くわちゃんの独り言

音楽や映画が大好きな爺さん。長年の経験から知りえたことを発信します。

昭和の歌姫弘田三枝子の記憶

 

ついこの間亡くなった歌手弘田三枝子

調べてみたら私と年齢がかなり近い。

彼女は1947年生まれ。

私が1953年生まれなので6歳違いと言うことに。

正直かなり若いご逝去だなと。

デビューしたての頃のイメージと、有名になってからのイメージは明らかに違うのでその辺も含めて調べてみることに。

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私にとってはこのイメージが強い

目次

14歳でデビュー

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ほとんど子役の頃から活躍していたんだよね

弘田三枝子は当時でもかなり若い歌手と言えるだろう。

ただし、日本の歌謡界では美空ひばりがいて彼女と比較すると、どうしても並び称せられるだけの人はいない。

そんな中で弘田三枝子は、アメリカンポップスやジャズなどを得意としたちょっと風変わりな歌手だったと記憶。

私が小学生の頃もうすでに第一線で活躍するスターだったと。

当時は伊東ゆかり、園まり 、中尾ミエといった実力派の歌手たちが多数存在したと思う。

彼女のデビュー曲を聞いてみるが、最初からかなりの歌い手であることがよくわかる。


弘田三枝子 子供ぢゃないの

 年表を調べてみても間違いなく1961年なので彼女は14歳と言うことに。

今のアイドル歌手とは全く比較にならないぐらいの大変な実力。

これだけの実力があれば注目もされる。 

22歳の時に大掛かりなイメチェンを

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名前を名乗らなければ本人と気がつかないくらい大きく変わったね

彼女の大ヒット曲と言えば人形の家が有名。

個人的に私も大好きだが、この曲は1969年の10月に発表されている。

そしてその時の彼女は全く別人と見紛うほどの大変なイメージチェンジをしていた。

歌のうまさはそのままにして、日本の歌謡曲を意識したメロディー中心の曲を歌い始めた気がする。


Hirota Mieko - Ningyo no ie 弘田三枝子 人形の家

 YouTubeで検索すれば他にもいっぱいこの曲はあったが、画像と音声が微妙にずれているものとか、また 雑音が入っていたりで一番採用できそうなのがこちら。

司会の高橋圭三も懐かしい

この時代は歌番組も今とは比較にならないほど大人気だった。

この映像はどうやら大晦日あたりに行われたレコード大賞か何かの授賞式かと思われる。

この年、弘田三枝子はNHKの紅白歌合戦にも確か6回目くらいの出場をしていると思った。

彼女がこの曲で計ったのはまさにイメージチェンジ。

今までの健康的なお姉さんのイメージを払拭して、お人形のようにかわいいアイドルではない正統派の歌謡曲歌手を目指したのだ。

まさに思い通りのイメージ戦略が成功した例だと言える。

彼女はやっぱりジャズがうまかったんだよね

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大きなステージではなく200人程度のコンサートが似合っていたと思う

改めて聞いてみて、彼女がジャズ歌手だと言うことを再認識させられる。


ビッグバンドJazz-スイングJazzメドレー弘田三枝子・他

この歌い振りを聞いてみてどうだろうか。

耳のいい人ならば、ライザミネリと比較するかもしれない。

ライザミネリに匹敵するほどの歌声だと個人的に思っている。

ジャズのスタンダードナンバーにも彼女がカバーした名曲が。


弘田三枝子 マイ・ファニー・バレンタイン

こういった曲を歌ってこその弘田三枝子だと私はずっと思っていた。

しかし、日本ではこんな曲を歌っても売れないんだよね。

こういう曲は本当のマニアしか愛さないので。

ジャズはジャンルとしてとてもメジャーな音楽だけれど、ジャズミュージシャンできちんと食べていける人が驚くほど少ない理由がなんとなくわかる。

彼女を歌手にして、200人規模のホールでジャズのコンサートを開けば満員御礼になることは間違いなしだと思う。 

ダイエットと整形と

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整形の後遺症をずいぶん週刊誌ネタにされた

彼女のイメージ戦略は、想像を絶するダイエットと 、後は誰もが知っている整形。

当時の整形したのですか?の問いには彼女は確かしていないと答えたと思った。

そんな事は後からすぐわかっちゃうんだけどね。

彼女が歌謡界で活躍して生き残っていくためには整形してイメージを一新する必要があった。

歌い手は歌の実力だけではとても世の中でやってはいけないことを彼女は身をもって知ったのかもしれない。

その結果追い求めたのは歌のうまさのほかに圧倒的に美しいビジュアル。

とにかく容姿端麗なものを目指したのだ。

人形の家を歌った彼女は22歳

本当に人形と間違うほどの美しさで、かつて10代で活躍していた頃の面影など一体どこにあるだろうか。

しかしこの当時の整形技術は今ほど発達してはいなかったようだ。

後年になってから整形の時の様々な後遺症が顔に出てくることに。

私が感心するのは、そんな中でも彼女は人前に自分の姿を晒すことを絶対にいとわなかった。

表に出たくないと思ったことだってあるに違いないが、彼女は歌手なのだ。

人前で歌ってなんぼの世界

その意味でとても好感が持てる。

私が惜しいと思うのは、体重を落としすぎたのではと。

極度のダイエットで、おそらく歌い手としての最も大切なパワーを失った感がある

彼女はもっともっとパワフルな歌い方ができて当然の歌手なのだが、どうしてもパワー不足を小手先のテクニックでかわそうとすることが後年目だった気がする。

若い頃は身長160センチに対して体重は60キロ弱位だったと思うが、22歳の時、人形の家を発表した頃は40キロそこそこまでダイエットしただろう。

歌い手としてはそれなりの覚悟を持って望まなければ犠牲を強いられる行為だと思う。

さて、歌手弘田三枝子はもうこの世にはいない。

もう映像の中でしか彼女の歌声を聴くことができない

 

                           合掌