先週の斎藤道三対斎藤義龍の親子対決で父道三の側についた明智光秀は自らの居城の明智城や領国全てを失うことに。
逃げようにも追手に全てを阻まれた中で八方塞がりと思われた中、手を差し伸べてくれたのが伊呂波太夫。
それは織田信長の正室帰蝶の計らいだった。
越前朝倉氏を頼って落ち延びる手はずを整えてくれたのだ。
麒麟がくるはここから物語は次のステージに進む。
今まで描かれてきた内容は史実は踏襲しつつも脚色された部分も多く、今回からは浪人時代を過ごす光秀が描かれる。
知っている人も多いと思うが麒麟がくるは今回のコロナ騒動を受けて今日の放送が終わるとあと3回放送して一旦停止せざるをえない。
騒動があるせいで撮影が4月の頭から止まっているのだ。
久しぶりの内容の濃い歴史ドラマを見ている者にとってはなんとも心苦しい限りだが、次のストーリーまで辛抱して待つしかないだろう。
目次
越前へ逃避行


既に明智城とともに優しい叔父明智光安は城とともに運命を共にした。
光秀は自分の家族とわずかな供回りのみを連れて落ち延び先を探さなければならなかった。
もうどこにも向かうところはないと思われたところ、思わぬところから助け舟が。
それは信長の正室帰蝶からの口添えで越前までの道案内を仰せ付かった伊呂波太夫。
今回の物語で出てくる配役の中でこの伊呂波太夫もお駒も歴史の中に名前は出てこない。
しかしストーリーの中では極めて重大な役割を果たしている。
旅の一座を引き連れている設定だが、実際は各地方の大名とも親交があって、様々な取引をするほどの間柄。
今回の物語の中では、逃避行の最中にあのお駒の出自も明らかになっていた。
お駒を救ったのが我が夫であるとお牧さんの証言。
昔存命の頃に夫から聞いたことがあると。
左腕の火傷の後の傷を確認してそのいきさつがハッキリしたのだ。
図らずもお駒の明智家に恩返しをしたい思いがこのたびの逃避行でも大きな力を発揮し、自分自身の希望も叶えてくれることに。
朝倉義景と対面を果たす


朝倉義景は一乗谷にいながら将軍家とのつながりも強く、名前の1字は将軍からいただくほどの間柄。
歴史的に見れば浅井家と朝倉家はとても仲が良く、当初は織田信長とも良好な関係を保ってはいたが。
しかしやがては信長と反目し合うことに。
この時代の武将たちは相手方のことを信じられない性格のようで。
したがってそれぞれ何かの交流をするときには人質を差し出したりする事は常套手段。
美濃の斎藤家も織田家とつながりを持つために帰蝶を嫁がせている。
いわゆる政略結婚だが、これより以前の時代からも当たり前のように行われていた。
江戸時代に至るまで家同士の結束を高めるために頻繁に行われていたのだ。
各お家に生まれる女性たちは、そのような政略に積極的に利用された。
時代が変わってもそういったやり方は本質的には変わらないのかも。
この時朝倉家には明智光秀をかくまうようにと細川藤孝から書状が届いていた。
京都の周辺の主な武将たちに送ったらしい。
明智光秀は歴史的にはほとんど記録が残っていないので、はっきりした事はわからないが、この当時は朝倉家に出入りをしていたことが記録として残っているようだ。
特に光秀の卓越した知識や薬草に関わる技術、また将軍家とも親交があるなど、周りの武将たちは光秀を知るとその値打ちに気がついたようだ。
浪人生活をするとは言っても、優れた武将であることには違いないので、さまざまに声をかけられたようだ。
繁栄している越前一乗谷
一乗谷は当時京都から近いこともあってとても繁栄したと聞いている。
海の幸、山の幸ともに豊富で、その取引の市場も賑わいがあったと記録に残る。
ただしここら辺の土地柄は、どうしても周りの武将の力関係の中にさらされていたことがあって、繁栄を長く継続することが難しかったのも事実。
特にこの時代は室町幕府の終焉の時で、将軍家を亡き者にしようとする勢力や、また将軍家を守ろうとする勢力や、自分が支配権を持とうとする輩など、様々なものの思惑が交錯していた。
朝倉家と後に描かれるようになる浅井家はこのような時代の流れで、1時は繁栄を享受するがやがては滅びることになる。
この両家に引導を渡したのは信長。
この辺の土地を掌握できたことが織田信長の真の実力と言えるかもしれない。
織田家に起こった悲劇


今日の放送の中で後半のエピソードになるが織田家の謀反について語られていた。
それはほかならぬ信長の弟信勝が斎藤義龍にそそのかされて信長を暗殺しようと企てた。
そのことにいち早く気がついた信長は弟を直接自分のところに呼び寄せる。
歴史の中でもはっきり記録に残るが、信長は弟信勝をこの時殺している。
そのやりとりがこの物語の中でもきちんと描かれていたね。
特に驚いたのは帰蝶が少なからず役目を果たしていたこと。
まず弟に会って顔を見てから討ち果たすかどうかを判断されては?
重要な事柄にもしっかりと自分の意見を述べている。
他のドラマでは、信長が自ら刺し殺すように描かれている場合もあった。
戦国時代の武将では自分の身内を自ら手をかけて殺す例があちこちに見かけられる。
奥州の伊達政宗などもその1例。
さて織田信長の凄まじい演技。
弟を目の前にして殺すべきか生かすべきか心の中では葛藤があったに違いないのだが、自らに差し出された水は毒入りであることを瞬時に見抜いていた。
信長の下した決断は弟を殺すしかないなと。
今日の物語は、歴史の中の苦しく悲しい事実を克明に描いていたと。