音楽との出会いの歴史は古いが、その中でもジャズとの出会いはクラシックと同じように印象深かったのだ。
小学校5年生の頃には、テレビでオスカーピーターソンのピアノトリオの演奏を聞いていた記憶。
今にして思えばかなり有名な高級なものを聞いていた気がする。
目次
ジャズを知ったのはずいぶん昔になる
まだ小学生の頃だったが、我が家で見かけるテレビの音楽番組でよく出演されていたのを覚えている。
あの当時、このジャズを 理解できるはずもなく、こういった音楽もあるんだ?そういった思いで聞いていた。
記憶に残るエピソードが1つ。
実は詩人のサトーハチロウと共演したことがあった。
その時、サトーがオスカーピーターソンのために詩を書いたのだが、通訳を介してその詩の内容にじっと聴き入りながら、感動した面持ちで、目に涙すら浮かべてじっと聞いていた。その時の印象が子供ながらにとてもびっくりした。
サトーの詩はオスカーピーターソンの音楽をたたえたものだったのだが。
ピーターソンは、その頃も穏やかな人柄がにじみ出ていたような気がする。
彼の音楽は、ジャズでありながら、とんがったところがあまりない印象。
とても軽やかで、叙情的に感じたものである。
古い演奏だが、彼の持ち味の軽やかな安定した感触がよく出ていると思う。
ジョンコルトレーン
大学時代に入ってから知ったのがジョンコルトレーン。
彼はジャズ界の中ではほぼ伝説となるぐらいの巨人である。
彼の奏でるサキソフォンははっきりって音楽の領域を超える位の強烈なインパクトを感じる。
ジャズの中でもとりわけ前衛的とされる演奏形態だが、晩年の作品では特にその度合いが強いと言える。
コルトレーンはわずか40歳でこの世を去っている。原因は肝臓癌らしい。
彼は30歳位になるまで、麻薬とアルコールで随分と体をいじめていたようだ。
あの当時、60年代頃のアメリカのミュージシャンは特に黒人の人たちに多かったのだがずいぶんヘロインなどの麻薬に手を染めていたようだ。
だからこの辺の人たちはほとんど長生きできていないのである。
しかしコルトレーンは、自分自身の強靭な意志によって麻薬とアルコールを断ったとされている。
彼の様々な言行録が残っているが、ほとんど神がかり的な領域のものも多く、おそらく何か宗教的な目覚めがあったのかもしれない。
1つの分野で成功を収める人にはなにがしかの超自然的な体験があるのだろう。
普通、薬物中毒は、今日本でも盛んに取りざたされている有名人がいるが、治療を受けなければ到底抜け出る事はかなわない。
彼の音楽の、最高傑作と呼び声が高いのは次の作品だろう。
John Coltrane - A Love Supreme [Full Album] (1965)
コルトレーンの曲は晩年になるに従って長くなる傾向が。
普通ジャズの曲といっても10分前後のものが多いのだが、コルトレーンの曲は1曲で40分とか1時間とか演奏し続けたようだ。
彼特有のアドリブを随所に取り入れながら行う演奏。
正確に聞き分けた事はないが、同じ曲を演奏しても、演奏会場によって内容が微妙に変わった可能性は十分にあるようだ。
紹介したこの演奏は、亡くなる2年前のもの。全盛期のものと言って良いだろう。
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ビリーホリデー
彼女は映画にも取り上げられるくらい、超有名なジャズシンガーである。
あの気怠い、甘ったるい歌声は私も学生時代にずいぶんとお気に入りで、なけなしの小遣いでレコードを1枚買った記憶が。
有名な曲を1曲紹介したい。「ストレンジフルーツ」
Billie Holiday - "Strange Fruit" Live 1959 [Reelin' In The Years Archives]
彼女が生で歌っている映像は私も多分これが初めてかもしれない。
この歌は実は衝撃の内容だ。ストレンジフルーツつまり奇妙な果実。
この奇妙な果実とは、リンチによって殺され木からぶら下げられた黒人の死体のことを指している。
驚くべき内容の歌と言える。
ビリーホリデーの感情移入は淡々としているように見える。
歌手としての実力は他のものに有無を言わせないだけの説得力がある。
しかしこれだけの優れた歌い手も、私生活は散々なもので、麻薬とアルコールで人生を棒に振った感がある。
彼女も麻薬と酒に溺れた挙句、44歳で世を去るのだが、死ぬ前は肝硬変のほかに腎不全も併発していたとされている。
ボロボロの状態であったことは間違いないようだ。
聞き覚えのある人もいるだろう。ビリーホリデーの伴奏を務めていた有名なピアニスト。
マルウォルドロン 彼が ビリーを忍んで作った曲である。
テレビのコマーシャルなど至る所で採用された名曲中の名曲だが、その発想はビリーホリデーから来ている。
かつて新宿にあったジャズ喫茶
学生時代に1度だけジャズ喫茶なるものを訪れた記憶が。
新宿の歌舞伎町の一角にあった小さな店だったと記憶 。
店に入って穴倉のようなところを過ぎた後にカウンターがあって、カウンターの奥に巨大なスピーカーが2つ。
不思議な空間だった記憶がある。
その当時タバコを吸っていた私は、タバコ吸いながらコーヒーを注文し、流れてくるジャズボーカルがとても素敵だったのでバーテンダーに歌っているのは誰かと尋ねた記憶が。
そのとき彼曰く、「ニーナシモン」ですよ。
野太い声で歌い上げる力強いジャズ。ジャズシンガーの中にも様々な人がいるのだと改めて納得した次第。
それ以降様々なジャズとの出会いがあったのだが、ジャズはどちらかと言えば暗い歴史を伴っているのかもしれない。
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発見と出会い
私が高校生の頃、通学に使っていた国鉄羽幌線の多分6番ホームだったか7番ホームだったか、これはまさに羽幌行きとか幌延行きの各駅停車2両編成の様子。
高校時代に出会った吹奏楽のおかげで、様々なジャンルの音楽を聴くことに。
この頃得た感動は、50年近く経った今でもほとんど変わらないと言える。
基本、わかりやすいのはクラシック音楽である。
ほとんどのジャンルのものを聞いているはずである。
クラシックで唯一苦手だとすれば、ウィンナワルツだろうか。
あの舞踏会用の音楽はどれを聞いても同じに聞こえるので、私的には何がいいのかよくわからない。
また昔から苦手な音楽に演歌がある。これもどの曲を聞いても皆同じに聞こえてしまうので。
ある程度の特徴がないと、私的にはちょっと。
しかしながら、ジャズもそうだしシャンソンもそうなのだが、もちろん日本の民謡も。
おかげさまでこれらの音楽についてきちんと感情移入できるのが今もなお喜ばしい限りだと自認している。
これからも様々なシチュエーションで音楽と接するとは思うのだが、良いものは長く語り継がれる。その事は今も昔も変わらない事実なのだろう。