この時期は戦争に関わる特集番組をよく見かける。
今回は日本海軍が誇った戦艦大和、戦艦武蔵の特集。
実はこの2大戦艦は、時代に逆行していたシロモノだったことでも知られる。
主な作戦行動に参加することも叶わず、ひたすら待機の場面が多かったようだ。
その結果つけられたあだ名が
大和ホテル
武蔵旅館
当然のことながら褒め言葉ではない。
目次
乗組員重視で作られた戦艦
海上の閉鎖された空間で過ごさなければならない乗組員。
戦艦大和以前ではその居住空間は驚くほど劣悪なものだったようだ。
食事もさることながら、トイレなど横並びについたても何もなくそのまま並んでいるので、用を足している姿は周りからは丸見えとなっていた。
そして夜はハンモックでの就寝となる。
さらに艦内は空調の設備がなく、蒸し風呂状態だったと聞く。
この劣悪な環境ゆえにたくさんの兵士たちが体調不良を訴えていたようだ。
大和を建造するときには、こういった居住に関する項目をことごとく見直すことにしたようだ。
兵士たちが安心して生活できて、そしていざ戦闘態勢になったときにはその実力を遺憾なく発揮できる。
そのようなことを目指して建造されたようだ。
一番の改善点は空調関連。
それと就寝用の道具としてベッドが採用された。
トイレにも扉が取り付けられプライバシーが保てるように。しかも水洗。
館内は冷房完備
実は大和の乗組員たちが皆口を揃えて褒めていたのがクーラーが効いていたこと。
艦内の温度を常に27度になるようにセッティングしていたと聞いた。
動けばもちろん汗は出るだろうが、しかし動かずにいる時ならば問題なく過ごせる快適温度。
特に、夜寝るときの快適性といったらなかった。
大和以前では夜寝苦しくて睡眠不足になることもごく普通にあったと聞いている。
そういったことが大和や武蔵ではなかった。
空調を用いて居住空間の快適性を保つのは今もその手法が用いられていて、当時としては最新鋭の考え方だったようだ。
贅沢とも言える食事
海軍の場合、週に1度の休日なるものは存在しない。
よく言われた月月火水木金金がその実情だったようだ。
つまり彼らは休みなく作戦行動に従事していた。
そんな彼らの唯一の楽しみが食べること。
そのような食事の中でも1番人気がカレーだったと聞いた。
今でも海上自衛隊の横須賀カレーなどYouTubeやテレビの特集番組でも取り上げられるほどの人気。
作り方をテレビで拝見したことがあるが、驚くほどのこだわり。
あの作り方だけはさすがに真似できないなとつくづく思ったもの。
ちなみに今の海上自衛隊の食事は大和時代のものほぼ踏襲しているようだ。
びっくりしたのは、1日3食食べるそのメニューが乗組員の証言からほぼ完全に今も伝わっていること。
主食が麦飯だったが、なんと1日に5合も食べるのだ。
丼茶碗でおよそ7杯分。
その他にもおかずがもちろんつくが、魚よりは肉料理が多めに出たと聞いている。
そうして提供された食事は、一日に3000Kclを軽く超える内容だったと聞いた。
今の成人男子に必要な量の1.5倍。
なるほどこれだけのものを提供されていて、作戦行動もなしに過ごしていればホテルや旅館と揶揄されても致し方ない。
ただし、毎日のんべんだらりと過ごせたわけではない。
毎日訓練訓練に明け暮れて、およそ体の休まることなどなかったようだ。
今でも通用する居住空間
何よりもきちんと空調の効いた部屋でしかもベッドで就寝できるとなれば寝苦しくて寝付きが悪いなんてこともなかった。
その点では乗組員にとっては快適そのもの。
そして、特集番組で語られていたのは医療関係の充実ぶり。
手術室も医者たちも完備していたのだ。
この方の証言を聞くと、およそ手術室ではほとんどの事はできたと証言していた。
ただし、それはあくまでも戦闘中でない状態に限る。
一度戦闘が始まれば直ちに野戦病院のような状況になってしまう。
大量の負傷兵が担ぎ込まれてくると手は回らなくなって、やむを得ずトリアージを行っていたようだ。
普通トリアージは重症患者から手当てをするルールだが、大和の場合は違っていた。
手間のかかる重症患者は後回しにして軽症のものを手当てしてまたとっとと戦場に復帰させる。
重傷者はほぼ死んでいったようだ。
とてもじゃないが忙しくて手が回らなかったらしい。
そして戦闘が始まると、そのストレスのせいか虫垂炎患者が激増したのだそう。
毎日盲腸の手術をしたと報告。
そして、戦闘が始まると大和艦内は静寂に包まれるのだそう。
爆風や浸水を恐れて各ブロックは扉ごとに閉鎖される。
そうなると外の音は全く伝わってこない。
この無音の空間で長時間過ごすと、それすらもストレスとして体調を崩すものが多くなった。
ヤマトは乗組員の健康第一を考えて様々な最新設備を導入したが、戦闘中にはあまり役にたたなかったと聞く。
自慢の食事も、戦闘中はおにぎりのみになってしまうこともしばしば。
まぁ食事の支度をする暇なんかないだろうから。
やむを得ないと言えばやむを得ないが、どんなに知恵を出してみたところで戦争となれば思い通りにはいかないもの。
実力を発揮できずに沈没させられる悲運


戦艦大和も武蔵もその当時からすでに時代遅れのレッテルを貼られていた。
このような巨大戦艦が活躍するような時代ではなかったのだ。
時代は航空機。
空母を中心とした艦隊から飛び立った艦載機が敵基地を攻撃する。
海に浮かんでいる軍艦は高射砲で戦闘機を狙い撃ちをするのだが、びっくりするほど弾は当たらないと聞いた。
大和の乗組員の証言があったが、敵の戦闘機のパイロットはどうせ当たらないと思うから大和スレスレを飛行していたんだそうな。
甲板から敵パイロットの顔がまともに見えたと聞く。
「お互い相手の表情が見えるんだよな!」
元乗組員の切実な証言だった。
レイテ沖海戦で大和も武蔵も作戦行動に参加したが、武蔵はこの時沈没。
航空機の攻撃には耐えられなかったのだ。
戦艦は装甲に受ける攻撃は十分な防御を発揮できるが、横腹や、機関部など脆弱な部分も多い。
小さな戦闘機はその辺の事情をよく踏まえていて狙い撃ちにするのだ。
武蔵は頑張って丸一日攻撃に耐えることができたが、半年後、大和はわずか2時間ほどの防戦で沈没させられた。
これはアメリカ軍の攻撃のやり方が巧みだったからと言われている。
絶対に沈まないと言われた船たちも、やはり沈むしかなった。
今では兵力の中心をなすのは空軍。
空を制するものが戦争を制することになる。
戦艦大和も武蔵も、時代の間に咲いた仇花だったかも。
まとめ
今では到底考えられないことだが、職業軍人たちは自分たちのメンツをとても大切なものと考えていたようだ。
海軍にしてみれば巨大な戦艦を保有することこそステータスだったらしい。
戦争に役にたつかどうかよりも、保有しているかしていないか。
戦艦大和の建造費はおそらく今の貨幣価値で2兆円近くするのでは。
しかし、事実は驚くほど冷酷。
メンツや建前などまるで通用しないのが戦争行為。
戦艦を作るか空母を作るかで、論争もあったと聞いている。
しかし結果は見ての通り。
そして、私は昨年封切りの映画を見ている。
映画がいつになく面白かったので、日本映画もいいなと納得したもの。
物語とは言えメンツや建前では戦争にはならない。