映画の封切りが1990年。
この時主役を演じていたリチャードギアは41歳。
そして一躍ブレイクした女優ジュリア・ロバーツはピチピチの23歳。
この2人が演じたなんともユニークなラブコメディー。
だいたいこの手の映画はそれほど得意では無い私としては当時もレンタルビデオで借りて見たような気がする。
もちろんその後wowowでも何度か拝見したが。
2 3日前に改めて見直してみると物語のテーマとかなんとなく納得できる部分があったので。
目次
やり手の起業家エドワードとフッカービビアン
物語は主人公エドワードを中心に描かれる。
要するに彼の仕事は企業の乗っ取りだろう。
企業を安く買い叩いてバラバラにしてそれぞれに手をつけて売り払う仕事。
最近の会社経営のあり方としてほとんどすべては株式投資で成り立っているがその株価とか株主とかをいろいろ考慮すると会社の経営はいかにして株式を保有するか。
ここを中心に企業の売り買いが成立するが、実際に企業を経営している者とその企業を買い取ろうとする者の思惑が一致しないことも多いと言える。
企業を乗っ取る側は人から恨まれる商売とみていいだろう。
エドワードは親からの事業を受け継いだ優秀な乗っ取り屋。
この映画の中でも船会社を1つ10億ドルほどで買収しようと言う計画。
結局はバラバラにして売り払うつもりなのだが、会社の経営者と話し合いをしてみたところで折り合うはずもなく。
そういった仕事をする中で、いささか疲労を感じはじめていたエドワード。
自分の顧問弁護士の車を借りて気分転換に街へ繰り出すことに。
その車を運転する中で偶然出会ったのがビビアン。
2人連れで街角の立ちんぼに声をかけてみて、どちらか応対した方と付き合ってみようかと。
その時に対応したのがビビアンだった。
ビビアンは生活をするために友達に勧められるまま街角に立って春を売る仕事をなりわいに。
街角で娼婦をやらなければならないビビアン
ビビアンは高校もまともに出ていないくらいのすれっからしだけれど、結論から言うととにかく男運が悪すぎ。
付き合う男がみんなぐうたらでしかも悪党だったせいで彼女は身を持ち崩していくのだ。
そして流れ着いた先が友達に紹介された街角での立ちんぼ。
要するに娼婦。
春を売る商売なので、一見気ままなように見えるが、女としてギリギリのものを身売りするわけで、厳しいことには変わりない。
仕事がうまくいかなければ、明日の食事にもありつけないし、住んでいるアパートの家賃もままならない状況になる。
またこの仕事にはポン引きなどのピンハネをなりわいとする男たちも存在する。
この男たちにお願いすれば仕事はやりやすくはなるかもしれないが、良いように絞りとられて、自分の取り分は場合によってはほとんどなくなる。
そんな身上のビビアンが、超一流エリートのエドワードと出会うことに。
道を聞かれたことがきっかけなのと、慣れないマニュアル車の運転に苦労していたエドワードに代わってビビアンは運転は得意なようで、代わりに運転をしてあげたようだ。
そのような何の変哲もないやり取りの中から2人の間に奇妙な連帯感が生まれていく。
それはエドワードの側に最初に感じたカルチャーショック。
今まで付き合った女性とはまるで違ったタイプのビビアン。
娼婦だとは言っているが、内実はデリケートでナイーブでとてもピュア。
その素のままの美しさ愛らしさに少しずつ心惹かれるエドワード。
物語はそうした中から全く境遇の違う2人が交流していく様がコメディータッチで描かれる。
男が女に興味を示す胸の内
エドワードがビビアンに感じたのはその純真でまっすぐな心持ち。
もちろん若くてスレンダーでスタイル抜群の女性としての魅力もある程度は評価していただろうが、きちんと服装を整えるまではそれほど気づいてはいなかったと見える。
ビビアンの話を聞くうちに彼女がやっと食べていけるぐらいの収入しかないことを把握。
男は普通こういった時に手を差し伸べたくなる生き物。
様々な理由をつけては関わりを持とうとするのだ。
それは、ある意味男の持つ本能のようなものだが、どれだけ雄弁に男の側の誠実さを解いてみたところで、その心の根底にあるのは残念ながら男としての下心。
そこを隠せば隠すほど2人の関係はうまくいかなくなる。
そして女の側はそうした男の申し入れを嬉しいと思いつつも、能天気に全て受け入れるには、やはり抵抗が。
やりとりの中から相手の本心を探ろうと話するが、
男も女も自分の都合のいいようにしか受け取りたくない生き物。
そこのところをどれだけ正直になれるかで男女の仲が発展するかどうかが決まると言っていいだろう。
椿姫がモチーフ
ヴェルディの歌劇椿姫はオペラの中でもかなり有名な作品になっている。
ざっくりと説明すれば高級娼婦の女に純真無垢な青年が恋することから物語は始まる。
2人は相思相愛の中にはなるのだが、男の側には厳格な父がいて娼婦との付き合いは認めないと。
その結果父は女に青年との関係をあきらめるように申し渡す。
結局そうして2人には厳しい過酷な運命が待ち受けるのだが、やがて女は結核で亡くなってしまうことに。
この物語は実らない2人の悲恋の物語として有名。
作品としてはかなり有名で、この作品をモデルに作られたいろいろな作品もあるようだが私が知っているのは阿刀田高の短編小説
マルガリータの夜
この作品が有名だろうか。
高級娼婦に援助の手を差し伸べようとした男がいるのだが、結局は女の方が男の下を去っていくストーリー。
これはテレビドラマにも採用されていたので、それで私は阿刀田高のファンになったようなもの。
作品の解説の中にモチーフとなったのが椿姫の話だと後から知った。
さてプリティーウーマンは、この作品でジュリア・ロバーツはゴールデングローブ賞を受賞。
23歳(撮影時は22歳ないしは21歳)のジュリア・ロバーツが女優として開眼した話でもある。
ちなみに体の線がぴったりと現れるようなタイトな服を着ていたが、演技は調べてみたところかなりきわどい男女の絡みのシーンもあったのだが、どうやらボディーダブルを多用していたようだ。
要するに代わりに演技をしてくれる代役を立てて顔が見えないように演技していたようだ。
映画を見る限りではほとんどそんなことわわからないが、撮影時にはいろいろな事情があったものと思う。
改めて見直してみると映画としての完成度、ストーリーの持って行き方など随所に納得できる部分が多い。
お互いに好意を抱きつつも、簡単に相手に迎合しないように自分自身のポリシーをしっかりと維持するところ。
いかにも今風の恋愛物語と大ヒット作品となったわけだ。
しかしその作品も作られてからすでに30年。
あのジュリア・ロバーツも53歳。
リチャードギアはもう70歳になるだろう。
映画を初めて見たときの私は若かったが、考えてみればもうすでに老境。
映画の面白さと同時に懐かしさを感じてしまうのは致し方ないこと。