実はブラームスはシューマン家に出入りしていた時期があって、もちろんロベルトシューマンとも親交があり、家族ぐるみの付き合いをしていたと言える。
まだブラームスが青年の頃の話。
彼はまだ世の中でさしたる知名度もなく、音楽書生のような感じでシューマン家に出入りしていた。
実はその時に奥さんであるピアニストクララシューマンとの恋物語が映画にもなるくらい有名だった。
目次
ピアニストクララシューマン
クララシューマンは19世紀初頭の生まれ。ドイツでは女流ピアニストとして幼い頃からその類稀な才能を発揮して成功していた。
熱心な父親の教育によって早くからピアノの才能が開花し、ドイツでは今のユーロになる前にはこのクララの肖像画が紙幣にも使用される位著名な存在。
旧姓はヴィーク。
後に結婚してシューマンとなる。
ロベルトシューマンはこちらのヴィーク家に出入りして、そこの次女クララと恋に落ち後に結婚をすることに。
よく知られているのは結婚をしたいとの申し入れに対して、父親から大反対をされたとのこと。
その大反対を押しきって結婚したのである。クララが20歳の時。
天才少女ピアニストとしての活躍の後、シューマンの妻としてもピアニストとして長く活躍していたが、非常にタイトなスケジュールの中で活躍していたと聞く。
演奏活動といってもあちこちの地方に旅行するので子育てを始めとする家庭の事や、自分自身のピアノの練習などおよそ体の休まる時はなかったようだ。
ブラームスと知り合うのも結婚してからである。
ちなみにクララとブラームスは14歳の歳の差がある。
この2人の関係は後世に映画として紹介されている。
登場人物は実際の人たちだが、2人の恋心に関わる部分はおそらく話の半分はフィクションと思われる。
2人のことを想像する外野はとても多いのだが(私もその1人)、実際のところは2人にしかわからないだろう。
近世に入ってからの人なのだが、意外と2人の記録は残っていないようだ。
どうやらほとんどは2人の交友関係から推測されるものが多い気がする。
ブラームスはシューマン家に出入りする書生さんのような感じ
ブラームスがシューマン家に出入りするようになったのは彼が20歳の頃。
クララはすでに30歳を超えていて、しかも8人の子供を抱えるとても忙しい母親。
音楽活動をしながらこれだけの子育てはかなり大変だったろう。
16年間で子供を8人こしらえているのである。ほとんど毎年といっていい位、乳飲み子を抱えた生活だったようだ。
ブラームスは当初ロベルトシューマンの音楽家としてのステイタスに魅力を感じて近づいたようだ。
最初ロベルトは、ブラームスをさほど評価しなかったのだが、ブラームスの友人、あの大バイオリニストヨアヒムの紹介でシューマンと懇意の間柄に。
有名なことだが、ロベルトシューマンは音楽家としてももちろんだが、音楽に関する文筆活動も行っていて、雑誌を刊行したり、その活躍の場はかなり広かったようだ。
シューマンの評価を得てからのブラームスはその活躍の場を認められ、才能ある音楽家として世の中に広く知られるようになったのだ。
19世紀のドイツやウィーンではシューマンはベートーベンの再来と歌われるくらい音楽家としての高い名声を得ていたのである。
もっとも、シューマンは40歳半ばで精神病で亡くなっているので、その後のクラシック音楽界はブラームスがその地位を引き継ぐことに。
クラシックの音楽史では、ブラームスは新古典派と呼ばれ、ベートーベン直系とされる。
ドイツで頭文字Bから始まる有名な作曲家たち3人をドイツ3大Bと呼ぶ。
つまり、年代順にバッハ、ベートーベン、ブラームスである。
ブラームスが目指したのはベートーベンのような崇高な精神性。
その当時もてはやされたロマンチックな甘い感じの音楽にはあまり評価をしてなかったようだ。
ブラームス自身も、様々な作曲家と交流をしているのだが、彼が評価していたのはあのドヴォルザークなどである。
ロシアの重鎮チャイコフスキーはブラームスに酷評されている。
まとめ
ブラームスとクララの関係を語るとき、どうしてもシューマン夫妻のことを知っておかなければいけないだろう。
音楽家として高い地位を得ていたロベルトシューマン。その妻で天才ピアニストの名を欲しいままに活躍していたクララ。
順風満帆に見えた結婚生活だが、夫ロベルトには悲しいかな精神疾患があった。
調べてみてわかったのだが彼は常にイ音が頭の中で鳴り響いていたようだ。
実は、このように頭の中で一定の音が常に鳴り響く病気は統合失調症が強く疑われる。
統合失調症はその患者さんのコメントを聞くとみんな耳鳴りがするとか、電波で頭を攻撃されているとかそのような申し立てをする人が多い。
最新の研究では、この病気の患者さんは脳内で 1部の伝達物質がうまく機能せずこの症状を起こすとされている。
この病気は今は必ず治療を必要とする厳しい病気として認定されている。
しかしシューマンの時代は19世紀の半ば。まだ医療関係は始まったばかりの状況だったようで ロクな治療法もなかったのだ。
怪しげな薬の投与や、脳に直接電気ショックを与えたり、今ならおよそ考えられないようなほとんど拷問に等しいような治療が行われていたようなのだ。
シューマンはこのような状況下で早世するのである。
子育てを始めとする様々な活動で手一杯のクララを献身的に支えたのはブラームスである。
ブラームスはどうやらシューマン家の家計のことも預かっていたようなのだ。
驚くほどの信頼関係と言える。
また、この時の心労が元でクララは右手が使えなくなってしまうのである。
ピアニストとして右手が使えないのはほぼ致命傷なわけだが、その時もブラームスは天才的なひらめきによって左手でのみ弾くピアノの曲をクララのために準備してあげるのである。
バッハの有名なバイオリン曲シャコンヌを左手のみで演奏できるように編曲したのはブラームスとされている。もちろんクララのために提供したのである。
ブラームスはシューマン家に出入りするようになってからほとんどの女性関係を清算しているようだ。
若い頃はブラームスは結婚を約束した女性もいたのだが、結局のところ結婚にまでは至ってはいない。
様々な記録から見てみると、結婚生活と音楽活動の両立を考えて音楽活動を選んだとされるのが一般的に知られている。
生涯独身で結婚することはなかった。
クララも夫に先立たれた後再婚することはなかったのである。
この2人の関係は、よく恋愛関係を想像する向きも多いが、私も否定はしないがおそらくはプラトニックな関係だったと思われる。
ブラームスの自制心は他の女性関係にだらしがない芸術家とは全く別物である。
男性としては驚くほど身持ちが固いと言えるのか。
浮ついた行為は一切なかったと思われる。
だからこそクララも全幅の信頼を寄せていたに違いないのだ。
2人の関係はその大半は友情で占められていた。
ほんのわずかに恋愛感情も混ざってはいたろうが、それは肉体関係を伴うような生臭いものではない。
シューマンとの結婚生活を送ったクララから見れば、男女の仲は容易に想像できたろうが。
ブラームスとの関係でどのような距離感がふさわしいのかお互いがそれぞれ自制しあっていたのだろう。
周りから見ていて少し気の毒な気がしないでもない。
ブラームスもクララも 20世紀になる直前、わずか1年違いで2人とも世を去るのである。
外から見ていると、この2人の運命は夫婦ではなかったにせよ、ほとんど運命共同体のような気がする。
それは師弟関係でもないし兄弟でもないし、しかし、トータルでは家族のような関係と言っていい。
数多ある音楽の様々な恋愛話の中で、この2人の関係だけは特にストイックなプラトニックなものを強く感じるのである。