北海道に住んでン十年。
この時期になると思い出す食べ物がある。
日本海側の小さな村で生まれた私は、海にちなんだ食べ物をよく食べていた気がする。
1年通して食べられるものもあったが、なんといっても雪が降るようになってから作られる食べ物は格別においしいと記憶。
最近ではとんとお目にかからなくなったので、ちょっと記憶を頼りに振り返ってみることに。
目次
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別名鍋壊し
最近はスーパーでも切り身になった状態で売られていることが多い。
カジカで鍋を作ると別名『鍋壊し』と言って皆が鍋が壊れるまでつつくのでそれだけおいしいと言う意味が込められた 。
味に特徴がある。
魚の旨味は強烈なのだが、それは身からはほとんど出てこないと思う。
ほとんどの場合“頭”とか“皮”、それと“内臓”から。
ここから出る旨味が絶品なのだ。
基本的には“あんこう”に似ているかもしれない。
体の周りはぬるぬるした粘膜で覆われていて、それをきれいにこすり落としてから料理をする。
大きなものだと1メートルぐらいはあるので、さばくのも大変。
頭などを断ち割るときには、よく切れる出刃包丁で思い切って作業をしないと、怪我することがあるかもしれない。
特に極めつけでおいしいのは肝。
これが入らないとカジカ汁は始まらない。
あん肝とよく似ていると言えるだろう。
要するにフォアグラみたいなもの。
身はどちらかと言えば淡白なので、タラとかと同じ系列の上品な白身。
鍋にするととにかく出汁がよく出る。
ありあわせの材料を入れて(野菜など) 1鍋作れば、みんなおかわりして食べることに。
懐かしい鰊漬け
鰊漬けは材料がとてもシンプル。
- みがきニシン
- 米麹
- 大根
- キャベツ
- にんじん
- しょうが
- 塩
これらのものをそれぞれのご家庭の事情で配合するのだが、みがきニシンの扱いに少し配慮が必要で、米のとぎ汁とかで戻さなければならない。
後は適当な大きさに切って樽に漬け込むだけなのだが、私の母親の証言から考えると難しさが1つだけある。
『それは漬物を始める時期』
ちょうど、11月の末にかかる頃から食べ始めていたと記憶する。
私の生まれ育った家では何種類もの漬物をつけていたが、最初に食べ始めるのが鰊漬け。
どうやら、初雪が降るちょっと前からつけ始めて初雪が降り始めて最低気温が氷点下になるあたりが食べごろになるのだ。
それはどうも中に混ぜている米麹に理由がありそう。
発酵に最適な時期を選ばなければならないようだ。
この漬物の賞味期限は意外にも短いのだ。
米麹の発酵が進むとかなり酸っぱい食べ物に変化する。
そして母親に聞いたところでは、冬ある程度寒くなってから漬け込んでも発酵しなくて食べごろにならないのだそう。
この食べ物は、家族全員で食べる。そして夜出てくることが多い。
1人でどんぶりいっぱいぐらい食べるので、ちょっとした鍋に山盛りいっぱいぐらい食べてしまうかも。
我が家では大きな樽で漬け込んでいたけれど食べきれずに余す事はなかったと思う。
シンプルな味付けだが、食べ飽きることがないので今でもチャンスがあったら食べてみたいとつくづく思う。
びっくりするほどの珍味カジカの子
カジカを一匹丸ごと買って、さばいて食べるのが昔の海沿いに住む人たちの習慣。
1匹丸ごと買うと、お腹をわった時に楽しみがあるのだ。
もし運良くメスで卵が入っていたならばその卵を醤油漬けにして食べる。
これは熱処理しないで生食である。
カジカの子の生食で当たった話は聞いたことがない。
当然のことながら新鮮でなければ絶対無理。
醤油漬けにしたときに風味としてみかんの皮などを少し刻んで入れるとおいしさが格段にアップする。
この卵のおいしさは味わったものでなければわからない。
小さな子供でも大好きな子たちは多いだろう。
大人は酒の肴に重宝する。
そして、カジカはいろんな魚がある中で驚くほど安いのだ。
庶民の食べ物としてさんま以上にポピュラーだと言える。
もしスーパーで売っていて手に入るのならぜひとも試したい。
料理の方法はとても簡単。
卵を水洗いして卵膜などを極力取り除いて、後は醤油、酒、みりんを煮切ったダシに1晩くらい漬け込むだけ。
驚くほど簡単。
あの香ばしい風味が忘れられない。
たらば蟹の子
タラバガニの外子も珍味でとてもおいしい。
こちらも新鮮なものでなければ生食するので 、古いものは適さない。
味付けはカジカの子と全く同じと言える。
これもクセがなく、とても風味の良い食べ物。
この時期はスーパーで運がよければ売るだろうが、普通店頭に並ぶ事はないだろう。
多分海岸線の紋別とかそういった港町の魚屋なら売っている可能性があるかも。
私も過去に食べたことがあるが、ほんの数回ほど。
店に売っていないのであれば、手出しのしようがない。
とにかく生食する食べ物なので、新鮮でないものには絶対に手出しをしてはいけない。
子供の頃は当たり前のように食べていたけれど、今にして思えばかなりぜいたくな食生活だった。
今は昔に比べればはるかに豊かなはずだが、このような伝統的な食文化に触れられていないのはある意味貧しいことなのかも。
北海道の周りの海でとれる様々な食材も、時代の流れで変化しているのかもしれない。
その季節を代表する食べ物が昔からあったのだが、今は昔ほど簡単に手に入らなくなってきている。
まとめ
ここは日本海沿岸の『大椴(おおとど)』と呼ばれる 本当に小さな集落。
今はこの写真の建物も残されてはいない。
今年のお盆の時に墓参りで寄ったんだけれど、今は草ボーボーの荒地。
もともとは国鉄羽幌線の中継駅で、ここからさらに北に羽幌炭鉱が控えていた。
またこの大椴の山奥にも小規模ながら炭鉱があったので石炭運搬の主要な駅としてここは機能していた。
現在は全く無人となった地域だが、かつて私が子供の頃には、駅で働く人たちの官舎が何棟か立っていて、何十人かの人たちが家族連れで住んでいたと思う。
またこの駅のすぐそばにはニシンの漁場があって、その積み出しの中継駅の役目も果たしていたのだ。
この両方の建物は、私が子供の頃の遊び場だったと記憶する。
私は8歳までここで暮らしていた。
年に1度ここへ立ち寄るが、周りの景色が驚くほどコンパクトに映る。
理由は簡単で、8歳の時の私の記憶では身長はせいぜい120センチほど。
その時の目線で見れば今よりもずっと低いので距離感がまるで違うから。
さて歴史の中にこの地域は埋もれている。
ここで生まれ育った人も私を始め何人かいるのだが、今はどうしているのか。
冬になって冬特有の食べ物が記憶の中に蘇ると、このときの暮らしも同じようによみがえってくる。
私自身の細やかな一里塚なのかもしれない。