くわちゃんの独り言

音楽や映画が大好きな爺さん。長年の経験から知りえたことを発信します。

開戦の詔書 改めて本当の歴史を学ばなければと痛感すること😓

 

この時期はなんといっても終戦記念日を直前に控えて、あの太平洋戦争に関わることをどうしても思い出さざるを得ない。

既に戦後の生まれの私だが、昭和28年生まれなので、終戦からまだ8年しか経っていなかった。

戦争の記憶も結構生々しかったと覚えている。

8月15日が終戦記念日。

そして真珠湾攻撃の12月8日

この2つが日付としてとても有名だが、そこに至るまでの経緯は一体どれほどの人たちが理解していると言えるだろうか。

特に、この戦争は昭和天皇の意思として発表された2つの文章が重大な意味を持つ。

その中でも特に戦争を始めるに至ったことについて述べられた文章がある。

f:id:kuwa3972:20200816130059j:plain

戦争の資料として残っている

目次

戦う以外に選択肢はなかったのか

f:id:kuwa3972:20200816130539j:plain

真珠湾攻撃 大成功と解釈されてはいるが

私が子供の頃から教えてもらってきたのは日本が世界侵略を企んでその結果戦争を仕掛けたと。

日本は自分の国の利益を追求するために、そのためにアジアに侵略を仕掛け、結果として様々な妨害を取り除くためにアメリカとの戦争をするに至ったと。

実はこれ、最近ほとんど当たり前になりつつある見解だけれど、 捏造された事柄

 

で、

日本人に自虐史観を植え付けるためにプロパガンダでそのように仕向けられた内容

日本は他国を侵略してその利益を独りよがりに貪ろうなどとは全く考えてはいなかったのだ。

既に、その時の昭和天皇の開戦の詔書の口語訳がネットで明らかにされているので載せてみたい。

「開戦の詔書」

 

 

 

神々のご加護を保有し、万世一系の皇位を継ぐ大日本帝国天皇は、

忠実で勇敢な汝ら臣民にはっきりと示す。

私はここに、米国及び英国に対して宣戦を布告する。

 

 

私の陸海軍将兵は、全力を奮って交戦に従事し、

私のすべての政府関係者はつとめに励んで職務に身をささげ、

私の国民はおのおのその本分をつくし、

一億の心をひとつにして国家の総力を挙げ、

この戦争の目的を達成するために手ちがいのないようにせよ。

そもそも、東アジアの安定を確保して、世界の平和に寄与する事は、大いなる明治天皇と、その偉大さを受け継がれた大正天皇が構想されたことで、私が常に心がけている事である。

そして、各国との交流を篤くし、万国の共栄の喜びをともにすることは、帝国の外交の要としているところである。

 

 

今や、不幸にして、米英両国と争いを開始するにいたった。

まことにやむをえない事態となった。

このような事態は、私の本意ではない。

 

残念なことに中華民国は、以前より我が帝国の真意を理解せず、みだりに闘争を起こし、東アジアの平和を乱し、ついに帝国に武器をとらせる事態にいたらしめ、もう四年以上経過している。

さいわいに国民政府は南京政府に新たに変わった。帝国はこの政府と、善隣の誼(よしみ)を結び、ともに提携するようになったが、重慶に残存する蒋介石一味は、米英の庇護を当てにし、兄弟である南京政府と、いまだに相互のせめぎあう姿勢を改めない。

 

 

米英両国は、残存する蒋介石政権を支援し、東アジアの混乱を助長し、平和の美名にかくれて、東洋を征服する非道な野望をたくましくしている。

それだけでなく、くみする国々を誘い、帝国の周辺において、軍備を増強し、わが国に挑戦し、更に帝国の平和的通商にあらゆる妨害を与え、ついには意図的に経済断行をして、帝国の生存に重大なる脅威を加えている。

私は政府に事態を平和の裡(うち)に解決させようと、長い間、忍耐してきたが、

米英は、少しも互いに譲り合う精神がなく、むやみに事態の解決を遅らせようとし、
その間にもますます、経済上・軍事上の脅威を増大し続け、それによって我が国を屈服させようとしている。

このような事態がこのまま続けば、東アジアの安定に関して我が帝国がはらってきた積年の努力は、ことごとく水の泡となり、帝国の存立も、まさに危機に瀕することになる。

ことここに至っては、我が帝国は今や、自存と自衛の為に、決然と立上がり、一切の障害を破砕する以外にない。

 

 

皇祖皇宗の神霊をいただき、私は、汝ら国民の忠誠と武勇を信頼し、

祖先の遺業を押し広め、すみやかに禍根をとり除き、

東アジアに永遠の平和を確立し、

それによって帝国の光栄の保全を期すものである。

 


御名御璽
昭和十六年十二月八日

 これは最初の写真の中の文章の現代語訳。

口さがない人は、こんなものは詭弁だと思った人もいるかもしれない。

しかし、昭和天皇の後半生を私はテレビや新聞でつぶさに見てきた。

彼にそのような侵略の野心があるとは到底思えない。

彼は生物学がお好みで相撲観戦が大好きなおじいちゃん

人となりを見てみると、多少は普通人にはない言葉遣いをするところもあるが、生涯を通して自分の加担してきた戦争責任の落とし前を取ろうとしてきたに違いないのだ。

天皇の戦争責任云々は昔から言われてきた。

天皇を中心とした採択によって軍事行動その他は行われてきたので、責任がないとすることにはならないだろう。

しかし責任を取らせるといったところでその方法がないのも事実。

昭和天皇は自分なりの考えで、一生をかけて自らの罪を償ってきたように思える。

欧米列強と言われる所以

f:id:kuwa3972:20200816130626j:plain

チャーチルルーズベルトスターリン 3人はすこぶる仲良しだった

この時代の欧米人はアジアを侵略して植民地にすることを至上命令として受け止めていた。

白人の利益をきちんと計上するためには未開発のアジアを手に入れることが最も手っ取り早くて、間違いのない方法だと考えられていたのだ。

あのルーズベルトは、ニューディール政策などでアメリカでは名大統領として有名だが 、彼の様々な記録を調べてみるとどうやら彼は白人至上主義の差別主義を持っていた。

日本人のことを称して2000年遅れているとそう信じていたらしい。

それは彼曰く、頭蓋骨を見ればわかるのだそう。

アジアのいろいろな民族の中で日本人だけは島国の中に閉じ込めて滅びる方向で規制するのがよかろうと公言していたようだ。

そして、チャーチルは共産主義を敵とみなしておきながら、ソ連がドイツによって攻撃されたときには、ソ連のためにあらゆる援助を惜しまないと公言している。

政治的にはかなりのやり手で、自分自身の利益になることならば手段を選ばないところがあった。

そしてチャーチルもルーズベルトも戦争反対は建前だったが、自分たちの国の経済をきちんと軌道に乗せるためには(この時は世界恐慌でどの国も不況にあえいでいた)戦争をするのが1番だと考えていたのも事実。

ルーズベルトは日本に先に戦争を仕掛けるようにあらゆる手を通じて画策した。

日本の真珠湾攻撃はまんまと罠にはまって戦争を仕掛けたようなもの。

この攻撃のあった後、チャーチルとルーズベルトは電話で会談をして手を叩いて喜んだとされている。

そしてこの2人は資本主義社会の中にあってなぜかスターリンの大ファンだったことも事実。

スターリンの悪党ぶりも20世紀の3大悪人にカウントされる(ヒトラー、スターリン、ポル・ポト)

彼の元へは、その後の歴史を作る毛沢東や金日成なども馳せ参じているのだ。

f:id:kuwa3972:20200817132308j:plain
f:id:kuwa3972:20200817132256j:plain
毛沢東も金日成もスターリンの子分のようなもの

歴史の中で知っておかなければならないことがこれらの写真からもよく伝わるだろう。

しかしスターリンの影響力は絶大。

このときのアメリカ大統領、イギリス首相も彼の傘下の中にあったから。 

ちなみにルーズベルトは両足が不自由な身障者としても有名。

彼は太平洋戦争が終わる前に持病の高血圧で亡くなっている。

この時代はあまり優秀な薬がなかったと見えて、あまりに高い血圧だと長生きはできなかったのだ。

ルーズベルトがなくなったときには最高血圧が300、最低が190とあった。

通常の3倍ぐらいだろうか。

普段でも最高血圧は200オーバーだったようだ。

さて、彼らの作戦は見事に成功して日本の封じ込めに成功している。

日本は初戦の真珠湾作戦のみが成功しているが、他の戦いはことごとく負けているのだ。

山本五十六に注目してこの間私が書いたブログがある。

 

www.kuwa-chu.com

 彼も歴史の流れには逆らえなかった。

還暦前に亡くなっているので明らかに早死にと言える。

誰かのせいにしたところで犠牲者は帰らない

f:id:kuwa3972:20200816131120j:plain

東京大空襲の後 天皇自らが視察

正確な日付はわからないが、昭和天皇は終戦の年にお忍びで東京を視察していたようだ。

様々な情報は軍部から入ってくるようにはなっていたが、彼はその報告をそのまま鵜呑みにするつもりはなかった。

特に玉音放送で見られるような発表のときには、軍部の進言をことごとく退けている。 

自分自身の目で見たことのみしか信用できないと悟ったに違いない。

戦争責任を追及するのは、東京裁判などで戦勝国が思い通りに行っている。

我々日本人は今生き残っている私たちは全員が遺族のようなもの

我々の中で戦争責任などを論ずること自体が意味のあることとは思えない。

亡くなられた方へどれだけのお弔いの気持ちを手向けることができるのか。

今残されている道はそれしかないだろう。

この時期になるといつもそんなことを考えてしまう。