始まるのだ。
これを山伏行列と呼んでいる。
何年か前からはこの方式になったのでそれほど苦しくはないが、以前は国道1号線の山の麓から修法地まで 長い階段を上る道のりだった。
これはおよそ20分程度の道のりなのだが、息が切れるほど本当に切なかったね。
それに比べれば、最近のこの方式は修行者にとっても少し一息つけるのでは。
霊的な世界に憧れること
星祭を紹介するサイトも用意されている。
さて、純然たる宗教行事なので科学的な根拠は一切存在しない。
実は、ここで私も何十年も関わってきてわかったことがあるのだが、こういったことを学んだり勉強するのに科学的な根拠などまるで必要ないと言うこと。
科学は物質の法則を明らかにして様々な方法を生み出すこと。
しかし宗教となればそういったこととは無縁。
宗教が解き明かすもので1番の大きな特徴は霊的な世界をきちんと認識することだろう。
結論から言えば大抵の人は良くても半信半疑。
普通は理解しないはず。
そして理解できない理由として科学的でないからと言う意見はとても多い。
ここで止まるか先に進むか、そこのところを考えてみたいと思ったのが今から40年近く前の私。
様々な検証を重ねて、読むべき本は全て読み、映像でも確認してみて、残った方法は1つ。
それは自分で実地に行ってみて検証すること。
そう思いつつ今に至っている。
宗教が教える最大の優れている点は、
- 世の中には自分よりもはるかに優れたものが存在する。
- 世の中で自分が一番偉いと思うのは間違い。
実はこのことも理屈で学ぶべきことではなかった。
毎日繰り返すルーティンの中で一定の時間が過ぎた時に、おのずと自分の中に思いが根付いている。
たくさんのことを学ばせてもらったが、日々行うルーティーンがどれだけ重要なのかも何十年も経ってみてやっとわかってきたくらい。
正直言って私はあまり熱心な信徒とは言えないだろう。
それでも不思議なもので、私自身の中に備わった何かが穏やかで朗らかなものに導いたんだろうと思う。
単純にご縁と言っていいのかも。
さて、これでどうやら星祭りは無事終了。
明日からまた、日々繰り返されるルーティーンが始まるのだ。