大阪から市会議員になった庵堂ちや子さんが信楽へ。
喜美ちゃんにとっては古い友人であり、何よりも心から信頼できるお姉さんのような存在。
かつてお金がなかった頃、また初めて恋をした時とかそれ以外にも色々と話を聞いてもらったことが。
ちや子さんにはどんなことも話すことができて、しかも相談にも乗ってもらえた。
わざわざ信楽まで来てくれたのにはほかならぬ武志君のこと。
自らもドナー検査をしてくれて、さらに自分のネットワークを使って呼びかけたいと。
頼もしい仲間たちの輪ができつつあるのだ。
目次
ちや子さんの応援
武志君のドナー登録のために自らも検査を受けたとのこと。
結果がわかったら連絡すると。
そしてさらに市会議員であることを役立てて、ネットワークを生かしてドナー登録を大勢に呼びかけたい。
その時には陶芸家川原喜美子の名前も使う。
こういった不特定多数のたくさんの人の応援を得るためにはやはりなんといってもネットワークが大きくものを言う。
この昭和59年当時では、まだ携帯電話もなく今のようなインターネットも全く整備されていなかったので。
そのほとんどは口コミか、あるいは自分自身で手紙を出すかぐらいしかなかった。
今ならばSNSでいっぱつなんだけどね。
Facebookの友達などで拡散を呼びかけてもらえればおそらく1日2日で世界中に広まる。
この何年か後にはいよいよインターネットの時代が始まるのだ。
喜美ちゃんにとってちや子さんは生涯を通して味方であり、ほとんど家族同然の間柄。
患者の会って?
大崎先生の紹介で白血病患者の会に顔を出してみることに。
その時、武志君と同室の安田智也くんのお母さんも誘ってみた。
患者の会はまだ発足したばかりで、特に何か大きな目標を持っているわけでもなく、
- 情報公開(抗がん剤治療の副作用など)
- 励ましあい
この2つを当面の課題として活動しているとの事。
この最初の集まりの時に、智也くんのお母さんのやつれた表情がなんとも同情を誘うのだ。
智也くんはもう既に末期の症状を呈しているように見えた。
すでに食欲もなく、どうやら髪の毛も大幅に抜け落ちているようで頭に帽子をかぶっていた。
少しずつ最後の時へ向かっていく息子の姿を見ているお母さんにとって、どんな励ましがあれば元気になれるのかと。
朝ドラの枠の中での描かれ方なので、ドラマとしては通りいっぺんなのだが、闘病生活を送る人たちのせつない胸の内がよく表れていたようだ。
もう助からないのかもと思ったところから、苦しみはさらに増していく。
白血病に限らず末期のガン患者などは、それなりに意識を保っているので、弱っていく自分を常に自覚することができる。
そして患者以上に辛い思いをするのが家族。
白血病患者でしかも自分の子供が病気にかかっているときはその親御さんの気持ちは察するに余りあるものが。
智也くんのお母さんは、もう人からの励ましなど受け付けないほど疲労困憊している。
仕事に取り組むこと
患者の会の後、自分の工房に戻って治療費やこれからの生活のことを考えて作品をほとんど手放すことに。
そしてさらに新たな作品作りを始めて自分自身の目標とする喜美ちゃん。
陶芸家川原喜美子の知名度をアピールできれば作品の買い手は引く手あまたなのかなと。
工房の店の中に並んでいた主な作品全てを売却することとしていた。
ちなみにあれらの作品は全て喜美ちゃんのモデル神山清子さんのもの。
番組がお借りして陳列していた。
今のように白血病の治療薬の特効薬があるわけではない時代。
治療をしようにも、結果は大体見当がついていて、時間が経てば死を受け入れるしかない。
しかしただ黙って運命を受け入れるのではなく、たとえ1%以下の望みであっても、望みがある以上は全力を尽くして頑張りたい。
喜美ちゃんは自分自身の心と体に鞭打って努力しようと決意をするのだ。
武志君と真奈ちゃん


真奈ちゃんは武志君のことが大好き。
そしてこの時代の若い娘さんらしく、積極的で、それではっきりものも言う。
そういった真奈ちゃんの気持ちを痛いほど理解している武志君。
しかし彼は自分の運命を考えたときに真奈ちゃんの真心を素直に受け入れることができないでいるのだ。
仮に、好きになってお互い付き合ってみたところで自分自身の命の期限が区切られている以上、何年か後には辛い別れが待っている。
それならば深い関係にはならずに、一定の距離を置いた方が真奈ちゃんのためになると考えてのことだろう。
その気持ちも痛いほどよくわかるだけに。
自分が愛しいと思うものを傷つけたくない。
年端もいかぬ若者がなんと健気な😭
でも、2人の関係はもっと気の利いたふさわしい間柄が短い時間の中で作られても良いのでは。
明日のエピソードでその辺のところが詳しく語られるはず。
闘病仲間
入院中の同室の友達にお見舞いで訪問をする。
この智也くんの姿は、やがて近い将来自分にも訪れるはずなのだと。
治らない病気を治療している場合、治療の仲間たちの様子はとても気になるもの。
自分よりも病気が進んでいるのか、それとも自分の方が進んでいるのか。
しかし遅かれ早かれ辿る道は同じ。
このような闘病生活は、生活そのものがストレスとなる場合だってあり得る。
人によっては、自ら自分の命を断つ人だっていても不思議は無い。
もし、こういった闘病中の厳しい条件の中で生きている人たちにとって大きな励ましはがんばれの掛け声をもらうことでは無い。
それは闘病中の患者自身が誰かの励ましを行ってあげること。
誰かの力になって感謝されること。
そのことぐらいしか病気と闘うモチベーションにはならないのではないか?
不思議なもので、誰かを励まそうとしたり応援しようとしたりすることはその時だけは自分の苦しいことや辛いことを忘れることができる。
要するに、誰かから感謝されることをする。
そうすることで自分自身が病気と闘う元気をもらうことができるのだ。