毎朝見ている朝ドラエール。
その中に双浦環さんなる著名な声楽家がいる。
演じているのは柴咲コウ。
実はこの間の放送で彼女が何気なく聞いていたピアノ曲がドビュッシーの月の光
あまりに有名なピアノ曲だが、フランスの作曲家ドビュッシーは印象派と呼ばれる芸術家の分類に分けられる。
印象派には画家と音楽家があるようだ。
実は私の中で思いつくのはビンセントバンゴッホとドビュッシー
画家としてのゴッホはわずか37年の生涯を自殺によって終えることに。
ドビュッシーは55歳まで生きて大腸がんで命を落とすことに。
この芸術家2人に共通する事は、それぞれが人生においては随分と問題を抱えていたこと。
目次
ビンセントバンゴッホ
ゴッホはもともとはプロテスタントの牧師さんで信仰心に熱いことでも知られていた。
しかし、生一本で何事にものめり込む性格の彼は行く先々で様々なトラブルに見舞われ、弟の紹介で画家を目指すことに。
今でこそ画家ゴッホは、美術界の頂点に君臨する最も有名な画家と言える。
しかし生前のゴッホは、どれほど絵を書いてみても、全く評価される事はなく、生きているうちに売れた絵は、弟が情で買ってくれた1枚だけである。
あの偉大な画家は生きている間は全く報われることがなかった。
彼の生涯は映画でも取り上げられている
ちなみに映画の情報になるが、監督はあの有名なビンセントミネリである。
ミネリ監督は女優ジュディガーランドの夫であり、 2人には娘、ライザミネリが同じく女優ミュージカル俳優として活躍している。
映画ははるか昔、私がまだ19、20歳の頃テレビで見た記憶が。
カークダグラスの危機迫る演技が、またアンソニークインの友人としての演技が、映画の完成度をより高めていた気がする。
ゴッホは精神病、うつ病か統合失調症を患っていた可能性が
先にも述べたようにゴッホは 生1本で融通のきかない性格。
そのくせ寂しがり屋でもあったわけだ。
絵を描く作業も彼の場合、自分の命を削るが如く根を詰めて取り組んでいたようだ。
しかも、絵は描けども描けども、全く売れる事はなく本人も行き詰まっていたに違いない。
37歳といえば男盛りである。自分自身が命がけで取り組んでいるにもかかわらず何一つ結果として見返るものがなければ、それは落ち込んでも致し方ないだろう。
彼の芸術が評価されるのは、彼の死後ずいぶん経ってからである。
彼の絵につけられた何十億円もする評価を今彼が生きていたならばどう思うのだろうか。
天然素材から生まれたshunax fafra シューパウダー
クロードドビュッシー
彼と同時期に活躍した同じ印象派の作曲家にラベルがいる。
ドビュッシー自身は印象と呼ばれることにあまり納得はしていなかったようだ。
彼自身は様々なテーマやモチーフからの象徴主義を唱えていたようだ。
ドビュッシーは今までの固定概念に囚われない自由な作曲方法をとっていた。
また本人はピアノの名手であり、特にピアノ曲には有名なものが多いかも。
この曲を聴いて知らぬ者はいないはず。
様々な評価があるわけだが、とにかく真っ先に感じるのは自由でのびのびとした曲想。
そして驚くほどのおしゃれ感。
ドビュッシーの曲はどの曲を聞いても、皆おしゃれであることが1番ぴったりくるのではないか。
昭和30年代の頃、様々な音楽を聴く人たちの間で密かなブームがドビッシーだったと聞く。
ドビュッシーはなんといっても芸術に先進的な人たちにとって外すことのできないアイテムだったようだ。
彼の一生はことごとく女性関係のトラブルがついて回る
フランス人だからと言うわけでもあるまいが、彼の恋愛感も自由そのもの。
もちろん結婚もするのだが、その前から恋愛関係になり、子供を作るようなことにもなったりしている。
この自由気ままな振る舞いで、周りの人と随分と軋轢を生じたようである。
もともと気難しくて非社交的なドビッシーは周りの人たちと簡単に馴染める事はなかったようだ。
しかし女性との関係は随分と盛んだったようである。
19世紀後半から世紀にかけてがドビッシーの活躍した時代であった。
ショパンやリストワーグナーといったロマン派の大御所たちの後を継ぐ作曲家であったことは間違いない。
まとめ
印象派の呼び名は後世の人たちの命名によるもの。
当のご本人たちは、そのようなことをまるで気にすることもなく、自分たちの芸術を全うすることのみに生きたのである。
しかしながらこの2人の後の世に対する影響力は極めて大きいものがあった。
ゴッホの絵の評価額は、軽く数十億円を超える。
なぜそんな天文学的な数字になるのか私のような一市民には到底伺い知ることができない。
間違いなく素敵な絵である事は認めるが、絵の金額は理解不能である。
そしてドビュッシーの音楽は、音楽がのびのびと演奏され、今までとは違った意味で癒しの効果を発揮することを教えてくれている。
様々なジャンルの芸術分野があるが、この辺あたりから、表現方法に新たな領域が加わったと言えるだろう。