今週のお題「わたしの部屋」
もともとは北海道の日本海側のやや北側で生まれた私の生い立ちでは18歳になるまでは、自分の部屋を持つことはなかった。
生まれた土地は地図で見ても場所が判明しないくらいのかなりの田舎。
物心ついた頃から私のささやかな望みとして自分自身のプライベートな部屋が持ちたいと。
還暦過ぎた今、その希望は叶えられている。
現在は一人暮らし。
少し古くはなってしまったが土地付きの一軒家に住んでいる。
目次
内地で過ごした4畳半一間と6畳一間の時代
19歳で千葉県の学生用のアパートに移住。
かなり大きなところで40人ぐらいは住んでいたと記憶。
そこはご飯がついていたので、基本部屋の中は寝るだけでトイレも別。
4畳半一間で暮らしていた。
1人で暮らす部屋なのではじめての一人暮らしは快適そのものだったと記憶。
それまでは家族と一緒で自分の部屋などあるはずもなく、さすがに10代の思春期を過ぎたあたりからは一人暮らしに憧れたもの。
さてここは基本下宿屋だったけれど、その後は一旦は学校を辞めることになって一人暮らしを本格的に始めて、移り住んだところが6畳一間のアパート。
ここは風呂はついていなくトイレが共用。
ごく簡単な台所がついていた。
私が21歳から23歳位まで住んだ住宅。
この当時は引っ越しもかなり楽ちんで友達2人と共同で運転の上手な別の友達を頼んで1トン半位のトラックで運んだ記憶が。
昭和49年から50年頃にかけての話。
2Kのアパートに引っ越し
この頃は小田急線の沿線に住んでいた。
ごく個人的な話になるがこの時同棲していた彼女がいた。
一緒に暮らすための住宅を新しく借りたいと言うことで。
2階建てのアパートで4軒が入居していたと思う。
私は2階だったが玄関を入るとすぐに右手に台所のスペース、左手がすぐに風呂だった。
その奥に3畳のスペースがあってさらにその奥が6畳だった。
このアパートには3年ほど住んだと記憶。
この時期私が住んでいたアパートはどれもこれも皆古くて、歩けば床はギシギシなったし、夜全部の電気を消すと部屋の隅の方でわずかばかり下の階の明かりが漏れていたりもしたのだ。
おそらく防音も何もあったものでは無かったと思う。
生活の音はそれぞれ筒抜けだったのでは。
しかし2人で暮らすことを始めてからは、風呂付きのアパートというのが何よりも嬉しくて、何年も銭湯通いをしていたもので。
北海道にUターン 社宅の一軒家に
昭和54年の3月に地元北海道の木材会社に就職するためにUターンをしてくることに。
会社からあてがわれた社宅はブロック造の一軒家だったけれど、残念ながら断熱が全くなされておらず、冬場、管理を間違うとよく水道凍結で悩まされた。
そして後は結露。
とてもじゃないが部屋の四隅にぴったりと家具を押し付けて配置することなどやってはいけなかった。
おそらくひと冬でカビだらけになってしまったはず。
私も最初の冬、分からずにそのまま置いて何セットかの布団をダメにしたと記憶。
暖かい家に憧れたもの。
確か1ヵ月当たりの灯油の使用料が軽く300Lを超えたと思う。
相当大きなストーブをつけていたはずだが、ストーブに向かっている側は暖かいが背中の側は寒くて相当不便な思いをしたもの。
今にして思えば暖められた空気は対流することなくそのまま部屋の隅から外へ逃げていったんだと思う。
この社宅におよそ10年住んだと記憶する。
鰹節のカネイ 【はらペコ雑穀】手間はいつもの炊飯とほぼ一緒♪
市営住宅3 LDKに居住
これは私の街の市営住宅の1つ。
今までの社宅を出てこちらの住宅にお世話になることに。
間取りは3 LDKで広さも申し分なかったし、とにかく暖かいことが何よりだったと記憶。
ただし、風呂の道具は風呂釜から風呂桶から全て持ち込みしなければならなかった。
またストーブも全て自前で買ったと思う。
また家賃が30,000円ほどで私の収入からするとそれなりに大変な思いで借りていた。
しかし、今までの社宅はあまりにも寒すぎたこと、同じ家賃を払うのならば少々高くても住みやすい快適な住宅をと思ったから。
この市営住宅はちょうど新築だったので渡に船の感じで入居できた。
今現在に至る
私の現在の家は平成5年の10月から居住している。
新築で住んだ家なので最初の頃はそれはそれは新しくて快適だったと記憶。
この家を建てて10年ほど経ったところから私はずっと一人暮らしで住んでいる。
この家に入ったときにはまだ40代になったばかりでかなり若かったのだが、今はもう66歳を過ぎた。
どうやらこの家が私の終の棲家となりそう。
不思議なものでこの年になると自分の生き方に妙に納得してくるもの。
ごく普通の平凡な一生を送るつもりできたし、また実際そのような人生だったと振り返ってみる。
私の部屋は歳とともに隅々まで目が行き届かなくなり、だんだんと荒れ放題になってきた。
私がいなくなった後、この家は一体誰のものになるのか見当もつかない。
と言うのも私には、全く身寄りらしきものはないので、私がいなくなれば私の家系は廃絶家と言うことに。
とりあえず今は、仕事をリタイアした私はボランティアその他でそれなりの需要はあるようだが基本的には家でごろごろしている毎日。
若い時とは全く違って、何をするのも億劫なこの頃。
おそらくこの先何年か この家でこうして過ごすのかなと。
長年生きてみてわかってきたことが1つ。
最新の素敵な部屋の装備などもテレビやネットで拝見するが、憧れる気持ちは思いのほか希薄だなぁと言うこと。
おそらく1人で暮らしていることが関係していると思う。
どんな場合でものびのびしていられるのが私の最大の癒しなのかもしれない。