映画ロッキーを知らない人はいない。
主役のシルベスタースタローン。
この7月で74歳を迎える。
いまだにハリウッド映画では重鎮。
しかし、調べてみると彼は売れない役者の時代、ほぼホームレスに近い生活を送っていたとのこと。
あまりにひどい格好で入った店でものを買うことを拒否されたこともあるらしい。
そんな彼は、俳優になるべく勉強していたのだが、脚本を書くことにも類まれなる才能があってロッキーを書き上げあちこち売り込みに行脚したのだ。
この映画は、通算すると一体何回見ただろうか。
この映画には実は多くの知られざる秘密が隠されている。
そして時代を経て今でも愛され続けている理由がそこら辺にあるのかも。色あせない名作の秘密を探ってみたい。
目次
スタローン出世作
知っていたことも知らないこともいっぱいだったが、
主役のシルベスタースタローン
彼自身の脚本だった。
自分で主役を演じたかったのだが、彼自身は役者ではまったくの無名で、なかなかスポンサーたちの首を縦に振らせることができなかった。
しかし、彼の脚本家としての才能は間違いなかった。
脚本を買い取りたい提案がしつこくなされたそう。
買取額は今の日本円で7500万円!
普通なら簡単にオーケーしてしまいそうな高額提示。
しかし、スタローンは決して首を縦に振らなかった。
実は、彼は顔の筋肉に生まれながらの障害があって、セリフ回しがどうしてもうまくいかなかった。
スポンサーとしては、障害のある無名の俳優を使うことなどあり得なかった。
買取を希望したスポンサーたちの配役では、
当時大スターだった“マーロン・ブランド”とか“ポール・ニューマン”が候補にあがっていた。
これらの俳優で作られればそれなりのものができただろうが、スタローンはそれをよしとせず、自ら主役を張ることで映画のクランクイン。
そしてテレビの報道でもあったが、なんと予算はテレビドラマ1本分の制作費とのこと。
調べてみると、110万ドルと。
ざっと1億2〜30,00万円てところか。
普通、映画ならば、数十億円は制作費として計上される。
数百億円を超えるものだってあるくらい。
しかし、作品はこの低予算で何とか乗り切って完成にこぎつけた。
参考までに興行収入は100倍になって戻ってきた。
低予算映画
実は、スタローンが書いた脚本は予算の関係で周りの助けがなければ撮影できないぐらい厳しい状況にあったそうな 。
フィラデルフィアの街の中での有名なシーン、
トレーニングに出る前にロッキーがオレンジを受け取るシーンがあった。
実はこれ、なんとアドリブでのシーン!
店の店員がたまたま放り投げたオレンジをうまくスタローンが受け止めることができてそれを採用したとのこと。
予算がない故の厳しい状況はテーマ音楽にも表れていた。
作曲家ビル・コンティがこのテーマ音楽を作っているが、制作費用として25,000ドルいただいたらしい。
実は、彼 ロッキーの撮影のために39名のオーケストラを編成したとのこと。
当然のことながら、このような持ち込みは全て彼自身が制作費の中から賄うしかない。
これら雇ったミュージシャンに報酬を払ってしまうと手元には何も残らない。
ロッキーは赤字を覚悟で作った曲だそう。
とある番組の中で逸話が明かされていた。ロッキーのテーマの中には合唱が入る。
その合唱団を雇うお金がなかった。
それでビル・コンティは自分の奥さんに歌う事の好きな友達を集めてくれと頼んで、無償で歌ってもらったそう。もちろん奥さんも一緒に歌ったとのこと。
聞いてみるととても微笑ましいが、涙ぐましい努力によってすべてのパーツが組み上がっていく様子がよく描かれていた。
特徴的なのはトランペットのファンファーレ部分があるが、(誰もが知っているあの部分) 39人編成のオーケストラの中にトランペット6人を配置した。
そうするとプロデューサーから多すぎないかとのクレームが。
普通この規模だとトランペットはせいぜい2人が良いところ。
しかしビル・コンティは自分のこだわりを絶対に譲らずに、ファンファーレにはこれだけ必要と押し切った。
爆発的大ヒット
ロッキーが誕生日のプレゼントにエイドリアンにスケート場を貸し切るシーン。
このときの種明かしが語られていた。
低予算映画のために多くのエキストラを雇って、たくさんの観客の中で滑るシーンは撮影が無理だったとのこと。
そこでスタローンが機転をきかせて、
ロッキーがなけなしのお金でスケート場を貸し切ることで設定をし直した。
こうすることで、映像として見ると 2人だけのシーンとなってより印象を強く感じたもの。
口の重い彼がいくつかセリフを述べているが、
“自分は頭が悪いから体を使うんだ”と、ちょっと泣けるセリフ。
ロッキーの持ち味は、
- 自分を信じる心
- 絶対にへこたれない心、
- そして 周りへのいたわり。
アメリカ人がアメリカンドリームとして最も賞賛すべき特徴を全て兼ね備えている。
そのような設定。
アメリカ人は頭の良い悪いで人を判断しない。
アメリカ的精神は私の目から見るとまず
- フロンティア精神。
- 正義感。
この2つが挙げられる。
ロッキーはストーリーがこの2つに大きく拠り所を得ていた。
結果の勝ち負けではなく、目標を立ててどれだけ努力できたかが大切なんだとこの物語は訴えている。
このポスターのシーンは実は映画の中には出てこないシーンで、別口で撮影されたらしい。
さらに、物語はロッキーが負けることで終わっているが、ロッキーが勝つパターンも撮影されたとのこと。
物語の最後のシーンをめぐって撮影をし直すぐらい、討論したそうな。
試合のシーンの観客も、映画を見ると山ほど人がいるが、あれは皆老人ホームの入所者と聞いた。
プロデューサーが老人ホームに招待状を出して面白いアトラクションがあるから見に来ないかとのことでみんな手をたずさえてきたようです。
薬とか食事の都合があるので夕方4時までの約束で協力してもらったとのこと。
とてもそんな風には見えないリアルな風景に映った。
撮影中のスタジアムではお菓子を配ったり飲み物を配ったりと様々なサービスで飽きないように努めたと。
感動とはこういうこと
ロッキー夫妻はこうして見てもまさに絵になる夫婦だとえる。
奥さんの役をやったタリア・シャイアはゴッドファーザーでも出演。
彼女はフランシスフォードコッポラの実の妹さんで女優歴もかなり長い。
エイドリアンの役柄でずいぶんと有名に。
そして映画の中で一作目から5作目に至るまで至るまで出演していた彼。
このポーリーがいなければ ロッキーの物語が成立しないぐらい重要な役柄。
彼がいたからこそストーリーに重さが生まれたと感じる。
彼が演じたセリフは様々な部分で彼自身のアドリブが取り入れられた
映画で彼が使っていた脚本の話が出てたが、すでにボロボロになっていながらも彼自身にとっては宝物とのこと。
ページを開くとおびただしい量の書き込み。
彼がロッキーにどれだけ精魂傾けて撮影に臨んだかがよくわかる。
紹介されていたが、彼自身も元ボクサーでボクシングに関してはほとんどプロ並み。
サンドバックを叩く姿が 79歳であることを感じさせなかった。
映画の成功は、作品に関わった人たちの熱意の結晶とも言える。
この物語に誰もが惚れ込んでいて、自分の役割を必死に果たそうとしていた。
その結果が大成功につながったと言える。
まとめ
この映画を見たことによって勇気をもらった人はたくさんいるはず。
日本のプロボクサー辰吉丈一郎もその1人。
彼は全盛期の頃は破竹の勢いで連戦連勝を続けていた。
しかし、彼には網膜剥離という致命傷があった 。
その時の、一度は引退しても、もう一度復活する精神をロッキーから学んだという。
彼は現在49歳。今でもボクサーとして現役でトレーニングを継続中。
既にプロとしてのライセンスも失っているので、どうしようもないのも事実だが、彼としては自分の夢を(ボクシングを続ける) 絶対にあきらめないことで自分の身の証しとしている。
ロッキーは1976年度の映画で、私もまだ23歳の若造だった。
実は白状すると、映画館では見ていない。テレビで見たのが最初。
しかし、テレビで見てあれだけ感動する映画も少なかったと思う。
映画館では翌年以降、スター・ウォーズや未知との遭遇を始めハリウッドの黄金期が始まる。
その前年度、とにかく映画はお金をかけることができなくて、ほとんどの映画が低予算で切り詰めて作ることが要求されていた。
私の記憶では、猿の惑星がその頃の作品としては1番被害を被ったと思っている。
当時のアメリカは、ベトナム戦争が終結した直後で、その時の負債を大きく抱え込んでいた時代。
娯楽にお金をかけるなどあまり推奨されなかった時代だと記憶。
映画は、言葉は悪いが金食い虫。
しかしながら、映画の善し悪しを決めるのは、ロッキーでわかるように、その作品に対する製作者の思い入れ。
脚本を書き上げて主役を務めたシルベスタースタローンの情熱もさることながら、彼に賛同して集まった多くのスタッフたちの惜しみない努力によって、成功を勝ち得たのだとつくづく納得する。
ロッキーシリーズは最初の作品から最後の作品に至るまで1つの時代を作り上げ、その役目を終えたと言える。
しかし、この映画はいつになっても名作としてたくさんの人を感動させるに違いない。