お年寄りのルーティーンで毎朝朝ドラを見る事を欠かさない。
特に今回のエールは実在のモデルがかなりしっかりしたストーリーになっているので、いつにも増して興味津々なんだけど。
今週描かれたオムニバス方式の登場人物
今村嗣人君
彼の様子を見ていてほんの少しだけれど、励ましてあげたいとおせっかいな気持ちがふつふつと。
彼が恋人環さんに抱いた気持ちは人間なら誰しも持っているもの。
このことを踏まえて多少なりとも何か励ますことができないかと考えてみた。
実はわりとあっさり答えは出ていて、ずいぶん昔から勉強していた哲学とか宗教の中に目指すものはあるような気がする。
目次
仏教の基本的な教え四無量心
実は今日のエールを見ていて嗣人君が気の毒と思った人もいたかもしれない。
自分に正直な人だったよね。
どうしても、世の中の歯車ってそんなに合うようで合わないんだよね。
自分以外のものに目を向けた時に、どんな心構えが推奨されるのか、仏教では基本中の基本とされることをなんとなく思い出してみたもので。
もう30年以上も前に勉強したが、もう一度思い出しておさらいをすることに。
慈
自分以外のものを素直に受け入れて慈しみの心を手向けること。
世の中には全く間逆のことをする人だっているわけでしょ。
自分より弱い者をいじめて満足を得ようとする輩。
この愚かな心は多分人間にしか備わっていないはず。
動物の世界では弱肉強食で殺し合うことなどしょっちゅうだが、それはあくまでも自分自身の食料とするための手段。
遊びや戯れ等で殺生をする事は100%ないはず。
なぜか人間だけがこのような愚かな心を持ってしまっている。
そのことを厳しく戒める心がけ。
それが慈。
悲
目の前で苦しんでいるものがいたら掛け値なしに寄り添って助けてあげたくなる気持ち。
エールの最初の頃のエピソードで音ちゃんのお父さんがとっさの判断で列車にひかれそうな子供を助けようとして自ら命を失ってしまった。
このことが悲
助けてあげたい、力になってあげたいと思う心。
ちなみに最初の慈とセットになって慈悲として認識している人がほとんどだろうか。
喜
実は四無量心ではここからが本題になるのだ。
自分以外の他人に何か良いことがあったときに、掛け値なしに一緒に喜んであげる心。
これが喜
この逆をする人は山ほどいるでしょ。
今回のエピソードの嗣人君。
彼もその典型的な例。
環さんの成功を掛け値なしに喜んであげることができなかった。
本来人間が持っている嫉妬心が先に出てしまって、その悲しい心を抑えることができなかった。
2人の恋路が実らなかったのは、その嫉妬心があるゆえ。
実は人間は心の働きとして周りを不幸にしたり自分が不幸になるような心の働きが何故か優先するようにできてしまっている。
私が思うのはそれは防衛反応なのだろうと。
能天気に自分をさておいて、他人の幸せを祈ってしまっては自分が不利益を被るばかりではないか!
そんな気持ちが先に立ってしまうのだ 。
しかし、そんな気持ちこそ不幸の源だと気づかねばならない。
そしてその不幸の種に気がつくことができたなら、実はそこから幸せは育てることができる。
喜心
この心の持つ意味はとてつもなく大きく深い。
捨
実はこの四無量心を勉強したときに言われたことがある。
4つある心の中で一番大切なのは最後の捨なのだと。
この心の持つ意味も実に奥行きが深いのだ。
自分以外の誰かの幸せのために貢献することが守備よくできたとして。
そのことを決して恩に着せるようなことをしてはいけないのだよと。
どうするべきか?
良いことをしてあげたことをきれいさっぱり忘れてしまいなさい。
捨て去りなさい。
この最後の説明を受けたときに私はいたく感動したことを覚えている。
そして自分の人生哲学も1つできた気がする。
もし売れる恩があるならばどんなささやかな恩でも売っておけ。
しかし、くれぐれもその恩を返してもらおうなどとさもしいことを思ってはならぬ。
私が今、痩せても枯れてもボランティア活動をさせていただけるのはポリシーとしてそういったことが心の中に備わっているからだと自負している。
まとめ
長く生きてきたので様々なことを経験してきた。
その中には人の生き死にを始め、苦しいこと辛いことも多々あったような気が。
毎朝見ている朝ドラも私の中では生活の1部になっているが、自分の人生と被ってしまう部分も多々あったりしてね。
決して人に吹聴して回ることなど考えてもいないが、ただし、未経験の人にはわずかばかりの体験談として参考にしてもらえるのかも。
すっかり歳をとってしまったが、これからも新しい経験が日々積み重なっていくことを楽しみに過ごしたいもの。