今、再放送でやっている太平記を見ている人はどれくらいいるだろうか。
主役を演じているのは若き日の真田広之。
足利尊氏を演じているのだ。
この足利尊氏が室町幕府を編成する前後の物語となっているが、ずっと続けてみてはきているが、驚くほどの複雑さで、実際の歴史もきちんと勉強する必要に駆られる。
時代劇ドラマなんだからとタカを括っていたのではやがて退屈して飽きてしまうのでは。
さてそう思って少し調べてみることに。
NHKの大河ドラマの試金石とも言える優れた作品。
原作の重厚さもさることながら脚本家の池端俊策も、現在の麒麟がくるに至る時代の変遷がよくわかる内容と感心する。
目次
真田尊氏
私が歴史の教科書で習った足利尊氏とされる絵がこちらだった
これ、重要文化財で教科書にはバッチリ載っていたんだけれど、やっぱり違っていたとのこと。
では実際の肖像画はどんな感じだったのか?
歴史をいろいろ勉強するときに私なんかがよくやる方法はとにかくビジュアル重視。
文字なんかいろいろ読み進んでみても結局は頭に入らない場合が圧倒的に多いと思う。
やっぱり姿かたちを始めとする視覚で入ってくるものが1番ものを言うのでは。
足利尊氏は印象としてはごつい系のイメージがとても強かったのだが、実際はあにはからんや、いかにもイケメンの優男風。
そしてさらに付け加えると歴史の教科書に出てきた源頼朝像。
とにかくだんだんわかりにくくなってくる。
想像しにくいよね。今までそうだと思ってきたものがどうやら違うなんて、今さらそんなこと言われてもなぁ。
歴史の研究もどうやら日進月歩で、日々書き換えられると思った方が良いらしいのだ。
そして様々な議論が起こって説が唱えられるが、きちんと承認を得るまでは10年位の時間は必要とするらしい。
私が歴史を本格的に習い始めたのは小学生の頃だから、間違いなく半世紀以上前のもの。
確かにそうなれば書き換えは絶対必要だね。
歴史で習った南北朝時代
室町幕府を語るときにどうしても外せないのが鎌倉幕府、蒙古襲来の元寇、そして朝廷が2分した南北朝時代。
ここら辺の頭に入っていなければ、物語自体が成立しない(理解できない)
この辺の時代を考えるときに私なりの最もわかりやすいやり方。
当時の日本の社会的構造を2つに分ける。
1つは貴族社会
もう一つが武家社会(広い意味で農民も武家社会に帰属していたと思う)
この2つが同時に存在していて身分上も上下がはっきりしていたね。
貴族の方が明らかに格上だったんだよね。
そして貴族たちは朝廷を始めとして主に理想主義者が多かったような気が。
逆に武家衆は現実主義者。
彼らは実際に、弓矢を持って命のやりとりをしなければいけなかった。
戦うからにはそれなりの恩賞が必要だったと聞く。
当たり前だが、ただ働きなんかしないってことだ。
日本の歴史を考えてみると戦った後の後始末がどれだけ巧みだったかでその値打ちが決まった可能性が高い。
権威はその権威を支える者たちで成り立っていることを忘れてはいけない。
貴族は位(くらい)は高かったが、恩賞を与える点で決定的に劣っていた。
つまり、武士たちにただ働きを要求したようなもの。
それはそっぽ向かれても当然だったかも。
武士と言ったって一皮むけばお百姓さんだから。
現実問題として生活が成り立たなければ、誰だって首を縦に振らない。
鎌倉時代の最後は貴族社会と武家社会のせめぎ合いで歴史の過渡期にあったと言える。
壮大な理想を持っていた後醍醐天皇はその権威を遺憾なく発揮しようとしたが、恩賞を与える点でどうしても力不足。
しかし、面白いと思うのはどんな場合でも日本人は天皇のような特別な存在をどうしても必要としていたこと。
今の象徴制ともつながるが、心の中によりどころとなるものを常に求めていた。
賛否両論あって頭から否定する人がいることもよく知ってはいるが、大抵の人はそのようなことを意に返さずあまり真剣には考えてはいないだろう。
しかしこの時代の人たちにとってはきちんとした天皇が存在する事はとても大切だったに違いない。
その結果として2つの朝廷が存在してしまうことに。
南北朝と呼ばれるものがそう。
ちなみに後醍醐天皇は南朝。
足利尊氏は最初は後醍醐天皇を持ち上げてはいたが、この2人には紆余曲折があって結局は北朝側を支持する。
ちなみに現在の皇室は北朝の末裔とされる。
南北朝時代は50年以上も続く長い戦乱の歴史だった。
終止符が打たれたのは足利幕府3代将軍義満の時代になってから。
日本は戦乱の続く歴史
日本の歴史は最初に大和朝廷が出来上がった頃から権力争いの巣窟と言える。
権威と支配の象徴と言える朝廷だが、それらを支えるための様々な方策が必要だった。
歴史のドラマを描くときに最も興味を引くのはその時の登場人物たちの胸の内。
何を根拠に行動していたのか、その点がどの程度きちんと描かれるか。
歴史を理解することと、歴史ドラマを見る事は私の中では同一線上に。
今はGoogle等があって調べ物等は思いのまま。
巷でよく言われるGoogle大先生と呼ぶ所以。
毎日検索しまくっている。
検索すると当然わかってくるのが、過去に勉強したことの修正。
歴史が大きく修正されるのを目の当たりにするのがこの世界の醍醐味かも。
いずれ別の機会に歴史の本質をある程度考えてみたいと思うが、過去に勉強してきたことが実は間違いと指摘される事は驚きではあるが、そこからまた1つ自分が賢くなれたような気がして、時代劇ドラマなどをどうしても足しげく見てしまう原因にもなる。
歴史の勉強するには最適かも
時代劇を見ながら歴史の勉強なんて、あまりにもベタすぎる考え方だね。
しかし、一番妥当な物の見方なのでは。
時代劇を作る上で最も重要だなと思うのは時代考証。
それは単純に電柱が映り込まないとか、建物その他全般。
服装とか言葉遣いとか全般がきちんと時代に合っていることが求められる。
最近の麒麟がくるで登場する女性たちが立ち膝で座っている様子が当たり前に描かれているが、以前は正座だったよね。
しかし、昔から残された絵画を調べてみると結構立ち膝が多かったらしいのだ。
おそらく、このドラマからではなかろうかなと。
時代劇を見ているとなんとなく、時代劇スイッチが入った状態で自分の物差しが機能していることにうすうす気がつくのだ。
問題は、そのことが心地よいと感じるか、煩わしいめんどくさいと感じるかで時代劇が好きか嫌いか意見が分かれると思う。