麒麟がくるは最近になく注目している大河ドラマ。
まず時代劇であることと、私が最も興味の湧く時代の物語でもあるので。
さて今日は内容盛りだくさんで物語が作られていた。
なんといっても主人公明智光秀が妻木煕子を自分の妻に迎えると言う。
これは明智家にとっても母親の於牧、叔父の明智光安ともに涙ぐむくらいの喜びよう。
しかし、それとは別に先週の物語の流れを受けて織田家と今川家の和議は将軍の執り成しで成立はするものの、織田家は三河の重要拠点を失うことに。
信長の父織田信秀は病状がいよいよ悪化。
およそ回復が見込めの状況にはなく、死を待つばかり。
そんな中で美濃国では守護土岐頼芸によって斎藤道三の暗殺未遂事件が起こる。
歴史は大きく歯車を動かそうとしている。
目次
明智光秀と妻煕子の結婚
織田家と今川家の和議のために将軍家も含めて奔走して力を尽くした光秀は、いつになくうかない表情が続いていたのだ。
帰蝶のためでもあり信長のためでもあったが、実は自分自身の主君斎藤道三とその息子義龍の関係はかつてないくらい険悪なもので、やがては武力衝突もあり得るほどひどいもの。
実はこのときの光秀の危惧は後に実際のものとなってしまう。
そのような心中に不安材料を抱えたまま、過ごしていれば家族のものも気を使う羽目に。
周りから勧められて鷹狩りに出かけたものの、いつの間にか向かった先はあの妻木の里。
そこには妻となるべき煕子がいる。
明るく屈託のない煕子は光秀にとっては申し分のない結婚相手と言える。
そしてドラマの中では唐突に光秀が話しかけるのだ。
この十兵衛の嫁にはなりませんか?
少し驚いては見せるものの二つ返事で受け入れる煕子。
この2人は史実ではまれに見るほどの良い夫婦関係を築いていたとされている。
この当時の戦国武将が正妻のほかに何人もの側室を侍らせていたのに対して、光秀は妻煕子以外の女性を近づけようとはしなかった。
明智光秀の感覚で言うと、戦国武将と言うより現代人の我々に近いものがあるのかも。
この夫婦は子供もたくさん生まれていて確か男子3人女子3人ではなかっただろうか。
名前のわからない子孫もいるので正確には判断できない部分もあるがこの数名の子供たちはすべて光秀と煕子との間に生まれた子供とされている。
歴史書に名前が上がってくる人たちはいずれ物語にも登場するはずだが、我々がよく知るのは3番目の女の子お玉
後の細川ガラシャ。
麒麟がくるの中では光秀と煕子の婚礼の様子まで描かれていた。
このドラマの中で感心するなと思うのは
女性の正式な座り方だが立て膝で座っている。
この当時はこれが正式な作法だったようだ。
今までの時代劇とは明らかに違っているなと。
織田信秀の遺言
織田信秀はかつて戦ったときの矢尻の毒が体に回って、今やもう死を待つばかりとなってしまった。
最後に身内や家来を集めて遺言を残すのだ。
それは織田家の様々な持ち場についての言い渡し。
織田信秀が居城としていた末森城は信長の弟信勝に与えるとしたのだ。
そして信長は今まで通り那古野城を守れと。
実はこの申し出に激しく反応したのは信長。
実はこの時は今川家と不本意な和議を結んでしまっていたので、尾張国を守るためには末森城に信長がいることが望ましいと思われたのだ。
しかし尾張国では伝統的に当主は代々那古野城を居城としていた経緯がある。
織田信秀の言っている事は決して伝統的なやり方を無視しているわけではなかったのだが。
しかし跡取りの信長は激しく反発するのだ。
政治的なことを考えれば当初である自分が末森城にいることが1番ふさわしいのではと。
しかしそのような申し入れが受け入れられるはずもなく信秀は信長を突っぱねる。
帰蝶の信長操縦術
信長は父信秀に受け入れられなかったと帰蝶の前で悲嘆の涙にくれる。
子供のように泣きじゃくり信長を見て帰蝶は自ら父信秀の元へ赴くのだ。
そこで意を決して尋ねる。
息子信長と信勝ではどちらが織田家の当主にふさわしいのだろうかと。
この時にテレビの物語の中での信秀のセリフは
帰蝶に対して、
信長をよろしく頼むと言っただけ。
実はここで帰蝶は信長に対して父信秀の言葉として次のように言い渡す。
織田家の当主は信長。
織田家の後を頼む。頑張れ
この部分は明らかに帰蝶の創作。
瀕死の信秀はそんなセリフなど言っていないはず。
信長を励ますために一芝居打ったと思われる。
織田信長は麒麟がくるではデリケートでナイーブな性格であると同時にマザコンっぽく描かれている。
ただその特徴として頭の回転だけは異常に早い。
そしてさらに、自分や自分の仲間の利益だけは絶対に犯されたくないと思っている。
織田信長のおそらく持っていたであろう狂気の部分がよく表現されていたと。
斎藤道三暗殺未遂事件
美濃国では守護土岐頼芸が自分が大切に育ててきた鷹を斎藤道三に下げ渡すという。
立派な鷹の様子に満足げな道三。
しかしこれには驚くべき種明かしが。
なんとその鷹の足の爪に猛毒が塗られていて。
しかも道三の前にやってきたときに飛び立って道三を襲うように調教してあったのだ。
しかし、間一髪。
道三のお付きの者が身を挺して主人を守った。
目の前で自分の家臣を殺されてしまった斎藤道三。
守護土岐頼芸に対して激しい憎悪の念を抱くのだ。
やがてこういったことがきっかけで守護土岐頼芸は美濃国から追放されることに。
そのことに激しく反応したのが道三の息子義龍。
もともと父親との仲が芳しくなかったせいもあって、守護土岐頼芸にうまい具合に言いくるめられていたのだ。
やがては自分の父親と敵対することになる。
光秀の板挟みになってしまった立場は?
光秀は織田家と今川家の和議を成立させるために、あちこちに依頼行脚を続けていた。
その最初の相手が斎藤道三の息子義龍だったのだ。
その時に義龍から約束させられたことがある。
もし、父親が守護土岐頼芸に歯向かうようなことがあったならば一緒に父斎藤道三を討ち果たしてくれと。
はっきりとは返事はしていないものの、義龍の頼みなら何でも聞くと約束してしまった。
実は後に斎藤道三と斎藤義龍は戦を起こしてしまう。
そしてその時に父親である斎藤道三は息子に討たれてしまうのだ。
実はこの戦いに明智光秀も参加しているとされる。
息子側の兵力として。
もちろん描かれるのはもっと後の話になるが、そのことがもとで光秀は明智の荘を離れることになるのだ。
朝の放送は1番最後にまた織田信秀のエピソードに戻って、信秀が息絶えるシーンまで。
織田家のみならず、光秀本人にも歴史の中で大きな流れが押し寄せることに。
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