くわちゃんの独り言

音楽や映画が大好きな爺さん。長年の経験から知りえたことを発信します。

再開 麒麟がくる いよいよ始まる歴史の叙事詩

 

今日からいよいよ麒麟がくるが再開する。

今までの休止期間がまるで何事もなかったかのように物語は淡々と継続していく。

時代設定は桶狭間の戦いから4年後とのこと。

光秀は越前朝倉氏のもとで清貧な暮らしを。

今日の物語では京都からかつての旧友が訪ねてくるところから始まる。

この物語には様々な布石が打ってあって、光秀の家族構成やまた後の交友関係などに通じるだろうエピソードが加わっていたね。

いよいよここから歴史的な事実に基づいた物語が描かれることに。

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眞島秀和さんはコロナ陽性との報道があったね

目次

越前までわざわざ京都から使いがやってくる

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将軍足利義輝の権威は失墜していた

将軍義輝は実は名ばかりで京都をはじめ、機内地方を実質支配していたのは三好長慶、松永久秀ら。

このときの足利義輝は史実からたぐると28歳、そして翌年29歳の時に松永久秀の息子らに討たれて死亡することに。

実はこの辺のいきさつは歴史的にもかなり有名なので、麒麟がくるでも詳しく語られるはず。

傀儡でしかない義輝は将軍としての働きができないことを大いに不満に思っていた。

実はそのことを危惧していた細川藤孝が光秀の力を借りようとわざわざ越前まで赴いたと語られていた。

さてこの越前でのエピソード。

これからの物語を暗示するようないくつかのストーリーが描かれていた。

藤孝が明智家でもてなしを受けるシーン

ここで光秀の長女岸と次女のたまが紹介されていたね。

また、ここでは妻の煕子の内助の功も詳しく語られている。

まだ赤ちゃんだったたまが藤孝に抱っこされても人見知りしない設定に。

実はこの赤ちゃんは後の細川ガラシ

藤孝の長男のお嫁さんになる。

その時はお互いにまだ16歳。

この結婚を決めたのが実は信長の命令だったと歴史には伝わる

後から来るだろうこのエピソードを今のうちにそれなりに紹介しておこうと脚本家の計らいが感じられたね。

物語の背景に描かれたもの

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信長以前の最初の天下人と呼ばれた三好長慶

ここで描かれている三好長慶は織田信長以前の天下人と呼ばれるほどの権威を持っていた。

将軍を上回るだけの統治力を保持しており、実質的な畿内の支配者だったのだ。

このときの若き将軍義輝はなんとしても将軍の権威を取り戻したいと考えていた。

彼は歴史によれば武勇に秀でた将軍として務めて有名。

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今に伝わる肖像画

この将軍が最後に戦で討ち端されるシーンはとても有名。

押し寄せてくる反乱軍をたった1人で迎え撃ったのだ。

その時は足利家に伝わる名刀を何本も畳に刺して準備したと聞く。

普通、刀は人を切ってしまうと油その他で切れ味が著しく落ちて使い物にならなくなってしまうのだ。

それを防ぐ手っ取り早い方法は刀そのものを変えること。

このときの戦いはまさに鬼神の強さだったと。

反乱軍はどうしても討ち取ることができず、周りを畳で覆ってじわじわと囲んでいき、その畳越しに射殺したと伝わる。

壮絶な最期だっただろう。

おそらく麒麟がくるの何話か先に語られるエピソード。

光秀が果たすであろう役割

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朝倉義景 織田信長 将軍家それぞれを取り持つ

将軍に謁見した光秀は自分自身の意見として誰か力のある大名を頼むべきだと進言する。

そしてその時に光秀が紹介できたのは織田信長

自分のいとこである帰蝶の夫。

そして自分のかつての主君斎藤道三の遺言でもあった

信長から決して目を離すな

あの男とともに大きな国を作れ

このことが頭にあって将軍に信長を紹介しようとする。

活動する資金もほとんど持ち合わせていないと思われる光秀。

しかし、歴史の中で彼の果たしていた役割がこの辺から少しずつ語られることになってくる。

この物語のテーマでもある麒麟がくる

つまり戦のない理想的な皆が豊かな世の中

そういった世の中を目指して様々な登場人物たちの思惑が交錯する。

京都は再び戦乱の時代を迎えることに

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松永久秀が支配したとされる興福寺  奈良駅から驚くほど近い

京都の隣の地方だった大和。

今の奈良界隈。

ここを支配していたのは松永久秀とされている。

この土地は武家が支配するのではなく、寺社が地域全体を支配していた。

その中心となっていたのが興福寺。

久秀はこのお寺を自分の管理下に置いていた。

実は今から半世紀近く前、私は何度か個人的にこの地方を旅行している。

それは仏教美術を鑑賞するため。

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興福寺が管理する著名な国宝

阿修羅像は今でこそ国宝だが、私が見に行った時はまだ重要文化財。

そして今のような立派な宝物館も出来上がってはいなくて、確かバラック小屋のような展示館があったと記憶。

展示館を入るとすぐに目につくのが右側の写真仏頭。

この表情が強烈なインパクトで迫ってきたといまだに覚えている。

私にとっては懐かしい思い出だが、ここは近鉄の奈良駅から歩いてわずか5分の距離。

そしてこの興福寺のすぐそば、斜め向かいぐらいの位置に東大寺がある。

そして大通りを挟んで東大寺の向かい側にあるのが奈良の国立博物館となる。

奈良地方を旅行した時はおよそ1週間滞在した。

雨が降ったりしてどこにも移動したくないなと思った時は、この辺を何度も回って歩いた記憶がある。

私はまだ20歳そこそこのお兄ちゃんだったが、この当時から精神的な世界に憧れを持っていたようだ。

まだ仏教哲学もそれほど本格的に勉強しているわけではないので、かなり曖昧な世界観の中 歴史に触れていたようだ。

今回の麒麟がくるではこの辺の事はこの後織田信長中心に描かれる可能性が強い。

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足利義昭 このころはまだ覚慶を名乗っていた

物語は1564年から1565年にかけての設定になっているはず。

本能寺の変が1582年なので、歴史は駆け足で進むはずだ。

ここから10年15年の間に、記述に残っているような歴史的な事件が目白押しなのだ。

麒麟がくるで一体どんな描かれ方をするのか、興味は尽きない