テレビ人間なのでひたすら毎日テレビを見るが、特集番組で見た食文化の歴史。
それは番組的にはあの卑弥呼の健康に関する考察だったんだけれど、遺跡の発掘などから当時の様子が詳しくわかったとのこと。
今の私たちの食事はすでにグローバル化していてもともとの日本的な食事とは言い難いかもしれないが、
最もなじみの食事の形態が実は弥生時代とかその後に来る古墳時代のあたりから始まったらしいのだ。
日本人である私も自分の健康を維持するためには食事の取り方は最重要課題だが、勉強するとヒントはこの辺から。
大いに興味の湧く題材。
目次
卑弥呼の生きた頃
1時、全国で遺跡発掘ブームが起こったことが。
その後、発掘品の捏造問題がクローズアップされて考古学が氷河期を迎えた。
あのエジプト考古学の吉村作治先生が、
考古学の権威は完膚なきまでに叩きのめされたと。
あの時のテレビの会見はよく知っている。
でも最近の様々な取材番組を見ていると、きちんとした研究や調査は間違いなく継続されていて新しい事実もいっぱい発見。
卑弥呼が生きた頃と合わせて食文化について考察する番組を拝見。
とても興味深い内容で、日本の現在の直系の子孫にあたる内容。
ちょうど弥生時代と古墳時代の中間ぐらいだろうか。
全国に遺跡が散らばっているので、様々な論評がなされる。
卑弥呼がいたとされる邪馬台国だって、いわゆる奈良付近説、九州説、あるいは東北説など今でも議論がとても盛ん 。
ほかならぬ自分の国の歴史をきちんと知ろうとする姿勢は大いに共感できる。
農耕文化の始まり
縄文時代から農業と言う考え方はあったはずだ。
主食は米ではなかったと思うが、確か栗とかを主食にしていたと聞いた。
つまり集落の周りに作物となるべき樹木を栽培したはず。
稲作が伝わったのはそれ以降になる。
注目すべきは今のように品種改良されたジャポニカ種を育てたわけではなかったようだ。
米の原生種に近い品種を栽培したと聞いている。
当然栽培された地域は近畿地方以南に限られただろう。
今とは全く条件が異なっていた。
こういった農業と共に、同時発生的に行われていたのが畜産。
どうやらイノシシの飼育を始めたようなのだ。
長い年月をかけて飼育をするとイノシシの骨格にも変化が現れるらしい。
餌を与えられた猪はその頭蓋骨に特徴が現れて、後頭部が盛り上がるような事はなくなるらしいのだ。
驚くべきは普通に肉食を行っていて、さらに周りでとれる野菜や果物など、栄養的にはとても優れたものを摂取したようだ。
さらに、驚くべきは潜水を専門に行う人たちもいたらしいのだ。
当時のことなので、素潜りと言うことに。
そういえば子供の頃習った歴史の教科書には遺跡の代表として貝塚などが挙げられていたね。
実はこういった事実は当時の遺骨を調査することで克明にわかるとのこと。
耳の中に特殊な骨の出っ張りが現れて潜水夫だと判断される。
また当時は結核なども蔓延した証拠が。
結核は病状が重くなると脊椎カリエスと言って背骨すら曲がってしまうのだ。
最近の研究では鳥取県の青谷上寺地遺跡がとても有名らしい。
ここで発見された遺骨がほぼ損傷のない状態で保存されていたのでそこから随分と新事実が確認されたと聞いた。
こういった遺跡巡りは絶対に楽しいと個人的には考える。
いつごろから始まったのか定かでは無いが、研究は今最も盛んに行われている1つだと言える。
ここは出雲の国のお膝元になると思うので、印象としては鉄関係の文化が発達したのでは。
そういったことを考えながら様々な検索をしていると時間がいくらあっても足りない。
戦の始まり
農業とかが始まると、同時発生的に戦も発生するようだ。
それは人が集落を作り、その集落同士で諍いや揉め事が発生するとされた。
普通に考えるのは水の利権。
水をめぐる争いは戦国時代 江戸時代近くになっても決して止むことのない問題だった。
あの斎藤道三など、水利に関わる調停を やっていた記録があるくらい。
本当は話し合いでうまく調整できれば良いのだが、そこは自分の欲望が優先されてしまう。
力ずくでとなれば、当然武器を持って殺し合いが始まる。
そういったことも遺骨からわかる場合が圧倒的に多い。
弥生時代以降は戦乱の歴史でもあったと記録されている。
卑弥呼の存在は宗教の始まりでもあったようだ
集落同士の争い事の調停役に、みんなで協力して卑弥呼の存在を担ぎ上げたと言う放送されていた 。
ちなみに卑弥呼は中国の歴史書にその存在の記録が残る。
呪術を操って人心を掌握したと記録にも。
彼女は今で言うところの占いのようなことをやっていたのだろうか。
そういった呪術もさることながら、人の意見をうまく聞いて調停役を演出していたのかもしれない。
この卑弥呼の存在から日本でも宗教が形成されていったと思われる。
宗教の持ち味の大きな特徴は、共感だろう。
同じものに大勢の人が集中していくこと。
そうすれば、人々の心は1つにまとまりやすい。
人の持ち味として、宗教は他の動物ではありえないこと。
学ぶべき食文化
この弥生時代以降から今のような食事の体系が出来上がったようだ。
つまり、主食として米がある。
そして何種類かの副食が用意される 。
これ以前は主食副食の区別はなかったと聞く。
平たく言えばお腹に入れば何でもよかったのかも。
それに主食と呼べる食物が用意できなかったことも大きいだろう。
縄文時代、主食に近い形で食べられていたのは栗だったと聞いたことが。
今とは当然品種が違うのでどんな味なのかは想像できないが、中心的に食べられる食物は集落には必ず必要なものとなる。
狩猟だけに頼っていたのでは安定した食物を供給することにはならないから。
実は、当時の食事で今とは決定的に違うことがひとつあったと聞いた。
それは食べ物がどれも皆驚くほど固かったこと。
かなり力いっぱいかみしめて咀嚼しなければ飲み込めなかったぐらい。
この一生懸命噛む作業は、人間の骨格にも大きな影響を与えるようだ。
つまり顎が発達するかしないか。
現代人はおしなべて歯並びが悪いとされる。
それは柔らかいものばかり食べるが故に顎の骨の発達がうまくいかない。
32本の歯がきちんと生え揃うだけのスペースが口腔内に準備できないらしいのだ。
それを聞くと何となく理解できる気が。
色文化を考えると、きちんと噛んで顎の骨が退化するような柔らかいものは正直健康には良くないと悟る。
これからはせいぜい硬いものを意識して食べようかなどと。
昔から様々な健康法を試してきたおタクだが、健康を意識するならばご飯は少し固めに炊いて頑張って何回も噛んで食べるのが体にはいいんだよと教えられたことが。
最近の私は、どちらかと言えば固めにご飯を炊くような傾向が。
私は地元の農家さんからゆめぴりかを直接購入しているが、このご飯は柔らかめよりも固めのほうがはるかにおいしいと感じるので。
様々なものを食べる事は弥生時代前後の方が今よりも栄養的には優れていたかもしれない。
テレビを見ていて、口当たりの良い柔らかいものばかり食べるのは健康には不向きだと再確認した次第。