何気なくYouTubeを検索していて昔から1人気になるピアニストがいた。
それはカナダ出身のピアニスト グレン・グールド
ピアニストなのでピアノの専門家なのだが、彼はバッハ解釈の第一人者の称号を得ている。
彼が演奏するバッハはすべてピアノ。
オリジナルはハープシコードの場合が圧倒的に多いのだが、グールドはピアノに置き換えて演奏するわけだ。
実はこの演奏が驚くほどの説得力を持っていて、それ故のファンも多い。
目次
バッハが愛され続ける理由
グールドがバッハを選んだのには理由があった。
調べてみてわかったが、最初にピアノありきだったのだ。
グールドはピアノなる楽器はポリフォニック音楽そのものと考えていたようだ。
そしてポリフォニック音楽の頂点に君臨するのがバッハ。
旋律を複数同時進行させる。
ピアノの持ち味を遺憾なく発揮するにはピアノの演奏がベストと考えたようだ。
実はバッハのこういった音楽的な姿勢は私もずっと前から注目はしていた。
そのバッハについて書いた記事がこちら。
高校1年の時に初めて知ったバッハは50年経った今でも、私にとっての永遠のテーマと言えるかも。
バッハは悪く言えば、職人のような音楽作りをした人でもあった。
しかし厳しくマニュアルを踏襲しつつも、音楽にかけるバッハの情熱は計り知れないものがあったと聞くたびに感じたもの。
このブログの最初の頃にバッハを取り上げた記事がある。
どうしてバッハを愛でる人たちが多いのか、ほかならぬ自分自身がどうしてバッハをお気に入りにしてるのかをこの中で述べてみた。
バッハの様々な業績の中で、今ある音楽の様々な約束事は、彼が中心となってこしらえてきた。
バッハのさまざまに残っている楽譜、それが多くの人に共通の情報伝達のアイテムとして認められた経緯がある。
バッハの楽譜を見てみると几帳面なことがよくわかる。
オルガニストとしてナンバーワンの称号を得ているが、楽譜とか音階とかのバッハの業績は普通に音楽を聴いているだけではなかなか伝わらない。
いろいろ調べてみてその辺がわかってくる。
彼がドイツの中でも特に優れた3人の1人に選ばれている理由がそこら辺にあるのかもしれない。
音楽に対して真面目に仕事をして、ストイックに取り組んでいたこと。
バッハを知れば知るほどそういったことがわかってくる。
ピアニスト グレン・グールド
晩年の演奏と思われるが驚くほどの魅力を感じるのは私だけか?
[HD] Bach's Goldberg Variations [Glenn Gould, 1981 record] (BWV 988)
バッハの曲をピアノで奏でる。
聞くとよくわかるが、全く違和感を感じない。オリジナルはチェンバロである。
ピアノとチェンバロではそのスペックはまるで違う。
ピアノの音は強弱のダイナミックレンジがチェンバロの比ではない。
表現する力を問うなら楽器の中ではピアノは最強と言えるだろう。
グールドはもともとはピアノが出発だったので、表現する素材としてバッハを選んだようだ。
ピアノありきなのはわかるが、同じように大切にしたのは自分自身の感性と表現力だろう。
彼は演奏するときの曲のテンポなど、例えばオーケストラと合わせるときなど自分の主張を絶対に曲げなかったようだ。
レナードバーンスタインと 一緒の仕事をすることがあったらしくて、曲のテンポについて長時間の議論をした挙句、結局バーンスタインが折れる形でグールドの主張が通ったようだ。
彼は親しい友達も何人かいたようだが、基本的には1人を好んだようだ。
ストイックな音楽家の代表と言える。
このピアノの演奏の形を見て一体いつ頃なのかと考えてみてはどうだろうか?
彼は1932年生まれで50歳で亡くなっている。 50歳である。
この映像に映る姿は、70代80代でも通りそうなぐらい年老いては見えないか。
彼の50歳の寿命は普通考えたならば絶対に短い生涯なのだが、この姿を見ると人生でなすべきことをやり切った感がある。
彼は人種は全く異なるがフレディーマーキュリーが歩んだ人生と少し被る気が。
フレディーも40代でさっさとなくなっている。
彼自身の言葉で70代まで生きるなんてありえないとさえ言っていた 。
音楽にかける並々ならぬ意気込みを有無を言わさず感じてしまう。
まとめ
坂本龍一はグールドの前かがみな演奏スタイルを真面目に取り入れたいと考えていたようだ。
もっとも、今は一般的な演奏スタイルを用いているようだが。
グールドの演奏スタイルは子供の頃からあんな感じだったらしい。
コンサートを頼まれると、そこに置いてあるピアノに備え付けの椅子の足を切り落としていたらしいのだ。
もちろんそのためにはその椅子を買い取る形をとっていたと聞く。
後年になってからは自分専用の椅子を持ち込んで演奏したらしい。
なぜあのような極端なクラウチングスタイルを採用したのだろうか。
ひょっとしたら目が悪かったのだろうか。
しかし、あの出で立ちからは健康そうなイメージは全く感じられないので。
自宅で1人ピアノを弾いて過ごすことが彼の人生だったのだ。
それでも、親しい友人同士では手紙のやりとりもあったようだし、全く孤独な人間という事でもない。
何人かの同じ音楽家仲間はいたようだ。
彼を絶賛する人が多い。それも同じ音楽家の中に多いと言える。
あの坂本龍一がそのようだ。小学生の頃にグールドにはまったと言うのだから彼自身の才能も常人の域を超えている。
その時から演奏スタイルを真似ようとしたらしい。もっともまだ先生について練習中だったのですぐに注意されて、今ではなるべく背筋を伸ばすように心がけているようだが。
グールドは実は1964年を最後に、一切のコンサート活動をしなくなったようだ。
それ以降はレコーディングだけで活動をしたのだ。
まだ31歳の時。
その後はどんなに頼まれてもどんなに大金を積まれても絶対にコンサートをしなかった。
単純に嫌だったからだろう。
コンサート活動は、実は様々な約束事がある。
具体的な音合わせのような音楽に直結することももちろんあるが、服装とか周りのスタッフへの挨拶とか、時間の配分とか、およそ自分の流れではできない作業。
そういったことに早々と見切りをつけたのだ。
ストイックである事は重々わかるが、自分にとって嫌だと感じる事は端から拒否したようだ。
そのようなエピソードもあってグールドはほぼ伝説的なピアニストとなった。
バッハはグールドがよく用いた作曲家だったが、心から尊敬したとも言われている。
自分自身の音楽的な姿勢にバッハの音楽に対するマインドと共通するものを感じていたに違いない。
その共通点はすなわち音楽が奏でる感性の揺らぎ。
ショーペンハウアー曰く“すべての芸術は音楽の状態に憧れる”
多分同じ芸術家同士の嗅覚でバッハを感じ取っていたに違いない。
そのようなグールドをたくさんの人が支持するのだ。