召集令状を受け取った後、様々ないきさつがあってどうやら兵役は免除される。
実績を評価された祐一君。
家族が安心して胸を撫で下ろすのとは裏腹に、本人は複雑な気持ちでいる。
大好きな音楽でお国に貢献できるのは本望だが、自分が不当に命を長らえてしまったのではとどうしても心の中に湧き上がる疑問を払拭できない。
この時代は戦地へ行けば、生きて帰ってこれる可能性が大きく制限された。
つまり戦って死ぬことが当たり前とされた時代。
今描かれているエールのエピソードはこの物語の中で最も重要な部分かもしれない。
目次
音ちゃんと華ちゃん
祐一君が映画の舞台になった霞ヶ浦の予科練の訓練場に出かけた日。
母と娘の会話。
書斎の掃除をしながらアリアを歌っていた音ちゃん。
華ちゃんに聞かれていると知って、思わず恥ずかしくて歌うのをやめてしまったのだが。
華ちゃんはもっと聴いていたいとおねだりをする。
お父さんが戦争に行かなくてもよくなったことを素直に喜びたいけれど、でもお父さんの気持ちはそんな単純なものではないと親子で話し合ってみる。
華ちゃんからの何気ない質問。
お母さんは私のために歌うことを諦めたの?
違うわ、諦めたわけではない。
私が自分であなたを選んだ。
夢はお父さんに預けてある。
今日描かれたエールの中ではこの部分が多分1番大きなメッセージ。
音楽にも家族にも自分の思いが必ず反映されていること。
なんとなく流される事はこの家族にはありえないことなのだ。
豊橋の関内家では
クリスチャンである関内家では秘密の集会に参加していた。
すでに教会での活動は厳しく制限を受けていて事実上できない。
そんな中、信者の家を借りて秘密裏に集会を行っていたが。
語られていたのは関内家に対する嫉妬や妬み。
関内馬具店は軍の仕事で生計を立てている。
しかも特殊な職人との認定を受けて五郎君は召集令状が来ることを免除されているようだ。
やっぱり特別扱いされるのは致し方なかったんだけど。
周りの人たちはそう善意に解釈する事はしてくれない。
結局のところ、集会でも信仰にまつわるありがたいお話などあるわけではなく、これからは集まることを控えようという結果に。
予科練の歌
予科練への見学に向かう列車の中。
三隅さんに向かって祐一君が自分の作った若鷲の歌の作曲にダメ出しをしていた。
自分の中でどうしても納得できない部分がある。
訓練中の若者たちの心をなんとしても感じたい。
どうか1日だけでいいから発表を待っていただけないだろうかと。
今回の映画プロデューサー三隅さんは作詞の西条八十にも必死に頼み込んで歌詞を変更してもらうことをお願いし、何とか了解を取り付けたと思ったら、今度は作曲家がもう一度作曲し直したいと言い出す。
芸術家を相手にするとプロデュースする側も大変。
納得のできる良い作品を作るためには芸術家の感性はなににもまして大切だけれど、その胸の内に秘めた政策マインドは普通の人にはなかなか理解しがたい。
大抵の芸術家は常人では考えられないのこだわりを持っている場合が。
例えば、ピアニストのホロビッツは自分の所有するピアノ“スタンウェイ”以外はひかないと言い張っていた。
だからピアノを世界中に運んで演奏会をしていたと聞いたことが。
こだわりとはそうしたもの。
祐一君は自分自身の作曲ポリシーとして、感じたものからインスピレーションを得ているが、それを納得するまで追求していた。
職業作曲家だが、作曲に向かう気持ちはクラシック音楽の著名な作曲家と何ら変わらない。
さて、今週中に若鷲の歌はお披露目となるに違いない。
この曲も聞いたら誰もが知っている名曲。
改めてモデルとなった古関裕而さんの偉大さに感じいる。