どちらかと言えばクラシック音楽を聴く方が好みに合っているのだが。
クラシックの作曲家たちは意外と宗教に関係した作曲を多く手がけているような気が。
著名な人たちはもちろん、知られていないような人たちもそれなりの宗教心を持ち合わせていたのではないだろうかと。
大抵の場合18世紀以降、19世紀の人たちなので、当然産業革命は終わっているし、それなりに科学も進んできていたとは思うが。
しかし今とは比べるべくもない昔の暮らしの中で生活していたものと。
特にキリスト教とは切っても切れない関係のように思える。
目次
ベートーベンやリスト
実は昨日ベートーベンを中心とした作曲家同士の関係について記事を書いてみた。
この中で特に注目するのはベートーベンのお葬式に2万人の参列者があった事実。
しかも国葬で葬式が行われたらしい。
どれだけウィーンの人たちに愛され支持されていたかがよくわかる。
しかし、調べてみるといろいろわかったが、彼は熱心なキリスト教信者だったわけではなさそうだ。
イエスキリストの出自がユダヤ人であることを蔑むような発言があったり、また当時の熱心なキリスト教信者とは少し趣が異なっていたとも思える。
彼が同じ作曲家仲間からも支持されていたのは音楽性もさることながら、彼自身はパトロンに媚を売らない作曲家で、今で言う自営業で音楽活動を行っていたこと。
つまりお金持ちの貴族や何かから資金援助を受けていたわけではなかった。
主な収入は楽譜を販売することなどの今の印税にあたるもの。
かなり細かい性格だったらしく、家計簿などをきちんとつけていた形跡もある。
音楽の研究家にとってはベートーベンのこうした記録が大いに役立っているとも聞いた。
日常の買い物なども家政婦に頼んでいたのだが、きちんとメモを取ってまた収支の報告も記録として残している。
もう一つ彼は、特徴として当時の政権からは反体制分子として目をつけられていた。
当時まだ始まったばかりの考え方共和制の信者だったものと思われる。
信仰心の点では人並みだったと思う。
ベートーベンに比べるとリストはいたって信仰心に厚かったようだ。
彼は教会で演奏される音楽をきちんと学びたくてわざわざ僧籍を取得している。
長髪は別として彼のビジュアルで詰襟の黒っぽい服を着ているが、あれは神父さんの服装。
そのぐらい思い入れがあったようだ。
リストは自分自身ではミサ曲や讃美歌のようなものを作曲した形跡はあまり見ないが、バッハの熱心な信奉者で、バッハの曲をもとに様々な変奏曲を作曲したようだ。
ブラームスやチャイコフスキー
ブラームスの時代はそろそろ近代文明が発達しつつある頃だが、それでも医学の発展に至るにはまだもう少し時間が必要だった頃。
彼が持ち合わせた信仰心を考えるときにどうしても外せないのがドイツレクイエムの存在。
あの重厚な宗教曲は信仰心なしには作られなかったはず。
しかし伝統を重んじるようなやり方ではあのようなドイツ語の歌詞は採用できなかったはず。
しかもプロテスタントであるはずの彼がカソリックのレクイエムを作曲したのは、宗教的な宗派のポリシーによらない先進的な捉え方があったのだと思う。
この当時のヨーロッパのおもだった作曲家はたいていはキリスト教でもプロテスタントの信者が多かったはず。
キリスト教はプロテスタントと伝統的なカソリックに分かれるが、同じキリスト教でありながら若干の差異も認められる。
わかりやすく言えば宗教革命以前から存在したものがカソリック。
それ以降のカソリックの進化版としてマルチンルターが提唱したのがプロテスタント。
カソリックが豪華絢爛ながらんを従えて壮大な音楽を従えるのに対してプロテスタントはむしろシンプルで控えめな表現方法をとるようだ。
主な作曲家のレクイエムやミサ曲などの楽曲は、宗教に対する憧れをもとに作られれたわけではなさそう。
純粋に音楽への憧れを宗教心の形で表現したのでは。
チャイコフスキーは亡くなったときの葬式はロシア正教会で国葬だった。
彼自身は音楽で報われなかった思いを抱いたまま亡くなったものと思われる。
しかしロマン派の作曲家とはされながらチャイコフスキーの音楽はより新しい古典派の印象が強い。
メロディーにしてもハーモニーも管弦楽を遺憾なく駆使して、音楽で広がっていく世界観は格別ものがある。
Tchaikovsky: Serenade for Strings / Ozawa Saito Kinen Orchestra (1991 Movie Live)
私が大好きな曲のうちの1つ。
初めて聞いたときに圧倒されたことを思い出す。
いったいこの曲を作曲したのは誰なんだ?
チャイコフスキー!
そうかチャイコフスキーってこんな曲を作るんだと納得のいく1曲だった。
この演奏は今からおよそ30年前のもの。
指揮者小澤征爾の持ち味が遺憾なく発揮されているではないか。
この曲から伝わるのは音楽に対する憧れと決して他人に迎合しない孤高の精神。
そのような気高さを感じるのだ。
チャイコフスキーがどれほどの信仰心を持ち合わせていたかはわからないが、少なくともこの音楽性に関しては全く口答えを許さない説得力を持つ。
バッハと教会の関わり
バッハはプロテスタント教会とは切っても切れない関係にある。
協会の音楽監督の地位についていたバッハは教会から報酬を得ていた。
毎週日曜日には必ず行われる日曜のミサがあるが、その時にミサ全体を指揮運営する役割。
人々を信仰に導くための音楽を作曲して、讃美歌を毎週新しいものを用意して発表していた。
またこの当時の教会はパイプオルガンを備えていて、そのオルガンもミサで重要な役割を果たす。
当時から巨大な楽器だったパイプオルガン。
楽器の性質上、裏方でふいごに風を送る人員が必要となる。
今で言うところのアルバイトを雇うのだが、個人ではこのような楽器を所有する事はほぼ不可能。
当時の教会は市の施設で、ほとんど公務員の運営で成り立っていた。
その中の高い地位で仕事をしていたのがバッハ。
彼の音楽的な才能はパイプオルガンの演奏で遺憾なく発揮されていたとされている。
特に新しいパイプオルガンが作られたときには試演に招かれることがとても多かったようだ。
楽器全体がどんな音を奏でるのか、どれだけの音量が出せるのか、そういったことを持ち前の技術できちんと確認していたと聞く。
クラシック音楽の作曲家たちは多かれ少なかれ宗教的な精神性を自分自身の音楽性の中に見出していたのでは。
それは聖書からの文字でそのままに学んだものではなく、作曲家の感性において自ら作り出したものが多かったような気がする。
このテーマで音楽を感じようとすると、まだまだ学ぶべき事は山ほどありそうだ。