いよいよ物語はどんどん進んでいって、昨日の武志君の様子から、白血病の治療で現れた、副作用とも呼べる深刻な状況。
それは味覚障害。
食べ物の味がわからなくなる。
病気が進むと大抵の場合、食欲は減少するが、味覚障害が現れるとさらに食が細くなる傾向に。
生きるために食べなければならない。
そんな中で自分の作った陶芸作品から生命へのメッセージを感じ取る。
焼き上がった作品は、実は時間の経過とともにまだまだ成長を続けていた。
目次
かすかな音は生命の音
陶芸作品のいくつかは作品が完成した後も貫入と言って表面の釉薬が自然と割れる現象が起こる。
その時にはどうやらわずかな音を発生するようだ。
それはガラスの破片がぶつかり合うようなかそけき音。
その音を、しばらくの間は聞ける場合がある。
あたかも作品自体がメッセージを出すが如く音を発生させている。
それは行って見れば生きていると言う生命のメッセージ。
スカーレットの今の物語の流れからしてぴったりのエピソード。
かつて私も清水焼の青磁の貫入の入った湯飲み茶碗を一個所有していた。
自分でもとてもお気に入りで、今からもう40年ほども前になるのだが、確か5000円ほどで購入した記憶が。
清水寺の参道の途中の焼き物屋さんで見つけたもの。
残念ながら、割れてしまってもう私の手元にはないが、あのひび割れたそれでいて鮮やかなベーシックなデザインの湯のみ。
今でもあったらなぁと時々思うので。
陶芸のいくつかある表現方法の中でもとてもユニークな方法だと言える。
知れば知るほど奥が深いと思うよね。
食べる事は生きるための大事な仕事
病気になったときに食欲が多少落ちるのはやむを得ないことだが、ガンになった場合は、普通の食欲不振とは違うようだ。
抗がん剤を飲み続けると、人にもよるが味覚障害が現れる人は多い。
大抵健康な人が味覚に問題がある場合は、栄養素の亜鉛が足りないからとは言われる。
亜鉛の含む食べ物。
1番は牡蠣だけど、あの味覚は好みがあるので、大好きな人と体が受け付けない人と。
抗がん剤による副作用は様々あるけれど、食物の味覚を損なうことが1番の困りものかも。
まだ髪の毛が抜ける程度なら対応のしようがあるけれど、食べられないのはちょっとね。
武志君の場合も深刻で、本人が努力しなければ、食事をすることにはならないようだ。
ちなみにこの時感じる食欲は、体が欲しているわけではなくて、脳が記憶を頼りに感覚を求めているから。
特に、最近は甘いものとか塩とかの味覚は中毒性があって、脳が欲するのだ。
つまり経験したことをもう一度味わいたいと言う欲求。
ものを食べることもこれに相当する。
サニーで八さん
息子の難しい状況を突き付けられて、苦慮する八さん。
せっかく励まそうと褒めちぎってみても、逆に言い返されて食ってかかられる始末 。
武志君を助けたい一心で、会社を辞め、名古屋を引き払って信楽に住み着きたいとも考えているが、そうすれば逆に武志君が負担に感じるのではないかと思案。
何か行動を起こそうとするとどうしても相手の心情を考えなければならない。
何よりも辛いのは、徐々に衰えていく息子の体力と、揺れ動く心。
頼みの綱の骨髄移植のドナー探しも必ずしも順調とは言えない。
たくさんの人たちの協力があって現在進行形で支援の輪は広がっているが、ドナーが見つからない限りはもう成功したとは言えないのだ。
とにかく残りの時間が限られているとされる事実は、ある意味時間の経過が拷問のようなもの。
この感覚はがん患者を抱えた家族や本人でなければおおよそ理解できるものではないだろう。
傍で付き添って看病するものも、よほど強い心がなければおよそ務まるものではない。
誰でも参加できる陶芸展
信楽町の役場で新たに画策したイベント。
持ち込んできたのは信作君と部下たち。
信楽を盛り上げるために、今現在活躍している人を中心に一般の人も含めて大勢の人の作品を展示したい。
その期間はどうやら15日間なんだと。
かなり長い発表会のようだ。
陶芸教室のおばちゃんたちも興味津々で、ひょっとしたら中には参加してくる人もいるかも。
そして、ほかならぬ武志君。
彼もまた作品作りをしようと行動を起こすのだ。
お母ちゃんの作品の横に置いてってや
あかん! 自分で申し込みしい
母親としては、人頼みで作品を作るなど今更どうかと思っている。
やるからには自分の力できちんと申し込みをして参加をすれば良いこと。
しかし後がなくなった白血病の治療を続けるためには、そのモチベーションとして残された方法は陶芸作品に関わること。
そのことを思うと喜美ちゃんの胸の中に改めて頑張る気持ちが湧いてくるのだ。