くわちゃんの独り言

音楽や映画が大好きな爺さん。長年の経験から知りえたことを発信します。

イメージとは真逆 植木等的人生

 

たまたま特集で植木等の番組を見ることに。

クレイジーキャッツのメンバーで、俳優もこなしたマルチなタレントぐらいのイメージだったが。

もちろん知っていたことも知らないことも、いっぱいあったのだが、あのテレビで見かけたおちゃらけたイメージとは全く間逆の人柄だったことを改めて確認

お寺の住職の息子だった彼は、幼い頃から父親の代わりに檀家回りをしてお経を唱えていたこともあったそうな。

たまたまテレビで見る姿はあのようなイメージで、いい加減で適当なキャラクターとして描かれてはいる。

実際は全く逆だったのだ。

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よく見ていたのはこんな感じ

目次

スーダラ節伝説

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作詞青島幸男 作曲萩原哲晶 植木等の鼻歌から生まれた名曲

ちなみに植木等を含めたこの3人はそれぞれが戦中派生まれで、青島幸男が1番若いのだが、全員が世の中からかなりずれた認識を持たざるを得なかったメンバー。

作曲家の萩原は本格的なクラシックを手がけるつもりが、歌謡曲をやることに方針転換。

青島幸男は持病のせいでサラリーマンになり損ねての家にほとんど引きこもっていた作家。

植木等は実家がお寺だったのだがそこを飛び出して本格的に歌手活動をしようと心に決めていた。

そんな中で、出会った3人だが、他にも当時の仲間とも呼べるメンバーがいた。

それは後に渡辺プロダクションを開設する渡辺晋

クレージーキャッツを結成することになったハナ肇を中心とするメンバーたち

彼らが力を合わせて活動することによって生まれたのがスーダラ節だったと言える。

曲を作るときは、植木等の鼻歌がモチーフになったようだ。

レコーディングで求められたのは面白さとおかしさ。

何テイクも重ねて最後にやけくそで歌ったのが1番良かったらしく、それが採用されたとのこと。

ちなみにスーダラ節は80万枚の大ヒット曲となっている。 

一見、おちゃらけた曲に見えるが、実際は周到な準備がなされて、何度も考察を繰り返した結果出来上がった曲と言える。

この曲をレコーディングするにあたって、一番の難関はなんといっても歌手本人の植木等が歌いたくないと言い出したこと。

曲があまりにも自由奔放すぎるので、こんな曲を歌ってしまっていいのかと悩んだらしいのだ。

しかし、植木等の父親からの後押しでレコーディングをすることに。

それは歌の中にあるわかっちゃいるけどやめられないが、

お寺の宗派浄土真宗大谷派の開祖親鸞の言葉に通じるものがあるから。

親鸞もやってはいけないとされることをことごとくやってずいぶん悩んだと聞いている。

人は悪いと思っている事でもどうしてもやってしまうものなのだと。

たくさんの人の後押しでこの曲の大ヒットが裏付けされたようだ。

植木等の人となり

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よく知られたイメージとは違う 亡くなる3ヶ月前青島幸男の葬儀にお参り

植木等は真面目を絵に描いたような性格だったと聞いている。 

タレントや俳優たちがやるような女性関係との浮いた噂は一切なし。

また酒の席でハメを外すこともない。

きちんとしている

それが彼のイメージだったと側近の人たちも皆口を揃えて言っているようだ。

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小松政夫 植木等の付き人を長く勤めていた

挨拶その他全般、厳しかったと聞いているのだが、とにかく真面目な人なのでいかがわしい遊びなど一切しなかったと。

仕事が終わればまっすぐ家に帰るようなそんな性格だったようだ。

ちなみに植木等は20歳を迎える頃に結婚をしていて、子供も何人かいるようだ。

その子供たちにとっても家では物静かな世間のイメージとはかけ離れた父親だったと。  

コメディアンとして俳優として

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クレイジーキャッツメンバーとして映画出演などもこなす

最初はジャズをやりたくて結成されたメンバーだった。

しかし演奏と同時にコントなども取り入れるとそれが大いに受けたようだ。

また出発が進駐軍相手のバー巡りだったので 、やはりジャズが1番のわかりやすい演目だったようだ。

クレイジーキャッツの音楽性の高さは有名になってからも様々な報告がなされているのを見たことが。

メンバー一人ひとりの楽器の腕前もさることながら、全体のレベル自体が非常に高かったとのこと。

ドリフターズのようなお笑い中心のコミックバンドではないのだ。

もともとジャズ演奏を目指していたメンバー

クレイジーキャッツ

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渡辺プロダクション所属

ドリフターズに人気を奪われるまでは彼らがコントをこなすグループとしては一番人気があったのでは。

テレビ番組のシャボンたまホリデーなどずいぶん長く続いていたし、ちなみにあの時の番組の脚本を書いていたのが青島幸男。

そして、番組の中で何気なくバックに流れていた音楽など皆彼らの演奏によるものだと後になってから知ることに。

最後に流れていたギターの演奏でスターダストがあったが、あれは記憶によれば犬塚弘の演奏だったと。

谷啓のトロンボーンやハナ肇のドラム、桜井センリのピアノなど、他にも皆得意な楽器をこなしていたので、それぞれが皆その担当の専門家だったと記憶する。

植木等自身もギターをわざわざ借金までして買って練習しているくらい。

伝説のグループだったが、やがては植木等を始めそれぞれが個人で活躍するようになっていった。

主に俳優としてお声がかかる場合が多かったのでは。

記憶に残るところでは植木等はもちろんのこと、ハナ肇などよくドラマで見かけたもの。

また犬塚弘もドラマでよく脇役で出ていたような気が。

さすがに昭和を代表するグループだったが、既に多数のメンバーが亡くなっておられる。

最近ではほとんど思い出すこともないが、たまたまテレビで放送されるとどうしても見入ってしまうのは私だけではあるまい。