東京都の選挙では小池百合子先生が圧勝して2期目の活動を。
日々報道されるコロナウィルスの感染は今に至って予断を許さない
そしてここ1日2日ニュースで持ちきりなのは九州の大雨。
かつてないほどの大災害に見舞われている。
今までの気象の予想がまるで通じない。
想定をはるかに超える大雨で、被害もまだ全容すら解明されていないのだ。
そんな中、ー時代劇物の特番で明暦の大火の時のドラマ仕立ての番組を視聴。
そこからは今でも通常する優れた危機管理の対応が描かれていた。
目次
ドラマ仕立て
歴史オタクの私からするとこの人超有名人。
徳川2代将軍秀忠が側室に産ませた子供。
将軍秀忠の正室は織田信長の妹お市の方の3番目の娘、お江(おごう)
実はこちらの方 姉さん女房、そして何度か夫に死に別れているので、それなりに人生経験が豊富。
片や将軍秀忠は初婚で、恐妻家だったと聞く。
お江さんは秀忠がもし側室など囲おうものなら、命をつけ狙うこともいとわないほどの激しい性格。
それ故秀忠は自分の側室に子供ができたとき、その子を危害の及ばないような遠くの家系に養子として預けた経緯がある。
それが3代将軍家光の時代になってから、徳川の本家に連れ戻された。
大河ドラマの葵三代にもその辺の事情が詳しく描かれていたね。
保科正之
現在になってからの評判を見ても江戸時代の中で屈指の名君とされている。
様々な経歴を見ても上杉藩の上杉鷹山に匹敵するかも。
もともとは高遠藩だったけれど、後に会津の23万石城主として、幕府内でも重要な地位を占めていた。
彼の真骨頂は明暦の大火で江戸のほとんどを焼き尽くすような大火事があったときに、その復興の手立てが今でも通用するのではと思うほどの優れた手腕を発揮したのだ。
危機管理と言ってしまえばそれまでだが、常日頃から合理的精神が身についていたのかもしれない。
やはり徳川家康のお孫さんだけあって、その才能も運気もずば抜けた気がする。
主人公保科正之の優れた業績
この江戸の大火ではおよそ10万人が死亡したと聞く 。
焼け野原になった江戸を再構築する事は幕府にとっても緊急の課題だった。
とにかく一般庶民の暮らしをなんとしても立て直さなければならない。
その予算の付け方が、400万両を軽く超えたと聞く。
単純計算で今の金額に直すと5200億円。
※1両を13 万円と換算
これらのものの使い道は街のインフラ整理はもとより、橋を増設するなど多岐にわたる。
最初はとにかく食糧援助だったと聞いている。
焼け出されてみんな寝るところも食べるものもない状態なので、武家の生活よりも一般庶民の生活を優先させたと聞く。
と同時に今で言うところの都市計画も同時に行って、主な道路は幅を1.5倍とすることに。
さらに火災の延焼を防ぐために広小路と呼ばれる広場を所々に配置した。
また江戸は川の多い土地柄だがその川に何箇所か橋をかけた。
有名なのは両国橋。
幕臣たちの反対がある中、説得して解いて回ってこれだけのことをやり遂げたのだ。
そして明暦の大火では江戸城の天守閣が焼失してしまったが、その再建をヨシとしなかった。
この時は徳川幕府4代将軍家綱の頃。
既に太平の世は出来上がっていて、戦に備える準備は必要ないとの判断から。
しかし城の天守閣を再建しないとなるとこれはイメージ的には随分と思い切った作戦だったのかも。
莫大な予算のかかる計画なので、もしこれをやらずに済むのなら、江戸町内を手厚く保護することができる。
このときの江戸への計らいが後の100万都市を生むことになる。
世界史で見ても、ロンドンやパリといえどもここまでの規模にはなっていない。
そしてこの時こうした様々な方策が後の江戸の文化も作り出していったと言えるだろう。
江戸の所々に設けた広小路(広場)はすぐに商売人たちが集まって、今で言うところの屋台がずらりと並んだ。
江戸前とされる、天ぷら、寿司、そばこれらは皆この広小路の産物と言われる。
いってみれば江戸のファーストフードだったのかも。
今では伝統的な和食として人気が高い。
そして驚異的だなと思ったのは3代将軍家光が構築した参勤交代制度を一旦中止にしたこと。
実はここには大きな狙いがあった。
当時参勤交代で初藩の大名たちは江戸に住むことになっていたのだが、当然家来衆を一大勢の人間が江戸住まいをすることに。
これを一旦止めてそれぞれの国に帰っていただく。
そうすることによって残った土地を江戸の庶民たち主体で新たな都市計画のもと再構築するのだ。
特に大名たちを始めとする武士たちは自分たちの利益を追求することで、復興計画に余計な口出しをすることが想定された。
最初から江戸から出ていってもらえば、そのようなトラブルは起こるはずもない。
この狙いはとても大きかっただろう。
復興計画がある程度整ってからは、江戸の町は江戸城中心ではなく、その土地土地にある様々な建物や橋などがきっかけとなったようだ。
現代に通じる対応
この映像を見る限り被災した人たちは公の支援を待ち望んでいるに違いない。
しかしこういった町の復興するときに最初にするのは片付け作業。
実はこういった時にとても助かるのがボランティアの存在。
世の中にはスーパーボランティアなる人たちも大勢いるのだ。
もし保科正之のやり方を踏襲するのなら、まず片付けることに関して大きな予算を組んで、生活が復旧することを目指すべきだろう。
そして復興支援としての金銭的な補助は、条件をつけずに行わなければならないだろう。
今の段階では食料も何も全く手元にないのだから、即した対応は何においても望まれること。
特に今回の場合は大雨なので、また同じ災害を繰り返す可能性が大きいと言える。
都市計画を最初からやり直さなければならない。
現代はこの大雨はびっくりする事件だったが、最近数ヶ月続くコロナ騒動も厄介な問題だろう。
病気を押さえ込むための方策は様々言われているが、1番は危険にさらされている人たち、また病気になってしまった人たちの不安。
この不安を取り除くことこそ防災対策の極みではないか。
復興と同時に将来を見据えた手当てがなければ、不安の中で心にストレスを抱えた人たちが安心できることにはならない。
政治家もいっぱいいるし、役人たちも山ほどいる。
民間の中にも優れた人たちはいっぱいいるはず。
これはと思う素晴らしいアイディアになかなか出会えないと思うのは失礼なことだろうか。