今週のお題「お父さん」
気がついてみたらもう今日は父の日。
母の日もそうだが個人的には何の感慨も湧いてこない。
それというのも私の両親は既に他界して、私自身 妻なく子供なく一人暮らしなもので父親として振る舞る事は何もない。
それでも考えてみたら過去には両親がいたわけだし、また真似事ながら父親っぽいことをした経験もわずかながら。
たまには振り返ってもいいかなと。
目次
父の思い出
父は昭和2年生まれ、私は昭和28年の生まれ。
結婚した時から海岸線に自分の家を建ててもらってそこで暮らしたとのこと。
私にもうっすらと思い出がある。
確か8歳くらいまで過ごした記憶が。
父は戦中派の生まれで、志願兵として兵役につこうとしていた。
配属先に南方戦線を言い渡されたようだが、出発の何日か前に終戦を迎えてその話はなくなったと聞いている。
子供の頃の父の思い出は、とにかくおっかない親父。
子供に何かを要求するようなそんな父ではなかったが、何かにつけて私とは正反対の性格だったようで、しょっちゅう小言を言われた記憶が。
ぐうたらでほとんど何もしたくない私に比べると、父はとにかく体を動かしていなければ納得できない人。
私が子供の頃からの趣味で釣りもやっていたのだが、シーズンになると(5月から7月)、夜中の2時半とか3時ごろに起き出してバイクで海へ向かったと記憶する。
何回かに1回は大当たりの時があって、今で言うところのアイナメが父の狙いだったが、これが爆釣となるのだ。
かなり巨大な魚体もあって1メーターに届くのではと思うような大きなものも見かけたと思う。
これを刺身で食べるのだ。
子供心に生の魚はそれほど得意ではなかったが、このアイナメの刺身はおいしいと思って食べた記憶が。
海沿いの生まれの人なので、季節ごとにどんな魚がおいしいのかをよく知っていたと思う。
ちなみに母親は内陸の生まれだったので、魚はどちらかと言えば苦手だったようだが、父に言われる通りに様々な魚を買ってきては料理していたような気が。
父がよく食べていたと記憶するのはイカ🦑かな?
多分安くて買いやすかったんだろうね。
夏場はもっぱらコレ。
冬になるとカジカ(これも50センチを超える大物、あんこうに似ているかも)。
そしてお正月が過ぎるとカレイのクロガシラ。
季節ごとにどんな魚がおいしいかをよく知っていたと思う。
田舎暮らし
もともと実家は農家なので、畑仕事も田んぼ仕事も、山歩きも大好きな父だった。
仕事柄、農家の相手をすることが多く、農作業は専門的で玄人はだしだったと記憶。
家庭菜園も早くからやっていて、夏の間は野菜なんか我が家では買ったことなかったんじゃなかろうか。
自家製のものが常に手元にあったような気が。
山歩きで記憶に残るのは山菜採り。
シーズンは年2回。
春雪解けが済んだ頃に春の山菜が出る。
今でも私にその習慣が残るが春先のウドが狙い目。
他にもふきとか行者にんにくなど、春先は取れるものがいっぱいあるのだ。
秋になるとキノコ狩🍄
狙い目は落葉キノコと言ってカラマツの下にでるキノコ。
野生のキノコは市販のものなど決して叶わないほど味わい深い。
この習慣は今も私に引き継がれている。
私自身が親代わりだったこと


かつて私も夫婦で2人暮らしをしていたことが。
その時連れ合いだった女性に請われて犬を2匹買うことに。
最初に飼い始めたのがマルチーズ。
確か平成7年だったと記憶。
そして3年後にゴールデンレトリバーを飼い始めた。
その後訳ありで平成16年以降は私はこの2匹の犬を引き連れて一人暮らしになった。
仕事をしながら犬2匹の世話をするのは大変だったと記憶。
メンテナンスが悪いととにかくすぐ病気になってしまう。
また大きい子、ゴールデンレトリバーは6歳を過ぎた頃に悪性リンパ腫にかかって、8ヶ月闘病した後亡くなってしまうことに。
動物病院に頼み込んで、私の仕事が終わってから治療のために通ったことを思い出す。
確か夜8時とか8時半ごろ。
病院に着いてから点滴を始めとする治療をおよそ1時間。
病院の先生もよく応えてくれたと今でもありがたい気持ちに。
普通はすぐに死んでしまうらしいのだが、犬はおよそ8ヶ月生存。
私も必死で治療に専念した。
そして小さい子、マルチーズは長生きしたと思う。
17歳位まで生きたと思う。
最後は老衰で、認知症も発症していたのだろう、私がちょっと家を留守にする間に息を引き取っていた。
この2匹の犬たちは今にして思えば私の息子のようなもの。
自分のことをさておいて彼らの世話が優先されていたと思う。
父の日に思う


自分の人生を振り返ってみたときに父親との縁はどちらかと言えば薄かったかなと。
若い頃に始めた運命学の勉強してみたところ、私と父親は星の巡り合わせであまり相性が良くないことがなんとなくわかった。
子供の頃は父親の存在が疎ましくて早く家を出たくてうずうずしていたような気がする。
そしてある程度歳をとってからは逆に父親が私の存在を気にしていたような気がする。
私の前では、私がタバコを吸わないことを気にして、タバコを吸うことをためらっていたような気がする。
そんなことを気にしなくても吸いたいように吸ってもらえればと思わないでもなかったが。
父親も亡くなってから20年近く経った。
母親も亡くなってそろそろ10年経つ。
私にとっては故人となってしまったのだが。
もし父親に会うことができるのなら、
改めてありがとうと言ってみたかった。
父親の世代では家族を持って養っていくことがステータスだった時代。
そんな中で私は随分と面倒を見てもらったと思う。
残念ながら両親の期待に添えるような人生にはならなかったが、おかげでまだ生きながらえて何とか暮らすことができている。
私ももうかなりの歳になったので、いずれあちらの世界へ行けばそう遠くない将来会えるのだろうと勝手に思い込むことに。
私にとって父親の思い出とはそうしたものなのかも。