くわちゃんの独り言

音楽や映画が大好きな爺さん。長年の経験から知りえたことを発信します。

硫黄島からの手紙 太平洋戦争の激戦が伝える人々の思い

 

クリント・イーストウッド監督の「父親たちの星条旗」「硫黄島からの手紙」両作品を見る機会が。

硫黄島をめぐる太平洋戦争時の激戦を、日本側 アメリカ側それぞれから描いた映画。

正直なところ字幕を追って映画を見ることが苦手になってきた私にとっては、硫黄島からの手紙の方が圧倒的な説得力を持って迫ってくる。

この物語の中で語られるのは、最後に玉砕に追い込まれる日本軍の物語。

昭和19年、すでに制海権、制空権ともに失っていた日本にとって硫黄島を死守することが本土防衛のために必要不可欠とされていた。

しかし日本本土から全く何の補給もなく、閉じ込められた島の中でどれだけの反撃ができるのか。

アメリカ軍の間では5日間で攻略できると言われていたが、ふたを開けてみれば日本軍は36日間戦い抜いたのだ。

クリントイーストウッド監督の映画作りに対する真摯な姿勢が現れた秀作だと感じる。 

目次

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日米双方にとって激戦地 今はアメリカ日本合同で慰霊祭が行われる

陸軍大将栗林忠道 

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渡辺謙が演じた栗林忠道

この映画の主役は渡辺謙と言っていいだろう。

彼が何の補給もない破滅的な防衛戦を指揮していたから。

この硫黄島は実際の場所は東京都の1部で小笠原諸島のさらに南に位置する。

緯度はほぼ沖縄と変わらないだろうか。

日本列島を真南に下がれば沖縄だが、そこから東へ進むとこの硫黄島にたどり着く。

昭和19年から20年にかけては、この硫黄島や沖縄もすでに米軍の占領下となったのだ。

真珠湾攻撃の翌年、ミッドウェイ海戦で大敗を喫した日本はあらかたの空母を失って

連合艦隊としての機能を果たせなくなっていた。

そして南方戦線に様々な基地を作ってはいたが、補給のラインがどうしても不完全で、民間徴用船を使って様々な試みをしていたが、それらはほとんどがうまくいかなかったようだ。

日本の本土に限りなく近かったのだが、実際はあらかじめあるもので戦うしかなかったのが日本軍の実情。

最後には栗林大将は突撃命令を下してそのまま日本軍は消滅したのだ。

この島をめぐる戦いでは、アメリカ軍の方が死傷者数が多かったと聞いている。

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摺鉢山頂上でアメリカ国旗を立てる様子

このときのアメリカ軍は、すでにB29を使った日本本土の爆撃作戦にかかっていた。

しかし、航続距離が2000キロのB29は護衛の戦闘機をつけることにもならず、また中国から飛んで日本への爆撃に赴いたのだが、できればグアムサイパンから飛び立つのが理想とされた。

そしてこの作戦のときには、万が一を考えると硫黄島ないしは沖縄を手中にしておくと、作戦中のB29に何かあった場合の緊急避難用に使えると考えた。

また硫黄島に設置されていたレーダーなどがB29の爆撃の様子をあらかじめ察知することとなりそこから出された情報で本土防衛を担っていて、それによってアメリカ軍にも被害があったらしいのだ。

アメリカ軍の作戦としては、硫黄島を奪還することが日本本土爆撃にとって必要不可欠とされた作戦だった。

アメリカは200席近い艦艇で 110,000人に上る兵力を投入している。

迎え撃つ日本軍の守備隊は兵力としては21,000人程度。

このときの戦闘でアメリカ軍の死傷者はおよそ2万8000人。

日本側はほぼ全滅していて生き残ったものはわずかに数百名程度。

この作戦では、死傷者数を見ればアメリカの方が多い。

沖縄戦と並んで激戦地と言われる所以である。

そして、栗林はこの戦いに勝てるとは思っていなかったようだ。

しかし、目的としてはアメリカ軍をして長期にわたって注意を惹きつける。

そうして可能な限り相手にダメージを与えて、日本本土防衛の一助となるように考えていた。

そしてその作戦はほぼ目的を達成できたと言える。

戦後、栗林の書いた様々な手紙が発見されたが、それらは皆この戦いを記録した遺品と言えるだろう。

バロン西

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伊原剛志が演じたバロン西

陸軍大佐バロン西は英語にも堪能で、 1932年のオリンピックで馬術競技の日本代表として出ている。

彼の陸軍での役割は戦車隊を率いること。

当時、日本軍の標準装備として小型の戦車が戦場で活躍していた。

その戦車隊の指揮を執ってアメリカの硫黄島上陸作戦に備えたのだ。

彼は英語も堪能な国際人だったようだが、日本陸軍の兵隊として硫黄島で戦死を遂げている。

監督クリント・イーストウッド

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撮影中のイーストウッド監督 渡辺健とともに

硫黄島をめぐる戦いについての映画を作るときにアメリカ側から描く作品と日本側からのアプローチの2つの作品が最初から計画されていた。

アメリカ側、“父親たちの星条旗”はイーストウッド監督自らがメガホンを取り、順調に撮影をし、映画は完成したのだが、当初、日本側からのアプローチは日本人監督にやらせるつもりでいたらしいのだが、途中から監督自らメガホンを取るとのことに。

撮影で使われた俳優は主に日本の俳優でも、アメリカに在住の者たちを使ったと聞いている。

そしてその映画の撮影時のオーディションで日本の二宮和也もオーディションを受けたのだが、その試験の印象で自分は落ちたと確信したと言っていたが。

実際は彼の存在感に大いに感銘を受けた制作スタッフが、わざわざ彼のために役柄を1つこしらえて物語を作ったと聞く。

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奥さんを演じたのが裕木奈江 アメリカ在住

ここで二宮君演じる西郷がとても良い味を出していたのだ。

二宮君は不思議な魅力の俳優。

決して体の大きな人ではないが、その存在感は目を見張るものがある。

この2人が夫婦役を演じて、パン屋を営んでいると言う設定だった。

そしてほとんど全滅した硫黄島の日本軍の中で、ごく少ない生き残りの1人となるのだ。

誰が死んで誰が生き残るなど分かるはずもなく、最後は全滅覚悟の突撃命令が出るなど、この頃の日本の軍事作戦はまさに悲壮感漂うものだったようだ。

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まとめ

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栗林大将からの手紙 遺品である

この手紙の文字を見るにつけ昔の人は達筆だったと思うことしきり。

これらの膨大な量の手紙が実際に残っていた。

硫黄島をめぐる日米の戦いの直接の声として、当時の戦況を解明する意味で重要な情報となるだろう。

またこれらの手紙をもとに本も出版されている。

栗林忠道の名は今でも書籍があちこちで目につく。

もとより、歴史をきちんと調べて正しく継承する事は後世に残った者達の、ある意味責任と言えるだろう。

そのための必要な情報がここにはきちんと残っている。

軍事作戦の作戦行動にかかわる書類は破棄された部分もあるだろうが、むしろそういった情報よりも戦いの最中にあった兵士たちの胸の内がしっかりと語られた情報の方が、わたし的にははるかに値打ちがあると感じる。

戦って勝ってみたところで、打ち負かされた相手のことを考えるとさほどの喜びは感じないのが正直なところ。

スポーツや何かの競技とは訳が違う。

戦争はどうしても命のやりとりになってしまう。

この行為がどれだけ人類にとってマイナスの遺産となるのか改めて考えなければならないだろう。